私が、ちぃさんの安楽死を選ばなかった理由。
ブログ村↓ご協力お願い致します!にほんブログ村にほんブログ村この写真は、ちぃさんが亡くなる前日のものです。わたしがちぃの安楽死を選ばなかったのは、語弊があるかも、ですが、ちぃさんが死にたい、と思っていなかったからです。人が何らかの原因で安楽死を望む時、意思表示が出来ますが猫や犬や動物たちはそれが出来ません。だから、飼い主にその全権(命)が委ねられる事になります。ちぃの下顎の組織が徐々に崩壊し歯が抜け、口内が溶け、顎の骨が露出した時、さすがに安楽死を考えました。でも、痛みは鎮痛剤が効いてるのか余り無いようでしたし異常行動も特にありませんでした。大好きな、妻の顔を見るだけでゴロゴロ言う、ちぃさん。死ぬその日まで、ずーっと妻を見ていました。そんな、ちぃさんの気持ちを踏み躙るようなことは出来なかった。最後の最後までちぃさんの命が尽きるまで出来ることをしようと、思いました。いつかは、ちぃさんが死ぬ日が来る。死は免れません。それを安楽死で態々早める必要は無い、と判断しました。「猫 安楽死」で検索すると決行した方のブログや、コメントや逆に迷うくらいの数がヒットします。約1,340,000件くらいですかね。それと「猫 扁平上皮癌」で検索すると自壊した飼い猫の写真をまんま載せてる人もいて。話しは逸れますがちぃさんの尊厳の為にそういう酷い姿の写真はブログには載せないと、闘病当初から考えていました。なんとか、扁平上皮癌に勝ちたい、勝てなくとも引き分けでもいい。闘いながら何年も生きて欲しい。そんな思いもありましたし。色々な考え方がありますから安楽死を行った方を非難するとかそういう趣旨はまったく無いのですが真実を伝えたいから愛猫の崩れた顔の写真とか、血まみれのものとか、良かれと思ってらっしゃるかもですがわたしは負の意識を刷り込まれてしまった感じです。ちぃさんのお顔の自己崩壊だけはなんとしても阻止したかった。けど、最終的に最悪の結果となってしまいました。咽喉の近くまで組織崩壊で、お水を飲みたくても飲めない。お口にスポイトで入れてあげても嚥下できないわけです。それでも、ちぃさんは最後まで自力で水を飲もうとして水の入った陶器に顔を突っ込んで飲もうとしていました。癌特有の腐った臭いも酷いし膿んだ体液を部屋中撒き散らしちゃうし。毎日毎日吸水シートを取替え、土日には大掃除。朝は早く起きてちぃさんに時間をかけて給餌、給水。でも、そんなことひとつも苦じゃなかった。ちぃが、少しでも一分一秒でも長く生きられるなら。それこそずーっと続けたかった。最期は、家で大好きな妻の近くで死なせてあげたかったから。今も、ブログを書きながら涙が止まらんのです。家で、ちぃさんを看取っても、です。罪悪感もあります。後悔もあります。1ヵ月経っても、です。もし、ちぃさんを安楽死させていたらわたしの心は壊れてしまっていた、と思います。ちぃさんは最期まで、良い子だったんです。