車のお話3
さて、第3部は、100パーセント自力で手に入れた車のお話から始めようと思ったのですが、それまでにもいろいろな車にちょこちょこ乗る機会があって、面白かった車について触れておきます。スカイラインやフェアレディーZの修理の時に貸してもらった車で、全く知らなかったが意外にいい車だったのが二代目のマツダ・ファミリアでした。修理工場の代車用の車だったのですが、10年近くたっているのにとても程度の良い中古車で、1000㏄の2ドアクーペで、本当になんということもない車だったのですが、意外によく走ったのです。そして、この車、女の子にいたずらするというか、びっくりさせる機能?がありました。シートを調整するのにバックレストのレバーを引き上げる、どころではなくレバーに軽く触れるだけで、一気にバタンと後ろに倒れたのです。これ、自分でやってびっくりしたので、大学の後輩の女性を自宅に送って行く時に、助手席に乗せた後、ドアーを開けた状態で、このレバーはいじらないようにと注意したところ、彼女、意味を全く理解しなかったらしく、そのまま軽く触れたら、シートがバタンと平らに近い状態に倒れ、キャッと悲鳴を上げた後、しばらく沈黙しました。心配になって覗き込んだのですが、他人が見たら押し倒したような状態でしたし、黙って私を見上げた瞳が少し潤んでいて、何かを期待されたような感じもありましたし、なさぬ仲ながらも当時は相思相愛状態の彼女でしたから、そのままキスでもしたらよかったのかもしれませんが、「大丈夫かい。」と声をかけたら、しばらくしてから、「もう、これ、手の込んだいたずらですか。」と笑顔になり、笑い話になって終わってしまいました。このファミリアは、意外な名車でしたが、名車と言われていたのに運転したらひどかったのが、初代シビックでした。この車、ヨーロッパのジャーナリストは、ノーサスペンションと乗り心地の悪さを非難したそうですが、私はノーサスペンションよりも、ひどいトルクステアの方が気になりました。今の車にはありませんが、当時の前輪駆動車、ギアボックスから前輪に駆動を伝えるドライブシャフトが左右非対称であることがままあったのです。するとどうなるかと言いますと、トルクをかける、つまりアクセルを踏んでドライブシャフトに力を伝えると、左右非対称な分、前輪に伝わるトルクも左右非対称となり、その結果、車が左に寄ったのです。(右によると危険ですから、左によるように設計されていました。)まあ、すぐにアクセルを踏むたびに少し右にハンドルを切ることに慣れましたが、ノーサスペンションの悪評どおり乗り心地も悪いし、全然名車じゃないと呆れました。エンジンも、排ガス規制初期に本田開発の希薄燃焼方式CVCCとか大々的に宣伝していた覚えがあるのですが、全然だめで、パワーもいまいち、燃費もリッター8キロぐらいしか走らなかった覚えがあります。ちなみに、二代目ファミリア、リッター11キロぐらい走りました。他にも、やくざの不動産会社社長佐々木氏が貸してくれた車が3台ありました。1台は、彼の不動産会社の社用車のトヨタマークⅡです。3代目のマークⅡでしたが、普通にいい車でしたから、スポーツカーが欲しかったわけではなかった私は、フェアレディーZよりこの車を買ってもらえた方が良かったと思ったほどでした。まあ、この車はいい車だったのですが、後の2台が曲者でした。2台目は、三菱ジープでした。これ、軍用車を生産していたアメリカのウィリス・オーバーランド・モータースとの間で製造販売の権利を契約して日本の三菱が生産した車で、何と1956年から2001年までの長期にわたって製造されていました。貸してもらったのは、1975年頃の車だったと思いますが、2ドアソフトトップのタイプで、ドアーは鉄パイプの枠にシートを張っただけのもので、屋根もシート張り、それでも意外に雨漏りはしませんでしたし、流石軍用車から派生したものだけあって、がっちりしたロールバーがあって、横転しても屋根がつぶれる心配はなさそうでした。この車は、佐々木氏が、不動産業者として、工事現場や道なき道を行く機会があれば恰好がつくと、社用車として買い入れた車なのですが、各操作系が重たく、ステアリングも、クラッチも、アクセルも、ブレーキも、とにかく重く、四駆のトランスファーギアの操作たるや、母では切り替えられず、故障だと騒いだほどでした。そして、とにかく丈夫に作られている分乗り心地も良くない車でした。佐々木氏が私に貸してくれた理由は、「俺、この車運転すると腰痛くなるねん。」でした。小兵ながら柔道空手の達人で、力もある彼でしたが、ジープは運転するだけで疲れたから、私が時々使ってくれれば、車庫に置きっぱなしになってバッテリーがあがる心配がなくなると言う理由でもあったと思います。まあ、この車も、私はそつなくこなしたのですが、このジープ、エアコンもない代わり、少々怖いものの、ペラペラのドアーを外して走ることができ、当時は今ほど暑くなかったからか、素通しにすると夏でも意外に快適でした。しばらく運転していると、ジープは荒っぽく運転するのに向いていることもわかってきました。結局、道なき道を行く機会も、工事現場に乗り付ける機会も皆無でしたから、このジープを一番運転したのは私だったかも知れません。と、そこまでにしておくと大した問題はないのですが、実はこの車、佐々木氏所属の組の金のエンブレムがつけられていたのです。金のエンブレムを着けることを許されていたということは、佐々木氏の組の中の地位がかなり高かったことが想像されるのですが、丁度組長の暗殺未遂事件に絡む抗争事件真っただ中の頃でしたから、後で考えてみるに、私が組員と間違えられて襲撃される危険も無いとは言えなかったのです。佐々木氏、配下の組員を抱えていないいわゆる舎弟の一人でしたからか、抗争事件には無頓着で、そんな心配は全くしておらず、「お前が一番怖いから、ヤクザでもお前に手出す奴なんておらん。大丈夫や、なあ舎弟。」なんてシャレにならないことを、私だけでなく周囲の人たちにも吹聴していました。まあ、自分は運転したくないから貸してくれたのが実態で、私も、有難く借りて走り回っていて、「ジープに乗るのが夢だった。」という女子大生(なさぬ仲でしたが、当時の恋人)を乗せたり、楽しませてもらいました。彼女はエンブレムの意味がわからなかったので私も知らぬが仏と説明しませんでしたが、わかる人にはわかったようで、彼女を乗せて衣笠の喫茶店に行ったら、客の何人かが、こちらをちらちら見ながら噂をしていたこともありました。とりあえず、何事も無くて、結果オーライでした。3台目は、3代目フォードマスタングでした。これ、完全に彼の遊び車だったのですが、大学を卒業した1年後に今の妻を婚約者として彼に初めて紹介した時、彼女を痛く気に入った彼が、好意で貸してくれたのです。図体でかいし、左ハンドルの車を運転するのは初めてですから少々びびりましたが、「俺の遊び車やし、他人には貸さへん。お前なら運転できるやろうし、いや、お前の未来のかあちゃんが気に入ったから貸すんや。」と言って貸してくれたのです。初の左ハンドルながら、普通に運転することはできたのですが、この車、約3.3リットルの直6OHVエンジンを積んでいたのですが、フルスロットルにしても、OHVらしい音はするもののあまり加速しなかったのです。つまりは、でかいものの、パワーが無くて安全、安楽なアメ車らしい車でした。この車を1週間借りて運転した経験が、15年後に海外研修で左ハンドル右側通行のアメリカやドイツでの運転に大変役立ちました。私が自分の車を持たない間に、母は金もないくせに悪い虫が騒ぎだし、悪い車ではありませんでしたから、四駆のレオーネで我慢していればよいのに、この車飽きたと売り飛ばしたと思えば、安かったからと、サバンナ・ロータリークーペなる中古の珍車を手に入れました。私も少し運転しましたが、小さな車体にロータリーエンジンを搭載していますから、加速は良かったのですが、RX7と違って、運転しても全く面白いところはなく、燃費は最悪で、リッター5キロを切りました。それ以上に危なかったのは、よくエンストしたことです。何度かやってコツがわかりましたが、この車、エンストしたら10秒ぐらい放置し、アクセル踏まずにセルモーターだけを回してやれば、一発ですんなりかかったのです。ところが、アクセルを踏んでしまうとなかなかかからないのです。笑い話ですが、会社の先輩で同じ車に乗っていた人がいて、踏切でエンストし、全然エンジンがかからず、警報機が鳴りだしたので、連れていた小学生の息子一人を車内に残して、車を押して踏切から脱出したことがあったそうです。母、サバンナのあと、妻の姉が乗っていた2代目のマークⅡをもらってしばらく愛用していました。この車、佐々木氏の社用車の一代前の車でしたが、3代目と違って操作系がすべて重い車(それでもハコスカよりは軽かった。)でしたが、しっかりしたいい車でした。流石トヨタです。さて、しばらく愛車なしで過ごした私が、初めて自分の稼ぎで手に入れた車は、ホンダ・シティでした。今考えると、シティを買ったのは完全に失敗だったと思いますが、当時CMを含めて話題になりましたし、面白い車だったので買ってみたのです。小さくて、シビックよりも車体がしっかりしていたところは好感が持てましたが、セミオートマにしたのも間違いの一つで、とにかく非力で走らない。坂道があるとどんどんスピードが落ちるし、高速のゆるい登坂なんて、後続車に迷惑かけますから、登坂車線のお世話にならないといけなかった唯一の車でした。そういえば、シトロエンGSに乗っていた大学の先輩も、高速の上り坂が恐怖だと言っていたなと思い出しましたが、GSはシティより二回りぐらい大きなボディーに、同じ1200㏄の小さなエンジンでしたから当然と言えば当然だったでしょう。シティ、燃費もよくなく、エコランが得意な私ですらリッター12キロが最高で、街中を普通に走ったら9キロぐらいが関の山でしたから、公称の10モード燃費20キロなんて大ウソつきでした。元々、国産車の10モード燃費はいい加減で、半分と考えると実態に合うケースもありました。その点、外車の10モード燃費は、実態に近い数値でした。ちなみに、大分たってから、日本のメーカーは、燃費をよくするために、計測車からは不要なものは何でもはずし、テストコースを箒で掃いて路面の抵抗も減らし、ひどいとブレーキもシートもない状態で計測していたことがばれました。シティ、当時住んでいた千葉から、北は福島、南は大阪まで走りましたが、あまりの非力さと燃費のしょぼさに半年で飽き、日産のサニー・ディーゼルに乗り換えました。この車、現在のクリーンディーゼルとは大違いで、ターボなしの1,700㏄ディーゼルエンジンを搭載していて、うるさいし、アクセル踏むとマフラーから黒煙は出るし、トラックみたいでしたが、さすがに燃費はよく、悪くて13キロいいと18キロぐらい走りました。しかも軽油は当時ガソリンの半額ぐらいだったのです。何といっても、ファミリーカーのサニーですから、オーソドックスというか、普通のファミリーカーの良さがある車でしたから、問題なく5年間乗りましたし、この車は、北は青森から南は大阪まで走り回りました。ここで、妙な縁で手に入ったのがトヨタ・ソアラでした。持ち主がバブルで破産し、120万で引き取ってくれないかと言われたので引き受けたのです。初代のソアラで、2,800㏄のエンジンに、本革シート、サンルーフ、車載電話(これは、当時めちゃくちゃ金がかかったので使いませんでした。)までついた豪華な車でしたが、この車、最初からいろいろ問題がありました。まず、引き取ろうとして東京まで取りに行ったのですが、バッテリーがあがっていて動かなかったのです。それで、充電器を持ち込んで充電し、動かしたら、今度は妙にぎくしゃくするのです。そして、よくよく見たら、タイヤも微妙に空気圧がバラバラで、引き取った東京から、働いていた栃木の那須近くの家(社宅)まで運転して帰ってから調べてもらったら、タイヤが1本パンクしていた(というよりも雑にパンク修理をしたので、エアが抜ける)ことも判明しました。ここで、フェアレディーZの時と同様の、私の特殊能力が発揮されます。運転していると、フェアレディーの時と同様の妙な違和感があったのです。大げさに言えば、運転席ドアーの位置を中心にボディーがくの字型にへしゃげたことがあったような感じがしたので、この車、事故車ではないかと指摘したのです。しかも、右のドアーあたりをかなり大きく損傷したためにドアーを取り換えているはずだとまで具体的に指摘したところ、元の持ち主、そんなはずはないと最初は否定したのですが、しばらくしてから、「あなたが指摘したとおり、くびにした従業員が運転していて右ドアに衝突されてドアーを交換する大きな修理をしたことがあったことが判明しました。私は運転しても全く気が付かなかったのに、よくわかりましたね。」と返答がありました。まあ、120万で引き取った当時、そのまま中古車販売店に売れば190万と言われた車でしたから、しばらくそのまま乗りましたが、当時のトヨタでは、ソアラは高級車種ならぬ高額車種だったはずですが、ボディー剛性はフェアレディーZ以下ではないかとおもうぐらいやわでした。笑うしかなかったのが、一家で妻の実家の福島まで乗って行った時に、ドアーを開けたら突風にあおられてバキッと音がして、ドアーがずれたことです。これ、結構修正するのは大変で、ドアーの下に毛布を置いてジャッキをかけて少しずつ持ち上げて位置を調整し、付け根のナットを締めなおして応急修理したのですが、トヨタに持ち込んだところ、信じられない答えが返ってきました。「ああ、風が吹いたらよくあることなんです。」つまりは、ドアーの取り付け剛性自体不足していると白状したようなものです。また、フェアレディーZと同じく豪華なオーディオが装着されていたのですが、これがまたよく故障したのです。修理に出すと1回1万円かかりましたから、2回目以降は自分で取り外して修理しました。今と違ってオートリバースのカセットデッキでしたから、一番多かったのは、駆動のゴムベルト切れで、仕事のついでに秋葉原の電気街でゴムベルト買って来て自分で修理できたのです。当時、仕事が忙しかった上にメンタルトレーニングの教官も務めることになり、残業しまくり出張しまくりの毎日でしたから、子供たちのために、家庭を預かる妻が免許を取って運転する必要が生じたのです。妻を教習所に通わせる傍ら、私がついて毎晩ソアラで近所の別荘地を回って運転の練習をさせました。妻は、田舎の高卒とはいえ、頭が良くて機転が利き、勉強でも大学に行かなかったことを教師に惜しまれた優等生でしたから、運転免許も学科、実技とも優秀な成績で一発で合格しました。そこで、2台必要になることもあるだろうからと、お買い得車で販売店に出ていたスズキの軽の「アルト」の新古車を買ったのですが、ここで私が、至極まっとうな理論を展開して周囲を驚かせました。と言っても何のことやらわからないでしょうから説明しますと、私は、免許取り立ての妻をソアラに乗せ、自分がアルトに乗ったのです。周囲の人たちが不思議がったので、私はこう答えました。「私は走行30万キロ超のベテランですし、運転のテクニックもあります。ですから、運転が下手な方が安全な車を運転する。それが当然です。」すると、メンタルトレーニングの教え子たちの中でも、仕事に成功していた人たちが、「安全な車に乗せることで、妻の運転の心配をしないですむなら安いものです。その分仕事にも集中できます。」と賛同してくれました。アルト、小さい車でしたが中は意外に広くて一家5人が乗れましたし、550㏄の小さいエンジンながら、シティよりも元気よく走りました。ただし、燃費はリッターカーよりも悪く、街中だとソアラよりは良かったもののリッター11キロ前後、最高でもリッター15キロぐらいでした。軽自動車、経済的なのは税金だけではないかと思います。結局、妻がアルトを運転することは一度もありませんでした。そのアルトの点検の時に、アルトワークスなる代車が来たことがあったのです。これ、軽にツインカムインタークーラーターボエンジンを搭載し、四駆モデルも用意した車で、私が乗ったのは丸目の2代目で四駆でしたが、ターボを効かせるとソアラより早く、しかもそのパワーに負けないようにボディーもある程度強化されていたようで、しっかりした車でした。この四駆、フルタイム四駆ではなく、ビスカスカップリングという流体継ぎ手みたいなもので、前後輪の回転差から四駆が必要になったと判断された時に後輪に駆動が伝わるものだったのです。でも、安っぽさはぬぐえませんでしたし、面白がって少し無茶してみましたら、前輪駆動から四駆に切り替わるのが微妙に遅れることもあって、後輪駆動のRX7とは違ったリバースステアが出ましたから、腕が無いと飛ばすと事故る車だなと思いました。続く。これらの車も、自分では写真を全く撮影していませんでしたので、興味を持たれた方は、ウィキペディアあたりを検索してみてください。