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宮 寿陵

宮 寿陵

2016/07/09
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テーマ:洋楽(3362)
カテゴリ:音楽と人


プロローグ


マイケル・ウィリアム・マッサーは1941年3月24日、イリノイ州シカゴ生まれ。独学で音楽への情熱を膨らませつつも、両親の意向に従いビジネスの世界へ。若くして株の仲買人として成功し、ニューヨークの一等地(パンナムビル)のオフィスに通い、9部屋の高級アパートメントに妻子と暮らし、農場を所有。しかし彼の心は満たされず、それらすべてを捨て音楽の世界に飛び込む。デモテープがハリウッドの大御所作詞家ジョニー・マーサー(「ムーン・リバー」「酒とバラの日々」など)に認められ、カリフォルニアにある彼のゲストハウスに身を寄せる。


1.Touch Me In The Morning / Diana Ross (1973)
作詞:Ron Miller
レーベル:Motown

ジョニー・マーサーに連れられて行った業界関係のパーティーでデトロイトから西海岸に拠点を移していたモータウンに声をかけられ、モータウンの金看板であるダイアナ・ロスへの楽曲提供というチャンスをつかむ。主に60年代(少年期)のスティービー・ワンダーをサポートしていたモータウン専属のソングライター、ロン・ミラーと組んだこの曲で作曲家デビュー。ダイアナ・ロスにとってスプリームスを脱退後のソロとして2曲目のビルボード1位となる。数多くの候補曲の中から選ばれる必要性からか、スタンダード志向の彼には珍しく非常に凝った曲構成となっている。


2.Theme From Mahogany (Do You Know Where You're Going To) / Diana Ross (1975)
作詞:Gerry Goffin
レーベル:Motown

ダイアナ・ロス作品の作曲家としての実績を着実に積み上げ、彼女の2作目の主演映画「Mahogany(マホガニー物語)」の音楽担当に抜擢。キャロル・キングとのコンビで60年代にヒット曲を量産したジェリー・ゴフィンが作詞を手がけた主題歌はダイアナ・ロス3曲目のビルボード1位となり、アカデミー賞の主題歌部門にもノミネート。作曲家としての地位を確固たるものとする。マイケル・マッサー楽曲の特徴がみごとに花開いた曲でもある。


3.Ali Bom-ba-ye / Michael Masser & Mandrill (1977)
(※Instrumental)
レーベル:Arista

「マホガニー物語」の音楽を高く評価したトム・グリース監督に声をかけられ、モハメド・アリの自伝を基にした本人主演(!!)の映画「The Greatest」の音楽を担当。アフリカのリズムと高らかに鳴る管楽器で気分が高揚するこの器楽曲は、前年に異種格闘技戦をおこなったアントニオ猪木に寄贈したとされ、猪木のテーマ曲「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」として日本では有名。「ボンバイエ」はザイール(現コンゴ)の首都キンシャサでのジョージ・フォアマン戦(もちろん、この1974年"キンシャサの奇跡"が映画のハイライト)での声援「Boma ye」(リンガラ語「やっちまえ」)が訛ったものと言われている。サウンドトラックの発売元はアリスタ。これを機にアリスタとの関係が深まる。


4.The Greatest Love Of All / George Benson (1977) → "Greatest Love Of All" / Whitney Houston
作詞:Linda Creed
レーベル:Arista

映画「The Greatest」主題歌。捨て身で飛び込んだ音楽の世界で幸運なスタートを切り、成功を手に入れた。しかしそれは多くの作曲依頼をこなすことに追われ消耗する日々の始まりでもあった。彼は疑念を抱き、リフレッシュするために旅に出る。向かった先はエルサレム。ユダヤ系である自らのアイデンティティを再確認し、そして他人の考えではなく自らの考えで行動し何よりも自分自身を愛さなければならないことに気付く。オリンピックで金メダルを獲得しても故郷のケンタッキーでは黒人であるというだけで差別されることに怒りメダルを川に投げ捨て、ベトナム徴兵を拒否したためにヘビー級チャンピオンの座とプロボクサーのライセンスを剥奪されても自らをグレイトの中のグレイト「ザ・グレイテスト」と呼び戦い続け王者に返り咲いたモハメド・アリ。マイケル・マッサーから作詞の依頼を受けたリンダ・クリードは、アリの生き方とマイケル・マッサーがイスラエルで得た考えを重ね合わせる。一方で、70年代前半にスタイリスティックスの「誓い(You Make Me Feel Brand New)」「You Are Everything」をはじめとするフィリーソウルの若き作詞家として成功を収めた彼女は、この直前に当時まだ20代で乳癌を告知される。残り少ないかもしれない人生への決意、あるいは残していく家族へのメッセージとも読み取れる。

 信じてる 子供たちは俺たちの未来だ
 うまく教えて 道案内して
 示してあげて 彼らが内に有するすべての美
 自尊心を与えて そしたら楽になるさ
 子供たちの笑いで 自分がかつてどうだったか思い返し

 誰もがヒーローを探してる
 人々は尊敬できる誰かが必要
 俺はそれを満たす人は誰も見つけられなかった
 孤独な所にいる
 だから自分に頼る術を学び

 はるか昔に決めたよ
 決して誰かの影を歩かないと
 もし失敗したって もし成功したって
 まがりなりにも 信じるように生き
 たとえ何を 俺から奪ったとしても
 尊厳を奪い去る事はできない

 なぜなら グレイテストな 愛情
 が、起きている 俺に
 見つけたよ グレイテストな 愛情
 自分の中に
 グレイテストな 愛情
 を獲得するのはたやすい
 自分自身への愛を学ぶ
 それが グレイテストな 愛情

 (繰り返し)

 そしてもし偶然 あの特別な所
 お前が夢見ていた所が
 お前を孤独な所へ導いたなら
 強さを見つけるだろう 愛の中

1984年。アリスタ・レコードは契約した大型新人を業界関係者にお披露目するためのライブを拠点とするニューヨークでおこなう。そこに招かれたマイケル・マッサーは、自らが作った曲を耳にする。ホイットニー・ヒューストンが歌う「The Greatest Love Of All」に強い感銘を受けプロデュースを引き受ける。新人ホイットニー・ヒューストンのバージョン(The の取れた)「Greatest Love Of All」は、彼が手がけた中で最大のヒット曲となる。ホイットニーのミュージックビデオの舞台はニューヨーク、ハーレムにあるアポロ・シアター。黒人ミュージシャン(特にNY郊外と言っていいニュージャージー州出身のホイットニーにとっては)憧れの舞台。スターとしてその舞台に立った現在のホイットニーが夢に向かって走っていた幼い頃を回想するという筋書き。実の母親であるシシー・ヒューストンが温かく見守る母親役を演じている。


5.Saving All My Love For You (すべてをあなたに) / Marilyn McCoo & Billy Davis Jr. (1978) →
Whitney Houston (1985)
作詞:Gerry Goffin
レーベル:Columbia→Arista

60年代に人気を博した5人組男女混合コーラスグループ、フィフス・ディメンションから夫婦そろって脱退したマリリン・マックーとビリー・デイビス・ジュニアのデュオに提供した、ジャズの要素の強い曲。しかし脚光を浴びたのは1985年のホイットニー・ヒューストンのカバー。この曲から7曲連続ビルボード1位という快進撃となる。家族のいる男性との不倫を歌うには35歳のマリリン・マックーよりも22歳のホイットニーの方が当然インパクトがあるのだが、イメージ悪化という親族の懸念を跳ね飛ばすほどのホイットニーの歌唱(グラミー賞 Best Female Pop Vocal Performance 部門を受賞)が、この流麗なメロディーを不朽のものとした。


6.Some Changes Are For Good / Dionne Warwick (1981)
作詞:Carole Bayer Sager
レーベル:Arista

顧問弁護士としてコロムビア・レコード入りし、人材獲得で辣腕を発揮し社長に登りつめたクライヴ・デイヴィス。1973年に解任されるが翌年にはベル・レコードに迎え入れられ、アリスタ・レコードと改称。彼の力により多くの大物歌手が移籍してきます。60年代を代表する存在であるディオンヌ・ワーウィックも、そのひとり。マイケル・マッサーも曲を提供しますが、さらっとした歌い方が持ち味の彼女と壮大な楽曲の相性が良いとは言えず結果は残せませんでした。しかし彼女の姪(移籍組の最大の大物であるアレサ・フランクリンのバックコーラスも経験したゴスペル歌手シシー・ヒューストンの娘)ホイットニー・ヒューストンの存在を考えると、めぐり合わせの数奇さを感じます。


7.Tonight, I Celebrate My Love (愛のセレブレイション) / Peabo Bryson & Roberta Flack (1983)
作詞:Gerry Goffin
レーベル:EMI

「愛は面影の中に」(1972)「やさしく歌って」(1973)で2年連続のグラミー賞の最優秀レコードという史上初の快挙をなしとげ、ダニー・ハサウェイとの数々のデュエットもヒットさせたロバータ・フラック。ダニー・ハサウェイが1979年に亡くなった後、デュエット相手に抜擢したのは12歳下のピーボ・ブライソン。完璧を求めるマイケル・マッサーの厳しい指導の結果、ピーボ・ブライソンはデュエット歌手としての地位を確立し、「美女と野獣」(1991)「アラジン」(1992)とディズニー映画のデュエット主題歌に欠かせない存在となる。


8.Hold Me / Teddy Pendergrass (duet with Whitney Houston) (1984, 1985) ← "In Your Arms" / Diana Ross (1982)
作詞:Linda Creed
レーベル:"In Your Arms" / RCA, "Hold Me" / Asylum→Arista

ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツのリード・シンガー、あるいはソロとして、70年代にセクシーなソウル歌手として人気を集めたテディ・ペンターグラス。交通事故で下半身不随となり、そこからの復帰作のプロデュースをマイケル・マッサーに依頼。ダイアナ・ロスに提供した曲をデュエット曲に作り変え、正式デビュー前のホイットニー・ヒューストンを(レーベルをまたいで)相手役に抜擢し、みごとヒット。ホイットニーのデビュー・アルバムにも再録される。


9.You're Still My Man / Whitney Houston (1987)
作詞:Gerry Goffin
レーベル:Arista

デビュー・アルバム『Whitney Houston(そよ風の贈りもの)』では10曲中もっとも多い4曲の作曲・プロデュースを担当。セカンド・アルバム『Whitney(ホイットニーII〜すてきなSomebody)』は11曲中7曲を担当したナラダ・マイケル・ウォルデンが中心となりますが、マイケル・マッサーも質の高い2曲を提供。より高い評価を受けたのは通算5曲目の1位となりグラミー賞の最優秀楽曲にノミネートされた「Didn't We Almost Have It All」ですが、個人的な好みで、シングル・カットされていないこちらを選曲。楽曲は小粒な感じだが、どこまでも伸びて行くようなホイットニーの素晴らしい歌声は彼女のレコーディング作品でのベスト。


10. Nothing Gonna Change My Love For You (変わらぬ想い) / Glenn Medeiros (1986,1987) ← George Benson (1984)
作詞:Gerry Goffin
レーベル:Warner→Mercury

ジョージ・ベンソンの名作アルバム『20/20』(ワーナー)に収録されたシンコペーションの心地よい曲。ハワイのタレント・コンテストで当時15歳のグレン・メデイロスが歌い優勝。翌年に同曲でインディーズ・デビュー。ラジオで人気を呼び、メジャー・レーベルのマーキュリーと契約。ビルボード12位(1987年)、イギリスでは4週連続1位(1988年)の大ヒットとなる。


11. Miss You Like Crazy / Natalie Cole (1989)
(Preston Glass との共作)
作詞:Gerry Goffin
レーベル:EMI

ナット・"キング"・コールの忘れ形見という話題性とその名に恥じぬ実力で70年代半ばに華々しくデビューするも、その後低迷したナタリー・コール。ブルース・スプリングスティーンのロックンロール「ピンク・キャデラック」を流行のディスコサウンドに乗せてカバーというなりふり構わぬ形で前年に息を吹き返し(ホップ)、この曲では一転してポップ・バラードを歌いヒットを飛ばす(ステップ)。ビルボードのR&B部門とアダルト・コンテンポラリー部門で1位(総合チャート7位)、全英2位。マイケル・マッサーの厳しい指導とそれに見合う成果が2年後の特大ジャンプ、偉大な父という切り札を使った(生前の録音とのデュエットを含む)ナット・キング・コールのカバー集『アンフォゲッタブル』での栄冠(ジャズとしては異例のビルボード(5週連続)1位およびグラミー賞主要3部門独占)につながる。


12. Greatest Love of All ("That's What Friends Are For : Arista Records 15th Anniversary Concert") / Whitney Houston (1990)
作詞:Linda Creed
レーベル:Arista

エイズ・チャリティを兼ねたアリスタ・レコード創設15周年記念イベントにおける圧倒的な歌唱。イベント名はエイズ基金へのチャリティーとして1985年にアリスタから発売された<ディオンヌ&フレンズ>名義(ディオンヌ・ワーウィック,エルトン・ジョン,グラディス・ナイト,スティービー・ワンダー)の「That's What Friends Are For (愛のハーモニー)」に由来(ビルボード4週1位・年間1位,グラミー賞最優秀デュオ/グループ部門受賞)。(それだけの逸材だったからではあるが)周囲のお膳立てで一気に大スターになったせいか、ホイットニーのライブの出来にはムラがある。しかしそうやって手塩にかけて育てられたレーベルへの恩返しの場であり、なおかつチャリティという最高の舞台での超本気モードは圧巻。原曲にちなんで例えるならばスポーツ選手のタイトルマッチのような、抜きん出た才能を持つ若者のみが放つ輝きに満ちた(そして短い後半生を考えると、なんと儚い)7分間です。


エピローグ

リンダ・クリード…1986年4月、37歳で死去。ホイットニー「Greatest Love Of All」はアルバムが1985年、シングル・カットされたのが1986年の3月。リンダ・クリードが作詞した曲として初のビルボード1位になったのは亡くなった翌月の5月。

ダイアナ・ロス…「ビリー・ホリデイ物語」、前述の「マホガニー物語」、主要なスタッフ・キャストがすべて黒人という”オズの魔法使い”「ウィズ」(かかし役のマイケル・ジャクソンと音楽監督のクインシー・ジョーンズという『スリラー』コンビはここで出会う)。拠点をデトロイトからロサンゼルスに移してまで取り組んだモータウン=ダイアナのハリウッド進出は、4作目の企画をダイアナが拒否したことで途切れてしまう。流れた企画は転々とし、ケビン・コスナーの手に渡る。コスナーは自らもプロデューサーの一員に加わり、演技未経験のホイットニー・ヒューストンをヒロイン役に招く。それが「ボディガード」。

ホイットニー・ヒューストン…1992年公開の『ボディガード』およびサウンドトラック(マイケル・マッサーは関与していない)で絶頂を迎え、同年のボビー・ブラウンとの結婚を経て90年代までは人気を維持するが、2000年代に入るとドラッグや夫の暴力などスキャンダルばかり目立つようになる。2006年に離婚が成立し、ドラッグのリハビリもおこない、2009年にクライヴ・デイヴィスがプロデュースし持てる力を注ぎ込んだアルバムを発売して復活を印象付ける。しかしかつての伸びやかな声は失われ、私生活のトラブルも続く。2012年2月11日、クライヴ・デイヴィスが主催するグラミー賞授賞式の前夜パーティに参加するため滞在していたホテルで、コカインによる心臓発作により浴槽で溺死。48歳。ひとり娘ボビー・クリスティーナ・ブラウンも3年後に同じ死因により22歳の若さで亡くなる。

クライヴ・デイヴィス…1987年、アリスタはRCA(旧ビクター)と共にドイツのベルテルズマンに買収され、BMG(ベルテルズマン・ミュージック・グループ)の一部門となる。辣腕ゆえか敵も多く、自ら立ち上げたアリスタを親会社BMGの意向で2000年に解任。しかし実力は折り紙つきで、別部門Jレコードを立ち上げ成功しBMGの重役となる。。CD売上げ減少に伴う大規模な業界再編(BMG売却)に伴うリストラにより、2011年にアリスタ・Jレコードともにソニー・ミュージックに吸収され、消滅。現在はソニー・ミュージックのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務める。

マイケル・マッサー…ヒップホップおよび その影響下の音楽が主流となり、彼の持ち味である(彼はユダヤ系なので当然なのだが)黒人らしさの少ない万人受けするブラック・ミュージックは90年代以降は過去のものとなってしまう。2007年にソングライターの殿堂入り。2015年7月9日、3年間の闘病の末、74歳で死去。





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Last updated  2018/01/20 01:16:28 PM
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