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「優しい」と言う語が急激に株をあげたのは、
どういう男性と一緒になりたいですか? という女性への質問で半分以上のひとが 「優しいひと」と答えた、 そういう一時期があったからのような気がする。 今でもそうかもしれないが、 あっちこっちでそんなアンケートがあり、 「優しさ」は答えたといえないほど至極当然の答えだった。 実際に、答えになってないと思う。 「理想のひとは?一言で簡単に」と尋ねるような問いは、 ぶっつけでするものじゃない。寿司のおしながきから 好みのネタひとつ選ぶのにさえ、ふつう人は考え悩むものだ。 なのに、こうも深いことを。尋ねるほうが間違っている。 「優しいひと」と答えた方もテキトーなものである。 というのも普通これには不可欠の条件がつくはず。 「自分にだけ」優しいひと。 誰にでも優しいという性格は喜ばれない。 自分以外の人に優しくするのは許せない。それが実際。 アンケート集計の1位はダントツで「優しさ」。 「優しさ」という属性は青天井に株をあげた。 優しさこそ間違いなく善いもの、と意識に刷り込まれた。 アンケートを行った者、答えた者、結果をみた者。 誰も何も考えていなかったのである。 「優しい」なんて「かわいい」と一緒。 おおざっぱすぎて何も表現していないに等しい形容詞だが、 そういう無害な使われ方をしている分はよいとしても、 自論の正当性を高めるのに「優しい」という語のイメージを 利用する表現がときどき見受けられる。 「地球に優しい」という使い方はその代表格だ。 (この先はまたの日記で) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.10 23:53:52
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