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テーマ:暮らしを楽しむ(387883)
カテゴリ:十年一昔
何年後かを楽しみにして、思い出をある場所に埋めることを、タイムカプセルと言うなら、実ることを楽しみにして埋めることを、タイムシードと呼ぶことにしよう。
私が小学校の高学年くらいだったと思う。 夏みかんを剥きながら、ふとした思い付きで、種を、家のガレージ横の土に埋めた。 芽が出て苗木程度までの頃は、頻繁に覗き込み覚えていた。 次第に他の植木と違和感がなくなり、記憶も(埋めて実る期待に対した)薄らいで行く。 13年くらいの年月が経っただろうか、実がついた。 (長い間、植木と間違うほど実が付かなかった。) 母は、自然に木が植わり実ってから、夏みかんの木と気づいた。 割りと甘味もあり、美味しかったそうだ。 家を遠のいていたので、その成長過程は知らなかった私。 夏休みなどに帰宅して、母にたずねたら、私が植えたことすら想像もしていなかった。 隣の空き地にマンションが建つことになり、ちょうど境界線上の夏みかんの木を如何するかと聞かれ、あっさりと、抜いてくれと返答してしまったほどだから。 (私がいたずら半分で植えたと、言っておけば良かった!) そんな記憶が沸いたのも、昨日の芋を洗いながらであろうか? (次女が、種芋にこだわり過ぎ!) よ~し、今度は、この芋だからね!! しばし、研究してみようか。 2件先の通りを渡れば、でっか~い公園がある。 空き地みたいなもんだね。ムフフフ。 などど、すっかりおばさんアイディアが芽吹いている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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