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misty247

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2014.01.27
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 以前、紹介した百人一首の本、『百人一首』谷知子著をまだ借りていて、机の脇にずっと置いてあるから、ご飯食べながら片手になど、何の気なしに手にとって読んでいる。
 恋を詠った歌が多いのは、飽きない魅力である。その歌に接するごとに、新たな感銘をうける。わずか三十一文字であっても。傍らに決まった解釈が書かれてあっても。

 一番、苦しんでいる歌はどれか。
 前々から、やっぱりこの人かなとすぐに思いつくのは、和泉式部。

 「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
私はもうすぐ死んで、この世からいなくなるでしょう。あの世への思い出として、せめてもう一度だけあなたにお逢いしたいのです。

 その正直な気持ちの告白にぐっとひき寄せられるが、よく読めばこれは未練であり、恋はすでに終わっていそうである。そう考えると、炎がない。

 今回、本をみていて、はげしい歌の存在に気づいた。

 「忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな

 詠者は儀同三司母。清少納言が仕えた人、中宮定子の母とある。
どんなに忘れないとおっしゃっても、将来のことはあてにしがたいので、そうおっしゃってくださる今日が最後の命であってほしいものです。


 恋が成就した今、死にたい、という歌だ。すごい。ピュアだ。草書で美しく書かれたなら、狂おしい言霊が文字に宿り、触れたら火傷しそうな、そんな感じがする。
 さらに、上をいく歌はあるだろうか。






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Last updated  2014.01.28 00:52:58
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