|
カテゴリ:カテゴリ未分類
3月20日は、み太郎のお誕生日。
あれからもう、一年も経ったのだなあ・・・・(しみじみ)。 去年の今頃。 19日の朝、 「まだ全然出てこなそう・・・・」と思いつつ、 マタニティビクスに行く準備をしていたら。 「・・・あれ?」 破水。 出るお水の量は少なく、でもおしっことはちょっと違う感じ。 「あ~。お産になるのかな~。」とのんきに思い、 でも念のため、迷ったけどバスでなくタクシーで産院へむかった。 (のんきすぎます。本当は破水したら救急車でもいいくらいだ そうです・・・。) 受付でも診察でも、 「多分破水だと思うんですけど~・・・」と 間抜けなことを言ってた私。 診察してもらったらスグに 「ハイ破水ですね。入院です。」と言われた。 そこで夫に電話し、またものんきに 「破水したので入院しますう~。なんか全然出てきそうな感じ しないんだけど~~」と報告。 病室に移り、昼食を出してもらってモリモリと食べる。 「オカワリ欲しいな・・・・・。」 とのんきに思っていたが、のんきでいられたのはこの辺まで。 夫が産院に駆けつけ、しばらくすると 猛烈な寒気が襲ってきた。 最初はただ寒いだけだと思っていたけど、 どんどん寒くなっていきガタガタと震えが止まらない。 熱が上がってきたのだ。 最終的には39.3℃まで上がったと記憶している。 妊婦雑誌には「お産のときは汗をたくさんかくので ウチワを持っていくと便利!」 なんて書いてあったけど、 お産入院用のカバンに、湯たんぽとかカイロを 入れておかなかったことを心底後悔した。 のどが渇いても寒くて寒くて冷たいお茶なんて飲めず、 節々は痛んで来るし、まるでひどい風邪のときのようにつらかった。 破水したことでばい菌が入っちゃったらしい。 本来なら陣痛で苦しむはずなのに・・・・。 機械をつけて陣痛室で苦しんで(熱でね・・・)いても、 全然陣痛が来る気配はない。 機械(名前わすれちゃった)によると、強い張りが来ているはずなのに あまり感じない。 浣腸してもらっても全然出ないし全然張りも来ない。 助産婦さんに、「腰にず~んと来るでしょ?」 「今、来たでしょ?」なんて言われても、 「いいえ・・・あんまり・・・・」 (私、ニブいのか??) とにかく喉がかわいて、たくさんお茶を飲んだ。 茶殻夫は何度もお茶やアクエリアスを買いに行ってくれて、 大変役に立っていた。 たくさん飲むのでトイレに行きたくなり、それまで 寝ていた体を起こすと、 「ザバ」と大量に羊水が出てきた。 しかも、濁ってる。 汚い話なんだけど、まるで下痢を大量に漏らしたように 床にたくさんこぼれた。 私のスリッパにも・・・・(-_-; これはお腹の中の赤ちゃんが苦しんで、 ウンチをしちゃったためらしい。 どうやらとても大変なことらしい。 (第一、私高熱出してるし・・・・。) なんだか周りがあわただしくなってきた。 助産婦さんが、遠くで 「だから早く分娩室に移っちゃった方がいいって 言ったのよ~!!」とか 言ってるの、聴こえてます・・・・・。 外来の待合室のスグ横のエレベータにのって (要するに外来に来ている大勢の妊婦さんやその旦那様 の目にさらされながら・・・) 混濁した羊水を撒き散らしながら分娩室へ向かった。 あ~、あのとき私のこと見ていた皆さんは、 相当ビックリしたことだろう・・・。 「ハアハア」とつらそうに下痢(のように見えるもの)を たらしながら歩いてるんだもんな・・・・。 看護婦さん2人に両脇を抱えられて・・・。 これからお産をむかえる妊婦さんを脅してしまったかも。 ゴメンね。 ちなみに、この状態でも子宮口の開きは 1センチくらい。 お医者様いわく、 「道は険しいね~。」 分娩室でもあまり状態は変わらず。 熱は段々下がってきたが、陣痛があまり感じられず、 私はあの固い分娩台の上に8時間以上も乗っていて、 陣痛よりも「お尻が痛い・・・・」ことの方がつらかった。 カーテン一枚を隔てて、となりの分娩台では 私より後に来た人が私より先に、あっさりと出産して 出て行った。 (なにしろ3人目らしい) 夜中になってくるとそれでもだんだん陣痛も強くなってきて、 でも子宮口は開かないし なかなか赤ん坊は出てこない。 喉ばかり渇く。 ここでも茶殻夫はたくさんお茶を買って来てくれて、 飲ませてくれて(立会い出産だった) とても役に立っていた。 本当にたくさん水分をとった。 今度産むときは、一番大きいペットボトルで 水を持ってきたほうが経済的だな・・・・・。 と、そんなこと考えて気を紛らわす。 いよいよ、もう出さないと! って時になってもなかなか出てこない。 この辺から夫が大活躍。 赤ちゃんの心拍数やらをみる機械について お医者さまに質問して、 いちいち「今、(数値が)XXXだぞ!やばいぞ深呼吸しろ!!」 とか言ってくれる。 お医者様も機械に出ている数値を見なくても報告してくれるので 手元に集中できて助かったらしい。 ところで、その深呼吸がなかなかうまくできず、 赤ちゃんは酸素量が少なくて苦しんでいたらしい。 お産のときの呼吸って 「ヒッヒッフー」だと思っていたのだが、 私の場合は「吸って、息を止めて、吐いて~~」 だった。スグ吐くと赤ちゃんに酸素が行かないのだそうだ。 私は酸素マスクをつけられた。 それでも深呼吸はしなくてはならない。 深呼吸がこんなに難しいなんて。 あとで茶殻夫が言ってたが、本当に 「ヤバイ」状態だったらしい。 胎児の心拍数が異常すぎて機械のアラーム鳴りっぱなし だったし(これは覚えてる・・・) お医者と助産婦さんの顔色が変わってきた、とのこと・・・。 私はというと苦しいながらも何だか他人事のようで、 「早く出してくれ・・・・・」 という感じだった。 最終的には吸引・カンシをダブルで使用。 太った助産婦さんにお腹に乗られて 「いきんで~~~~!!!」 (このとき、私は、「無、無茶です・・・・」と思った) 茶殻夫も「今しかないぞ~~~いきめ~~!!!」と叫んでた。 (後でお医者様も、「あの時は本当に、『今しか』なかったん ですよ~」と。) 産声。 私の頭の方では、 「スン、スン」と鼻をすする音。 あ、茶殻夫、泣いてるの?? (私は、「やっと出た~~~」って感じで一息ついてた 感じでした・・・。) 時計を見ると、午前0時34分。 別の言い方をすると、12時34分。 そう、1・2・3・4で生まれてきた♪ 混濁した羊水まみれになって、み太郎は スグに産湯つかいに連れられて行った。 「あ~~行っちゃった。抱いて見たいのに~~~」 と思ったけど、難産だったしそれはできなかったようだ。 その後、看護婦さんが「移動は疲れるだろうから」 分娩台の上に布団を敷いてくれて朝まで分娩室で過ごした。 (最新の、陣痛室と分娩室とリカバリ室が一緒になってる 所って、うらやましいな。 次産むなら、そういうところで産みたい・・・。) でも興奮して全然眠れない。 夫は、私の傍らで椅子に座っていつしかスヤスヤ。 いびきまで・・・・・(^^;)オイ。 考えようによっては、私より夫のほうが精神的に 疲れただろうな。 だって、私は分娩台で「アノ」格好しているから 見えてないけど、夫には カンシやら吸引やらメスやら血やら お医者さまの顔色が変わる様子やら 見えていたわけだし。 後で聞いたけど、み太郎をとりあげてくださった先生は もうおじいちゃん先生(74歳だったかな?)の大ベテランで、 「カンシの達人」と呼ばれている神様のような先生。 その先生でなければ確実に帝王切開になっていたらしい。 そもそも私の体質では、自然分娩を推奨しているその産院でなければ はじめから計画的に帝王切開だったようだ。 へそのおも短く、その「カンシの達人」先生をもってしても 「今切るか、今切るか」って思っていたらしい。 会陰切開も奥のほうまでたくさん切って、出血も1リットル。 貧血がすごくて、私は尿をとる管をつけられて 丸2日ベッドに寝たきりだった。 その後、新生児に移ると大変なことになる 「ヘルペス」ができたりして 全然赤ちゃんのお世話ができなかった。 搾乳した初乳もあげることができなかった。 抱っこもできなくて、新生児室の外からガラス越しに み太郎を眺めてばかりいたっけ・・・・。 それが、今ではスクスクと育ってもう1歳! み太郎、生まれて来てくれてありがとう。 おおきく育ってくれてありがとう。 カワイク育ってくれてありがとう。 賢く育ってくれてありがとう。 (このへんは親ばかです。。。) *********************************** お誕生日には、茶殻兄がかけつけてくれて、 ささやかなパーティーをしました。 よかったね、み太郎。 おじちゃんが来てくれて。 ケーキはお母ちゃんがほとんど食べちゃいました^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|