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アダムス中佐が見た安政地震時の日本人
アメリカのアダムス中佐が日本との条約の批准に下田を訪れたのが、1855年1月26日。 安政東海地震が発生したのが、1854年12月23日。 マグニチュード8.4 到着の一ヶ月後に下田に降り立ったアダムス中佐は、その悲惨な悲しい姿を目の当たりにする事になったのです。 後日書かれた遠征記に往時の日本人の様子がつぶさに書かれている事を知りました。 『地震によって生じた災禍にもかかわらず、日本人の特性たる回復力が発揮されていた。 これは彼らのエネルギーを物語るものである。 彼らは気落ちせず、不運を嘆かず、雄々しく仕事にとりかかり、ほとんど意気消沈してはいないようだった。 ポータハン号(アダムス中佐が乗ってきた船)が到着した時、日本人たちは忙しく片付けと再建に取り掛かっていた。 連日、あらゆる地方から石材、木材、屋根葺き材、瓦、石灰などが運び込まれ、ポータハン号が出発するまでには約300軒ほどの家がほとんど、または完全に出来上がっていた。 ただし同艦の滞在中にも時折かなり強い余震があり、再び災禍が起きるかもしれないと警告されていた』 実はこの32時間後に安政南海地震、マグニチュード8.4の巨大地震が勃発し、大変な被害が出ている。 今度の東日本震災で日本人の立派な姿が改めて認識されたのですが、安政の地震の頃にもやはり外国人の目に同じような状況が映っていたのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.12 21:41:44
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