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心穏やかな日々が過ごせますように
余りにも喜怒哀楽の激しい人生は嫌なものです。 出来れば、穏やかな平穏な日々でありたいと望みます。 所が人生にそんな穏やかさをなかなか与えてはくれません。 御釈迦様も一生は「生病老死」と説き、苦しみから逃れる事の出来ないこと、厳しい人生である事を教えておられます。 授けて頂いたのは、そんな中にあっても穏やかな心を持てる瞬間を作る知恵を人間に授けて頂きました。 喜怒哀楽のない人生は、どちらかと言うと怠惰で退屈極まりない人生であって、喜楽だけを選んで人生を歩むことは難しいですし、怒哀だけでは悲しい人生になってしまいます。 その全てを享受することで、人生は意義深く、満足するように出来ているようです。 怒哀は喜楽を得るための助走位に考えてもいいのではないでしょうか。 穏やかな日々を過ごすという事は、怒哀の日々を乗り越えた証であって、それなしには訪れないもののように思えます。 逆に喜楽は、次に或いは交互に訪れるであろう怒哀の為のつかの間であって、心の充電期間のような気がします。 喜楽の時に、安堵することなく修練を積み重ね、自己鍛錬に勤しむ事が出来る人にのみ喜楽に繋がる怒哀を準備してくれているようです。 心穏やかな日々を過ごすという事は、次なる怒哀に向けての歩みが既に始まっている事でもあります。 それは決して恐れる事でもなく、悲しむべき事でもないようです。 人生の機微はそのようにして幾度も幾度も繰り返しながら、より深い穏やかさや安堵の日々を享受できるように造られているような気がします。 『心を平にし、気を和やかにす。これ身を養い、徳を養うの工夫。貝原益軒』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.30 00:05:17
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