カテゴリ:芸術
本日は、再び静岡県立美術館へ行きました。 すると、 ロダン館でコンサートがあると放送が流れたので、 コンサートを聴いてみることに・・・。 声楽家のフランスオペラとドイツオペラの歌曲が歌われていました。 しばらくその歌い手の姿を観ていたのですが、 ロダン館の中のブロンズ像を観ながら芸術作品を鑑賞するというのが 案外気分の良いものだと感じ、ロダン作品を鑑賞しながらにしました。
ロダン館は、昔何度か観ていたのですが、久しぶりの鑑賞でした。 「地獄の門」の前で、歌い手が歌われていたので、そこだけは、 近くで観ることが出来ませんでしたが、ロダンの「考える人」は、じっくり鑑賞 しました。
他の作品はレプリカが多いようだけれど、この「考える人」は 本物ではないか? と思うくらいの迫力があり・・・まじまじと観察・・・。 iphoneで撮影しましたが、曲の合間なら、写真を撮っても良いと許可を 得たので撮影したのですよ。
考える人はダンテの神曲を元に、地獄を覗いている詩人を表現したようですが、 このブロンズ像を観ると、詩人には到底思えない・・・くらいの肉体派なのです。 腕の太さは腕相撲世界一位の選手ほどの筋肉と太さ。 足のふくらはぎにしても、重量挙げのオリンピック選手並みの筋肉の付き方です。 さあて、これは誰をモデルにしたのだろうか? と気になったのです。
ネットで調べると、「神曲」のダンテだという説も あるよう。けど、ダンテは肉体派ではないよう。 ボテイッチエルリの絵ではこんな感じ。1265年の作品
ダンテはフレンツェ出身の詩人、政治家、哲学者だったそう。 だから、筋肉派ではないと思われるので、 肉体はモデルを使ったと思われるけれど、ロダンの作品は手と足が非常に デフォルメされてて大きく創られています。 それには、こんな理由があるようです。 「青銅時代」 という作品で緻密で精巧なブロンズ像があまりにリアル だったので、人間から型を取ったのではないか? という疑いをかけられたのだそう。 後で誤解は解けるのですが、それから、観たままではない、彫刻へと 変化していったようです・・。
本当にリアルな人物像ですね・・。
考える人はロダン自身という説もあるようです。
地獄に落ちた人間を上から眺めている詩人という設定のようですが、 自らのこころの地獄を内省しているようにも見えます。 子どもの頃、教科書に載っていた「考える人」は、手をあごに置いていると 思っていたのですが・・・握った拳を口の中へ半分くらい入れています。 この巨大な像を目の前にすると、ただ思索する詩人という感じではなく、 人間の地獄、我が身の地獄からどのようにしたら、抜けだし、天国に行けるのか? という苦悩が感じられます。 ロダンは生い立ちは貧しく、経済的に援助してくれた姉は死に、 愛する二人の女性に迷い苦悩し、弟子のカミュー・クロディールとの関係も有名です。 彼女は後に精神を煩います。彼女の才能はロダンに吸い取られてしまった かのようにも感じます。 けれども、ロダンは自分の地獄を「地獄の門」として、人間が社会や人間関係、 男女の恋愛の悲喜劇で誰しもが通過する門として表現したのかもしれないなぁ・・ なんて・・・感じているところです。 1840年11月12日にロダンは誕生して1917年11月17日に亡くなっています。
このロダンの写真を見ると、考える人のモデルはやっぱり自分自身 なのかしら? なんて思えるんですよね? 一応、肉体派のモデルはデッサンはしたとは思うけれど・・・
それでは、皆さま明日も良い日を~ ♫ ありがとうございます~
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