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義と利
任侠の世界のことの様に思えますが、実は私どもの日常でも義と利は深く係わっていますよね。 鹿児島では「義を言うな」と良く言います。 義は、象形で言うと「羊をいけにえとして刃物で殺すさま。厳粛な作法にかなったふるまい」 正しい、 道にかなっている、 人のふみ行うべき正しい道、 五常の一つ(仁・義・礼・智・信) 実物の代わり(本物ではないけど同じとみなす。義父、義足・・・) 義理人情の義が代表的なものかもしれませんね。 人間としての根源的な話ですよね。 人に言わせると、義は相手や他人に対する行動の規範と言う人もいます。 孔子は、義について 『子曰わく、其の鬼(き)に非ずしてこれを祭るは、諂(へつら)いなり、義を見て為(せ)ざるは勇なきなり) 「自分の先祖でも無いのに祭るのは媚諂う事だ、正義を行うべき時に行動しないのは臆病者だ。」 『子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る』 「人格者は正しさを求め、つまらない人間は利益を求める。」 利は、調べてみましたら 象形としては、稲に手をかけ、鋭いすきで土をすき起こすさま。 するどいとか、 役に立つ、 こうじて、為になる、切れる、儲け、賢い・・・・・ 自分が周りに対してどういうスタンスなのか。 利己、利他と言う言葉もあります。 孔子は、利について 『子曰わく、利に放(よ)りて行えば、怨(うら)み多し』 「もし自分の利益のためだけに行動すれば、人々の恨みを買うだろう。」 『利を見ては義を思い、危うきを見ては命(いのち)を授(さず)く、久要(きゅうよう)、平生(へいせい)の言を忘れざる、亦以て成人と為すべし』 「もし利益より正義を優先し、危険に身命をなげうつ覚悟があり、昔交わした小さな約束までも忘れないようにするならば、完成された人物と言って良いだろう。」 義は、社会や他人、周囲を優先する想い、 利はどちらかと言うと自らの事を優先する想い。 両方とも、象形としては鋭い刃物が出てくるから不思議です。 日本の漢字に対する想いがますますつのりそうですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.31 16:57:55
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