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テーマ:パニック障害&鬱病(750)
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今年は巨大子宮筋腫があって調子が悪いし、胃潰瘍も悪化してるし、じんましんとかアレルギー鼻炎も酷い、皮膚病も良くないし
更年期も酷いしで、いやな年になるなと思っていたら、いやなことは重なるもので、町会の役員が回ってきた。 健康だったら、めんどくさいけどなんてことない。 でもPDや体調が悪い私には、大げさだけど命かけちゃうくらい 辛い行事だよね。 月に1度の集まりは苦しい>< PDの人ならわかると思うけど、そこにいなければいけないというのが一番出来ない。 時間にしたら30分なんだけど、もう5分くらいでそわそわしたり 私の場合は、ふらふらして倒れそうになるから余計に怖い。 寒い時期ならなんとか頑張って行ってたのだけど、この暑さで 余計に低血圧が酷くなるし、不安もまして恐怖。 2月から初めて半分すぎたけど、来年の1月まで。 2月は新しい人との交代で、1時間いなくてはいけないから今から不安・・・。 午前中の交通安全は、子供にいってもらったり、お祭りの準備なども子供にまかせているからなんとかやっているけど。自分で出来ないのは辛いし、まわりのお年寄りの人も役員で頑張ってるから肩身が狭い。 子供のころの行事や役員はもっと大変だったな・・・。 あの頃はこんなに体調が悪くはなかったけど、PD不安は酷かったから、午前中に始まる運動会やおゆうぎ、学校の行事ほとんど出れなかったし、入学式も出れないしで辛いことばかり。 今は鬱とかPDもなんとかわかる人もいるけど、あのときはまだ理解ないし、私のように酷い症状だと隠し通せることもできないし、PDのことは言ってみたけど理解できなかったみたい。 謝恩会やお母さん同志の打ち上げとか、断れるものは断って 出なければいけないのは出たけど(夜だしね) 食べれない、飲めないで、きっとみんな変なふうに思っていたと思う。 一番辛かったのは、子供が病気しても病院に行けなかったこと。 子供は小さい時、体が弱くて肺炎3回、ぜんそくも酷くて 夜中に発作おこしても連れていってあげられなくて、酷い母親だと思うけど、それだけ病院は行けない場所だった。 行こうと思うのだけど、死んだほうがましなくらい恐怖が強くて 子供がバイクと接触事故をおこしたときも、すぐに連れていくこともできなくて、友達を呼んで連れていってもらった。 ねんざでたいしたことなかったからよかったのだけど。 歯医者も辛かった;; 待っているのが辛くて、そわそわして立ち上がったり、動悸がしたり、冷や汗かいたり、本当に苦しくて、子育てが楽しかったなんて思い出は一つもなかった。 楽しみなんて余裕なかったもの。 助けてくれる人はいなかったし。両親もいなかったし、兄弟とは 縁切ってたし、離婚してたしで、あの辛い時期を良く乗り越えたなと思う。 あのときの辛さは、人の理解のなさだったと思う。 どんな病気もいやだけど、PDは、へびのなまごろしのような気がする。 夢をみることもできない。 親の火葬場にも親友の病院にも葬儀にもでれなくて、PDでの辛いことは、数えきれない。 今は体のほうに症状が出て動けないし、これからどうなっていくのか怖いな。。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 28, 2010 04:13:05 PM
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