テーマ:心のままに独り言(8817)
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何の気なしに見やった絵馬所の、とある願が目にとまった。 「人生の目標が見つかりますように」 太めのマジックではっきりと書かれてあったせいか、 明瞭で強い願いのように思われた。 『なんか重いなぁ。しかし、こんなこと、神頼み、しますか?』 神頼みすべきことではない、というなら、合格祈願も疑問符がつく。 交通安全も、商売繁盛も、縁結びも、怪しくなる。 うーん。 マークシートのあてずっぽうが正解になるかどうか。 交通事故も巻き込まれるケースはほとんど運といえる。 商売繁盛も、縁結びも、幾分かは運に負っている。 この「幾分か」が肝要? 9割は自力でなんとかします。あと1割。 わが力の及ばぬところにおいて、なにとぞ力をお貸しください。 という姿勢ならよし? 人生の目標が見つかるかどうかには、度合いというものがない。 見つかるか、見つからないか、二つに一つ。丸投げだ。 しかも最終目標といえるようことを。なんという横着。 いや。 それを咎めたら、よくある「幸せになれますように」も丸投げで同罪だ。 横着は、最終目標どころか最終到達地と、さらにひどい。 とはいえ。 「幸せになれますように」は、 あまり深く考えてなさそうで、それゆえに許されそうだ。 「人生の目標が見つかりますように」は、 考えた結果がコレかいな、という誹りは免れないだろう。 そもそも。 お寺さんは人生の目標を悟るべく日々修行を積んでいるお坊さんの行場。 その傍らで、この内容をダイレクトに半ば運任せに神頼みする、 その「空気読めてなさ」がいやらしくないか? 悪意はないと思うけど。 うーん…… なにかこの一言願いには、 思考のブラックホールのようなものが渦巻いている。 そんな気がしたひとこまである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.12 13:29:10
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