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子供や社員達に弱みは見せられない
私は父親なしで育ちましたので、子供と接する父親が修羅場に出くわした時や一旦緩急の時の姿を想像する事ができません。 ドラマの世界を垣間見る事はあっても。 事態に遭遇して、怯(ひる)む父親像など想像もしたくありませんし、毅然として逞しく戦う姿が父親像であります。 企業の経営者でも似たようなものかもしれませんね。 社員に弱みなど見せたくありませんし、見えない所でこそ頑張ってみたいものです。 社員以上に働けない自分が出現したときには、それは社長を辞する時だと思っています。 決断が鈍り始めた時などもそうかもしれませんね。 今時、逞しい父親像などと語ること自体がすでに置いてきぼりを食った時代錯誤的な考えと中傷されそうですが、家の大黒柱などと揶揄される父親像はいつまでも毅然として存在してほしいものです。 「家庭に母親は二人は要らない」などと言われます。 「父親不在」ともいいます。 男親の役割、女親の役割、それぞれに存在してこその教育であって家庭生活だろうと思うのです。 特に私は、父親を知りませんし、7歳の時に初めて出会った実の母親が努めて父親を演じてみたり、時には母親であったりしたものですが、やはり両方を演じるには役不足は否めませんでした。 経営でもそうだと思われます。 家庭で毅然とした、存在感のある父親が必要なように、揺るがない理念信念を持って、真摯に経営に取り組む経営者の姿は社員の心を揺り動かし、盤石の態勢を構築できるものです。 父親にしろ、経営者にしろ難しい課題ですが、そのような命題を抜きにして家庭を守る、経営を守るという事は果たし難い事のように思えるのです。 これからもそうですが、頼れる父親、尊敬される経営者像を追い求めて、長い道のりをひたすら走る事を義務付けられているような気がします。 『世界で一番有能な教師よりも、分別のある平凡な父親によってこそ、子供は立派に教育される。ルソー(仏・思想家)』 『父親は、最も厳しく叱る時も、言葉はきついが父親らしいそぶりを見せる。メナンドロス「断片」 前4世紀』 『経営者がなさねばならぬ仕事は学ぶ事が出来る。 しかし、経営者が学び得ないが、どうしても身につけていなければならない資格が一つある。 それは天才的な才能ではなく、実にその人の品性である。ピーター・F・ドラッカー』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.30 18:40:06
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