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花も咲くには懸命な努力が伴っている
私は毎年、桜のエネルギーの凄さを感じます。 植物の研究をしている訳でもありませんから、桜の生態をつぶさに知っている筈がないのです。 ですが、桜が満開に花びらを身につけるには相応の努力が必要だし、大変な力を必要としている筈なんです。 例えば、私どももそうですよね。 人並み以上に、素晴らしい人になろうと思えばそれなりに努力が伴わないと結果はついてきません。 成績でもスポーツでも人並み以上に、なろうと思えば尋常な努力ではなり得ないでしょう。 美貌だって、人よりも美しく、輝くにはそれ相応の関心と継続、心の張りだって要求される事でしょう。 この場合は、土台の事や先天性も加味されるでしょうが。 いずれにしても努力なしでは成しえないことであります。 桜にしても、春を迎えるまでに耐えなくてはいけない冬もあるものです。 桜を擬人化することには、可笑しく感じる人もいるかもしれませんが、色んな事に想いを馳せる事は可笑しい事でもないでしょうし、人間としての感情の豊かさを養うには自然界から教わる事の方が多いものです。 全ての自然が、人間とともにここまで生きてきたのですから、或いは人間の知らない精神や言葉を持って語り合っているかも知れませんよね。 『明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは。親鸞』 『時にあわば散るもめでたし桜花(さくらばな)めずるは花のさかりのみかは。幕末の兵学者 佐久間象山』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.16 18:51:13
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