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人を上げ諂ったり、悲しませたり、苦しめたり、困惑させては駄目
人はそうでなくても、 上げ諂(へつら)ったり、 悲しませたり、 苦しめたり、 困惑させているものです。 人間の精神の根底にそんな思いや行動が潜んでいるのでしょうね。 若しかすると私だけかもしれませんが。 そのような言動をした後には、後悔はするんです。 後悔する位なら始めからしてはいけないんですよね。 人の性(さが)と言うか、業(ごう)と言うか、人たる所以かもしれませんが考えたら悲しい事です。 人を陥れたり、苦しい環境に追い入れたりする事は結局、自らの道をそこに導いていく事に繋がるようですし結果を作りだしているに過ぎないような気がします。 所謂、自業自得、因果応報、先ほどの言葉ではありませんが業(ごう)と言う事でしょう。 怒りの表情の絶えない人は、どうも怒りの中でしか生きていけないような気がしますし、笑顔の絶えない屈託のない人は終生、屈託のない人生を送れるように思えるのです。 また、そのように信じ、行動する事が大切なんでしょう。 人を上げ諂(へつら)う事に終始する人は、人から蔑視の眼差しで見られ、いつの日にか足元から崩れ去るように人生の根幹を失う事にもなってしまいます。 人を悲しませることに終始する人は、その悲しみが倍加して戻って来る事を記憶するべきです。 人を苦しめることに罪悪を覚えない人は、そのうち奈落の底に落ちる事を想像しておかなくてはいけませんし、地獄の釜が蓋をあけて待ち受けている事を知るべきです。 人を困惑させることに終始する人は、重大な岐路に立った時に間違いなくとんでもない悪路を自らの判断で選択してしまうものです。 「引き寄せの法則」と言われます。 自らの人生は自らの引き寄せによって実現されたものであって、その修復や改善は極めて難しいものと言っても過言ではないでしょう。 明日から、その事を肝に銘じて生きるのか。 私の今の心の在り方こそ明日の命運を分けそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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