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テーマ:たわごと(26869)
カテゴリ:徒然
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本題: 「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」 上記の言葉を知っているか? 多分知らねぇだろうな、だってお前ら馬鹿だもん。 何となく「清貧」を連想させる言葉だが由来ははっきりとしたことはわかってない。 織田信長、豊臣秀吉、引っ越し業者の広告、夏目漱石など色々な説があるようが、どれも不確か。 起きて半畳寝て一畳は、人は必要以上の富貴を望むべきではなく、満足することが大切であるという教え。 人間が必要な広さは、起きている時が半畳で、寝ても一畳あれば足りる。 まぁ今は人の体も日清戦争の時代よりも背が高くなったので、1畳半は寝るのも立つのも必要だと思うがね。 要は行き過ぎた贅沢(ぜいたく)は慎むべきであるという教えなんだよ。 で「天下取っても二合半」天下取っても二合半とは、あまり欲張るなということだ。 天下を取っても、一食に二合半以上の飯を食うことはできない。 人間が生きて生活していくのにそれほど多くのものはいらない。 必要以上に多くを望んでも、結局使うことができないので意味がない。 それどころか持っているものに自分が縛られて個人の自由が狭まってしまう。それでは本末転倒。 人間はほっておくと際限のない欲に気づかないうちに縛られる。 欲をコントロールしてるつもりでも欲にコントロールされてしまう。 欲にコントロールされないためにもカビの生えたことわざは重要だ。 カビの生えるほど使い古された言葉は真理を表している。 正に「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半」なんだよ。 欲は人それぞれあるがボキはどんなに頭のいい奴でも無能でも、分相応を踏み越えるとろくなことがないと実感してる。 というよりもボキの場合は事故って身をもって実感させられました。 人の欲望は飽くなき果てなきもので、ゴールすれば次のゴールに向かってしまうどうしようもなく愚かな業を持っている。 どこかで満足しなければ死ぬまで欲望の奴隷となってしまう。 こうなると無限に続く地獄いるのと変わらない。 だから「起きて半畳寝て一畳」は生きてくる。 「起きて半畳寝て一畳」の言葉はじっくりと咀嚼しなければならない。 とはいえ艱難辛苦をゲロを吐くほど味わっていないオマエ等には無理だろ~ナ。 それに、「清貧をむねとして慎ましく生きろ」というのは、自分の可能性を自ら摘んでしまう可能性もある。 ここら辺は地獄の淵をのぞき込んだり、どっぷり地獄の釜茹でを味あわなければ加減が難しい。 人間というサルは幸福を追求する畜生である。 現代の社会に沿って良い職業に就いて高い年収を得てそれが幸福に直結するのであれば、ソレを否定する事は愚かなことだ。 しかし収入が直接幸福につながらないことは下僕のオマエ等もうすうす気づいてるんじゃないのか? 「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」は努力に冷や水を浴びせる言葉ではない。 幸福になろうとして勉強に励んだり利益を追求する人の勢いを止めることは愚かなバカ。 でも「起きて半畳寝て一畳」は今は形骸化しているのかと言うとそうではない。 一度地獄の三丁目までいったことのあるボキは、この言葉から汲むべき意図は、起きて半畳のスペースがあり、 寝るための一畳のスペースがあれば、それで良しと自分を納得せざるを得ない時もあるんだよ。。 本田技研にいた時は同棲するまでは一人で8畳+6畳の部屋に住んでいましたが、それだけ広ければ物も散らばりますし、掃除も大変。 人間というのは一人暮らしなら4畳半と日当たりのよいベランダがあれば十分なのです。 それにボキの場合は単車キチガイだから、あと屋根付きのガレージね。 どうせ「天下取っても二合半」については、それ以上贅沢な食生活をすれば、生活習慣病の発症にもなりかねない。 デブは万病のもと。「足るを知って」分相応に手狭な家と質素な食事をあえてする。 何でもできるこの世の中で、あえて不自由な選択する。 もしお前が障害を負って、世間の差別を浴びて生きていたら「生きている素晴らしさ」を感じるだろ?。 少なくともボキは不自由な中に自由があると感性を変えた。 人間は自己を肯定したり受け入れることができれば、その瞬間から幸せになれる。 無職だろうが病気だろうがどんな状況でも、現状を受け入れて初めて幸福感を享受することができる。 でも自分を受け入れられないバカは、どんな状況でも幸せを得られない。 いくらお金があろうが強靭な肉体があろうが魅力的だろうが、自己肯定できなければ基礎のない張りぼての豪邸のようなもの。 例えるならグラグラして安定感に欠ける南北朝鮮のビルだ!。 人間は自分を受け入れて初めて「幸せだ!。」と思えるんです。 言うは易しですがこれは結構難しいだよ。バカのオマエ等は身をもって実感してると思う。 「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」という言葉を額面通り、自分で咀嚼して取り入れることの可能な人は少ない。 いまの自分を受け入れて「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半」という言葉を滲ませる生き方をできる奴は少ない。 シンプルな考えを身につけることのできないアホばかり。 まぁ「起きて半畳寝て一畳」とはいうけれど、生きているだけで幸せだ思えなんてボキには言えないし、そんな説教もする気がないけどね。 だってそんな偉そうなことが言えるほどボキも一人前じゃないしね。 ありえない話かもしれんが自尊心が限りなく自尊心0が近い人がいたとしても、人の力で他人の考え方を無理やり変えるのは不可能。 その人が「変わりたい」という気持ちを、心の奥底から引き出す必要がある。 基本は傾聴して相手の身になって会話をする。あとは変化への導線をさりげなく敷く。 これしか思いつかない。 恵まれた家庭環境で行政・家庭・友人の3つの縁に恵まれたボキが、このような人の心に果たしてそどこまで寄り添えるかは不明だ。 それに無理に相手の気持ちに寄り添うほど人間出来ちゃいない。 でも、もし大切な人がそうなったら... ほんと手探りで、正直どうしていいかわからなくなってしまうだろう。 動機付けや心理学の本を読んだことはあるが、実務経験がそんなにないので自信はない。 ボキが思う不自由が当たり前が、相手にとっての当たり前じゃないんです。 目の前のバカは自己という基礎自体がほぼない状況なのですから。 理想を語るのは簡単です。 アドラーいわく「人は今この時点から幸せになれる」心のどっかでで理屈ではわかってる。 でもそれをすんなり受け入れるベースのある人とない人がいる。 個別にアセスメント(情報を収集・分析し、自立し解決すべき課題を把握すること。)して可能な限り無い脳みそ振り絞って介入していくしか、できないんです。 多分。 大切な人が、アイデンティティーの崩壊で立ちすくむことがあったら、僕は介入すると思います。 ボキは朝起きただけで「生きてる」って感じて、幸せだと思い幸運な人間であろうと考えようとしていますが、まだまだ未熟です。 そんな人間にボキもなれていないし、相手もそうじゃないんです。 自分が幸運だったら全てOKとは世の中は考えてくれません。 どうしたら自分以外の誰かに、「自分やボキを受け入れて楽になってもらえるか」これが目標です。 「足るを知る」は重要だし、難しい。
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2018年06月07日 15時50分27秒
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