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背私向公の想い
今日、ある会議で「背私向公」を教えて頂きました。 経営者団体のある会長のご挨拶の中に出てきた言葉です。 聖徳太子の「十七条憲法」の第15条に出てくる言葉のようです。 今選挙の真っ只中ですが、公務員の方々に改めて読み直して頂きたいものですね。 長すぎますので、全文を三日に分けてブログ上に残すことにしました。 聖徳太子の「十七条の憲法」 第一条 和をもって、貴し(とうとし)とする 逆らわないようにせよ。人はみな党類を組むが賢者は少ない。それゆえ、父たる君主に従わず、あるいは近隣の人といさかう。 しかし上下の者が、和み(なごみ)睦みあい、事を論じて合意に至れば、事の道理は自然に通る。何事であれ、成就しないものはない。 第二条 篤く(あつく)三宝(さんぽう)を敬え 三宝とは仏(ほとけ)、法(のり)、僧(ほうし)である。すなわち一切の生類の行き着くところであり、すべての国の究極の教えである。 どういう世であれ、どのような人であれ、この法(のり)を尊ばないことはない。 人は極悪である者は少なく、よく教えると従うものである。三宝(さんぽう)によらずして、一体、何で邪悪を正せようか。 第三条 詔(みことのり)を承ったら、必ず謹んで(つつしんで)従え。君主は天であり、臣は地である 天は覆い、地は載せる。 そうして四季がめぐり、万気(ばんき)が通じるのである。 地が天を覆おうとすれば、万気(ばんき)は通じなくなる。 そこで君主は命じ、臣は承る。 上が行えば、下は従う。 それゆえ詔(みことのり)を承ったら、必ず慎んで従え。 謹んで(つつしんで)従わないならば、必ず自滅する。 第四条 群卿(ぐんきょう)や百官(ひゃっかん)は礼をすべての根本とせよ。 人民を治める根本は必ず礼にある。 上に礼なければ、下は乱れ、下が礼を失えば、必ず罪を犯す者が現れる。 それゆえ群臣に礼があれば、位の序列は乱れない。 人民に礼があれば、国家は自然に治まる。 第五条 接待を絶ち、私欲を捨てて、訴訟(そしょう)を公正にせよ。 人民の訴えは一日に千件ある。 一日でさえこうであるから、まして年を重ねると、なおさら多くなる。 近頃、訴訟を裁く者は、私利を得るのが普通になり、賄賂を得てから申し立てを聞く。 財ある者の訴えは、石を水に投げ込むようなもので必ず通り、貧しい者の訴えは、水を石に投げかけるようなもので、受け入れられることはない。 それでは、貧しい民はなすすべもなく、臣としての道もまた欠けることになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.07 19:27:58
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