|
テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日も雨。
韓国も、雨だろうか? 韓国は、今日は確か休日。 キム君を知ったのは、下の娘が小学校へ入学して間もない時だった。 クラスの名簿が配られたときに、もしかしたら、韓国の人?という感じで…。 しばらくして、はじめての保護者会があった日に、担任に尋ねた。 (あ~ぁ。自己紹介って、苦手です。新学期のたびにイヤです。私だけでしょうか?) そして、事情を知った。 ためらいがちに、 キム君の母は下の娘さんが発熱気味で来れなかったとのこと、 父は仕事上、日本語堪能だが、母は、まるで知らないとのことなど・・・。 実のところ先生は、かなりの“堅物”。 今日の個人情報保護法の最中だったらけっして伝えてはもらえなかったような気がする。 で、私の方から提案した。 クラスの連絡網のことで、私の次の順番に入れてもらえれば何かお役に立つかと(個人的な使用を止められていた理由も兼ねて。)思います。 一応このように了承された旨を伝える?ために、早速、電話です。 “ヨボセヨ。(もしもし)” “アンニョンハセヨ。(今日は)” “ヌグシンデヨ?!(どちらさんですか)”と、いう感じだったでしょうか? 聞いてみれば、彼女とっても偉いんです。 息子さんは、ひらがなの五十音全部書けるようにしてあるとか、教科書も確認済みだとか、これは、韓国ではあたり前のことと言う。(あたり前!!) トホホホ・・・。うちは、まだ鏡文字が多いのに。 それと、親もいっしょに習うという。 (この時はまだ、深く理解せずに、なるほど一石二鳥だと考えた。) その後、クラスの懇親会の会食に誘う。 おっと、私と彼女とはまだ顔を知らない。 チョッと、お嬢さんたち!かおと打つとどうして顔文字ばかりが ダーっと、出るのよ?!元通りに戻しなさ~ぃ。メッ! 当時、皮のスニーカーが流行っていて私はその赤を履いて、お互いの知っているパン屋の前で待ち合わせた。彼女は黒の皮のスニーカーと言ったので、爆笑した。 逢えば、若くてとっても可愛い人だった。そして、健康そう。と伝えると私もそうだと返す。フフフ・・・。 そんな日々の際中、彼女の日本語がかなり上手になっていくのを感じる。あまりにも不思議に思い、尋ねてみた。 区役所に通っていると言う。 えっ、役所とどういう関係なんだろう? 国際交流センターがあることを知る。そこで学んでいるそうだ。 乳のみ子を連れて通うのさえ大変なはずなのに。 学校の保護者会が終わると必ず彼女は残り先生に息子の様子を聞いている。感心しながら、私は話のサポートをする。しかし、ほとんど必要なくなるほど伝える。わずか一年で、漢字も書くようになっていた。勉強家なんだぁ~。 さて、キム君はというと、最初の一年目は別授業だったと言う。 個別に先生が区の方から来て、授業する。 (そうかぁ、そのためもあり彼女は区役所の方へも何度か足を運んでいたのかと、あくまでも想像する。当初、自分も習うと言った意味の深さを知る。) 三年の3学期に、突然、韓国の方へ帰ると伝えられた。 ご主人を残して戻ると言う。 将来、韓国で進学するようになるなら、4年からは受験モードに入りたい。現地の言語で教科を今の内に学んでおかなければ、後に負担になる。国によって教科内容も随分異なるので不安になると言う。確かに…。いやー、教育熱心だ。少し、自分のファジィーさが空気もれして行くようだった。 学校の廊下でキムチをもらった日。まわりに臭うかと心配そうにしていた彼女の可愛いく健康そうな顔が忘れられない。もちろん、他のお母さんたちにも好かれていた。クラスの子どもたちが遊びから帰ってくると、“チジミ”を作ってとせがむらしい。 送別会で、彼女の日本人評。(私が求めたのではアリマセン。他の人です。) ---道を歩いていて、互いにぶつかったときに、自分が悪くなくても、 “スミマセン”と謝れる優しさと、常識を持っている人々。--- (ギクッ!) 韓国では、ピアノのレッスン(戻ったら、即、習わせたいそうだ。)は、週に1回じゃなく、毎日、先生のところですると言ってたけど、家では練習しなくて良いほどなのだろうか…? キム君へ:一足早く中学生だね。今でも、クラスいち背の高い君のことを思い 出しては、春休みに今年も遊びにくるだろうかと期待しているよ。 ☆ ヨルコン! ☆ (ヨルシミ コンブ ハジャの略=一生懸命勉強しよう。) 主要都市に日本人学校が各所にあると聞いている。 ので、海外にいる日本人は、恵まれている方なのだろうか? 教科内容の国内との差は、どの位、あるのだろうか? もう少し比較して考えてみることにする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|