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カテゴリ:おでかけ
いやぁ~昨日は体調もいまいちながら、楽しいひと時を過ごせたので、
少しは回復したかな???うぅぅーん、まだ喉痛いし痰絡む咳は出てるけど、 気分的には爽快だからいいかな??? 今日はパパさんもお休み~がしかぁ~し!!! パパは車が趣味??でして、ただ今製作中!! なので、パワー持て余すこの暴れん坊達とどうしようかと思ってたらが! 旦那側ジジから。 これから差し入れ持って行くぞーーーって! 来たら、、、。 最近なぜか恐竜好きな次男。その恐竜博物館?みたいなモンがあるってことで、 連れ出してやろーか??って。 初めは次男だけって言ってたんだけど、結局長男も行くことになり、 今うちの暴れん坊達は出かけて行きました^^ 母も今日は少しお寝坊させてもらったし、(ま、その分家事終わる時間も遅かったけど) お姫は鼻水の薬のお陰でねんねだし、一人の時間を満喫中であります^^ お姫が起きたらお買い物にでも行ってくる予定!!! はぁぁぁぁーーーそれにしてもあの二人がいないとなんて静かな我が家なんでしょう? さてさて長男の話を少ししてみますね?!あっ、少しじゃないからダルイ方はスルーしてねん。 うちの長男。予定日5日過ぎても陣痛もこないので、促進剤を使用してみたものの、 微弱な私。一晩耐えたあげく明け方に胎児が一時心拍停止に 生まれる気配もないし、急遽、帝切に!! 生まれたわが子は泣いたし抱っこ??胸に乗せてもらってパシャリ なんて微笑ましい雰囲気だった。ま、その間も縫い閉じる作業は続いてたけど・・・ ベットに戻っても一晩徹夜で陣痛に耐えたことと、術後ってことがかさなり、 えらい睡魔に絶えつつも、付き添っていた母や、仕事終わらせて駆けつけたパパさんなんかと 頑張ったね~なんてやり取りしてて・・ んでもって、パパがどっか行ったと思って戻ったら、、、。 「何だか呼吸おかしいとかで、救急車で別の行くみたいだから俺付き添うわ!!」 ん?なぬを??今なんて仰った???? その理解もできぬまま、パパは行ってしまい、私はとにかく睡魔に勝てず眠りに そのままパパは私のいる病院には戻らず・・・次の日だったかな?来たのは。 「お腹に居るときにうんちして、汚れた羊水飲んじゃってそれが肺に入り込んでる。 だから今NICUに入ってる」と。 「死んじゃうの?私の赤ちゃん!!」 素直にそう思ったのを今でも忘れません。 私がそんな風に産んでしまったんだ。 私は何をしてもうまくできない駄目な人間なんだと・・・ 胎弁吸引症候群って言います。 陣痛などのストレスに耐えられなくなると胎児はお腹に居るときにいきんでしまい、 その拍子にウンチが出てしまう。ここまではよくある話。が、、それを飲み込んでしまう。 これもよくある話。が・・・うちはそれが肺にまで入り込んでたから、呼吸が苦しいもの になってしまった^^; ちなみに右肺は全滅。左の3分の2まで入り込み残りの肺の わずかな隙間?で呼吸をしていたそう。NICUに運ばれて主治医となった医師は初め見たときに かなり重症との診断をしたようで、入院日数の予定もかなり長いものを予想してたそう。 この辺の話は退院時に聞いた話。 で、まず、人工呼吸管理をスムースに行うために、 麻酔ではない眠り薬で眠らせ、頭を動かさないようにヘッドホンのようなもので、固定し、 さらには心拍装置に足からは点滴。鼻からはチューブ。それはそれは衝撃的でえらい 光景だったとか。 パパはその姿見せられ病状聞いた後、ずっと病院の椅子で泣いてたそうです。 何時間かして泣き止んだ時、ふと気が付いたパパ。「俺、救急車で来て・・来たはいいけど、 帰る足がなくねぇ?」 自分の父親を呼んで迎えに来てもらい、私の居る病院に 停めてあった車で帰ったそうな。 その頃の私は後陣痛がかなりひどかったのと、傷口の痛みとひたすら戦っておりました^^ 出産の次の日聞かされた時はしばらくパニック。歩けるようになっても、みんなは 授乳の時間だわ~って赤子抱えているのに、私はひたすら絞るだけ。あんな切ない想い初めて! 今までお腹にいたわが子。それが急に出たと思ったら離れ離れ。早く会いたくても術後の 退院はまだまだ。もうひたすら絞って冷凍し、それを夜くるパパに託す。しかできず。 うちの子が入ってたNICU。都内の大学病院だったんだけど、そこは重症な子ほど奥にいる んだそうで、手前になれば退院近しってことで^^; うちの子は運ばれた当時、一番奥にいたそうです。 2週間して私が会いに行ったときは 真ん中辺りに来てて、その日ちょうど管が抜ける日だったようで、余計なもの見ずに済んだ のよねー?!パパには悪いけど^^; やっと抱っこしたわが子。小さくてしわしわな 小さな体が、生きようと頑張ってる姿。今でも忘れません。やっとこの日がきた!!ってね! その後毎日通いました。自宅でも母乳絞って冷凍して!! 面会時間ぎりぎりまで、ずーっと いました!!母乳がやたら出た私。初めから100とか平気ででる乳。早く直接飲ませられたら いいのにーーって思いつつ、出るから絞れる!これが出なかったら何もできなかったわけで、 出たわが乳に感謝です^^ その後の回復は早く、退院前検査を終えて結果を 聞く日。この検査で異常なければ明日帰れる!って日。その日にさっきお話したことを 伺いました。長男の回復力の速さに医師も驚かされたということ。 MRIも他も今のところ異常はないということ。そして最後に・・・ 今は何ともないから退院はできます。しかし、お腹に居るときに 心拍停止した以上少なくとも脳に酸素が行ってない時間がある。となると後遺症として 脳に障害が出てもおかしくないし、この先のことは医師も分からないと。 障害が出る目安として6歳くらいだったの。それまでにでなければほぼ大丈夫だろうと。 だから、去年の誕生日はね!私にとってはある意味節目であり、重いものでした。 でもねー障害が~って言われたとき心の底から「障害があろうとなんだろうと生きていてさえ くれたらなんでもいい!!私のかわいいわが子にはかわりない!!!もう、障害だろうが なんでも来い!!」って思った。 こんな体験を初の出産で経験した私達家族。 新生児のあの小さな体で生きようとする生命力のすごさに驚かされ、自分を責めることでしか 自分を支えられなかった自分が恥ずかしくもあり・・・ そんな経験をつんだ今、正直次男のアレルギーとか、娘の疾患とか色々あるけど、 ま、その現実を受け入れるまでは泣いたり戸惑ったり色々不安だったりしてたけど、 最終的には生きるか死ぬかじゃないだけありがたいって思えるのよね!! お姫を産んでまもなくパパが「あのね~足の指がくっついてるみたいよー でも、死ぬわけじゃないし、手術すればいいんだって!!じゃ、俺帰るな~」 って。そりゃ~あっさり!!私も「あっ、そうなんだ!!生きてるならOK」 って!!もちろんその後、またもや、こんな風に生んだ~的な自分責めしましたよ^^ お恥ずかしい^^;でもでも!!なんですね?!子がいつもそこにいて、みんなが揃ってる 幸せ。手を伸ばせば抱ける幸せ!!それがあればもう何でも来い!!そうやって 私達夫婦は強くなってったように思います。そしてそんな時こそ夫婦力を合わせて 支えあうことが必要なんだってことを教えてもらった気がするなぁ^^ そんななんで、今でも仲良し夫婦です^^なんでも相談できるし愚痴も言い合える 親友でもあり、人生のパートナーでもあり、子の父母でもあり・・・(あっ、のろけっぽい^^; 失礼~~」 ま、そんなことがあったもんで、昨日の7歳はまたまた重いものなので ありますよ。そんなことあったことも覚えてない地長男は今日も暴れまくりの いたずらっ子ですけどね^^ 私も怒鳴りまくりですが、幸せよ また来年も無事迎えようね!誕生日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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