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台風15号から「薩摩義士」を思い出しました。
今頃は、名古屋地方に上陸しているのではないでしょうか。殆どの台風は、発生時点よりも幾らか勢力を落としながら、日本本土へ近づいてくるのですが今度ばかりは事情が異なります。 奄美付近で、台風の中心が一回転するなどとても普通の台風とは思えませんでした。 岐阜県、愛知県付近へ上陸しそうな事を受けて思いだしました。 皆さんは、「薩摩義士」の話をご存知ですか。 「赤穂浪士」は主君の仇打ちの為に起こった事件ですが、薩摩藩は江戸幕府から命じられて洪水の絶えない木曽三川の普請・治水工事を命じられました。 当然、薩摩藩の弱体化を狙った一石二鳥を狙ったのです。 この事で、薩摩藩は財政難となりしかも多くの犠牲者を失うこととなったのです。 今でも、岐阜の海津町ではその偉大な事業に対して尊敬の念を持って感謝のお祭りが場されていると聞きます。 ********** 宝暦3年(1753年)12月25日江戸幕府は薩摩藩(現、鹿児島)に木曽三川(岐阜県)治水工事を命じた。 工事は薩摩藩の家老平田靱負が総奉行となり幕府の厳しい監督の元にすすめられた。 大勢の犠牲を強い、また藩の財政を圧迫するなどして工事が成し遂げられました。 ◇治水神社と千本松原◇ 工事の総奉行である平田靱負はその責任を負い 「住みなれし 里も今更 立ちぞわずらふ 美濃の大牧」 と辞世の歌を残して命を絶ちましたが、 治水神社はその平田靱負を祭神に(昭和13年)に建てられました。 治水神社と同じく宝暦治水関係の史蹟で治水工事の完成を記念して幕府の命により薩摩から取り寄せた日向松が千本植えられました。 今では樹齢200年を超える松林となり千本松原と呼ばれ人々に親しまれています。 ********** 資料提供 常栄寺様(海津市平田町今尾)より頂きました。ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.09.21 12:52:52
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