Mizumizuのライフスタイル・ブログ
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演技・構成点が、他の選手に比べて妥当かどうかという問題なら、たとえばコストナー選手への評価はどうだろう? 驚くぐらい伸びるスケート技術を披露し(滑る技術で言ったら、女子ではコストナーが世界一ではないだろうか)、独創的で、キム選手以上に成熟したエレガントな演技で観客を魅了した銅メダリストの演技・構成点は73.77点。世界中のファンや有名スケーターがこぞって絶賛した浅田選手は69.68点だ。浅田選手は失敗したリプニツカヤ選手の70.06点より0.38点低く、ほぼ同じ仕分けになった…もとい、ほぼ同じ点しか出なかったのだ。15歳の少女と、ですよ?それは「滑走順」のせいだとスケート関係者は言う。日本スケート連盟名誉レフリーの杉田秀男氏は、「正直にいって得点はもう少し伸びてもおかしくない。演技順が早かったことで、演技構成点が抑えられたのだろう」と当たり前のように書いているし、佐野稔氏は、次のように述べている。http://no-border.asia/archives/19414●低く抑えられた得点は、滑走順の影響かそれほど見事だったのに、フリーの得点だけを較べても、浅田はアデリナ・ソトニコワ(ロシア)とキム・ヨナ(韓国)に及びませんでした。正直なところ、演技構成点については、もっと高くて良かったのではないかと、私も感じています。それでも、浅田の得点が低くなった理由のひとつには、滑走順の影響があったように思います。彼女は第2グループの最終滑走でした。それまでに滑った11人の選手とは、明らかに演技のレベルが違っていました。ですが、採点する側の心理を考えたとき、すでに滑走を終えた11人との比較で、ひとりだけあまりに飛び抜けた点数はつけにくい…といった気持ちが、点数を抑える方向に働いたのではないでしょうか。<引用終わり>滑走順がどうのとういう説明は、現実にはそういうことはあるかもしれないし、そういうこともあるのだと現場のスケート関係者が思っているだけのこと。そのこと自体を間違っているとか正しいとか言うつもりはないが、絶対評価という原則から見れば、「滑走順で抑えられた」という説明には正当性はない。むしろ、そういうことはあってはならないハズだ。佐野氏の結論は、結局はこうなる。もし仮に、最終滑走グループのなかに入って、浅田があのフリーの演技をしていたら、違う得点になっていたのかもしれません。そうした「不確定な要素」が結果を左右することは、人間が採点する競技である以上、ある程度仕方のないことです。もちろん、はたして最終滑走グループだったときに、浅田があの演技をできていたのか。それは誰にも分からない話です。また、その滑走順にしても、SPでの浅田の失敗に拠るものです。案外浅田本人は、周りが感じているほど順位や得点に対して思うところはなく、自分が集大成と決めた舞台で、納得のいくスケーティングができた達成感のほうが大きいのかもしれません。確かに、金メダルが目の前にぶら下がった状態で、浅田選手にあの演技ができたかどうかは、わからない。だから「滑走順が違っていたらば、もっと点が出ていただろう」というのは、無意味な仮定法で、ただ、「演技・構成点がメダリストに比べてかなり低かった」という、得点を見て一般人が(当然)疑問に思うであろうことを後付で説明するために言っているにすぎない。「あの演技でフリー3位なの?」というのは、しごくもっともな疑問だと、Mizumizuも思う。絶対評価を謳うシステムなのに、自国選手に理不尽な点が出ても、このように「仕方がない」と言って済ませているのが日本のスケート関係者だ。あげくに、選手は採点に思うところはないなどと決めつけて、はい終わり。選手本人が言えるわけないでしょう!キム・ヨナ選手のセリフではないが、選手が採点に納得いかなかったら、どうしろと?佐野氏は回転不足判定には「運」「不運」があるという。NHK杯の織田選手への判定について。http://no-border.asia/archives/16451織田の4回転トゥループと、成功と判定された高橋の4回転トゥループを比較しても、回転そのものに大きな違いがあったようには思えません。ですけど、ふたりがジャンプしたリンク内の地点は、まったく別のところでした。もしかすると、判定に使用するカメラの位置からだと、織田のジャンプが回転不足に見えたとしても仕方ないような角度だったのかもしれません。あくまで私の推測ではありますが、こうなってくると「運」「不運」の範疇になってしまいます。ですが、それもまたスポーツを構成する要素の一部だと言うしかありません。あっちから見ると回転不足に見え、こっちから見ると回転が足りていたように見える…そんな不確かな条件で、一方向から見たカメラのみで判定するのは無理があるのではないだろうか? それならば少なくとも判定に使うカメラ数を増やすなど、判定の信頼性を高める努力をすべきなのに、そういった提言はスケート関係者からついぞ聞かれることはない。これが他のスポーツだったらどうだろう? 判定は覆らないとしても、あとからさまざまな角度から見て審判の判定を検証するということは普通になされている。そうやってより精度の高い判定を目指し、審判に対する信頼を高める努力をする、それが正しいあり方ではないのだろうか? 現行のルールで非常に大きな減点となる回転不足判定について、自国の選手が不利益をこうむっているのに、「運が悪かった。これもスポーツ」で片づけていいのだろうか?セルジオ越後のような人から見れば、まさにこれが「臭いものに蓋」になるのだろう。以下、「日本人はなぜフィギュアの採点を議論しないのか」というコラムからの抜粋http://news.livedoor.com/article/detail/8567677/ブラジル滞在中に感じたことの一つに、日本とのスポーツ番組のテイストの違いがある。例えば国内リーグの試合後に放送される討論番組では、1時間たっぷり、延々と激論が交わされる。番組時間が突然延長されることもザラ。きわどいオフサイド判定があろうものなら、そのシーンを何度も何度もリプレーしながら、ああでもないこうでもないと騒ぐ。批判的な時は、辛口なんていうレベルを超えているよ。とにかく本音なんだね。翻って日本は、ハイライト番組と応援番組が主で、コメントは本音よりも建前だ。采配ミスや判定ミスがあったことは、思っていても口に出さない。Jリーグや日本代表のニュースで、きわどいオフサイドシーンに触れられることがあるだろうか。臭いものに蓋、触らぬ神に祟りなし、という言葉がある国民性からか、どうもそういう話題は奥に押し込めてしまうよね。議論をして相手に意見を言うと、その相手のことを嫌いなのかと思われてしまう。これじゃあ議論にならないよね。もう一つ、日本のスポーツ報道は、そのスポーツそのものよりも周辺のドラマ性ばかりに注目する。延々とサイドストーリーが語られる箱根駅伝もそう。浅田真央の快演で感動を呼んだソチ五輪のフィギュアスケートにしても、プレー分析やライバルとの採点の付き方の比較といった、競技そのものについての言及はほとんどなく、とにかく感動ストーリーだけが拡散される。なぜもっと議論しないのか。
2014.02.27
キム選手とソトニコワ選手の演技・構成点は、74.50点と74.41点で、0.09点差。それぞれのコンポーネンツで、複数のジャッジの総意として出てきた得点(1.6の係数をかける前)は、以下のとおり。 キム ソトニコワスケートの技術 9.21 > 9.18つなぎのステップ 8.96 = 8.96演技(パフォーマンス) 9.43 = 9.43振付 9.39 < 9.50音楽との調和(解釈) 9.57 > 9.43これで見ると、スケートの技術と音楽との調和ではキム選手のほうが上、振付ではソトニコワ選手が上。つなぎとパフォーマンスは同レベル…と演技審判が判断したことになる。スケートの技術と音楽表現では、成熟したスケーターであるキム選手に軍配が上がったが、プログラムのなかでのつなぎは両者に差はなく、パフォーマンスでほぼ同等の評価。あれほど観客を熱狂させてソトニコワ選手のパフォーマンスだが、ジャッジは冷静に、2人のパフォーマンス力に差はないと評価した。そして、振付。これは好みが入るが、今回はジャッジは、ソトニコワのプログラムのほうを評価したようだ。点差と他のスケーターへの評価をひとまず考えないとして、この2人に対する順位付け(2人のうちのどっちが優れていたか)に、何か「疑惑」があるだろうか?キム選手は、よく伸びるスケート技術をもち(今回、後半はかなり失速していたが)、深いエッジにのり、緩急のメリハリが見ていて心地よい滑りに、ダイナミックな腕の表現と印象的なポーズを織り交ぜ、大人の女性の演技をした。ソトニコワ選手は多少荒削りながら、若々しいエネルギーと勢い、ハートをわしづかみにするようなアピール力をもつ直情的でチャーミングな演技をした。今回、キム選手の演技・構成点が伸びなかった理由として、中庭氏は「言い方は悪いですが、キム・ヨナ選手のプログラムには“スカスカ感"がありました」と述べている。こちらの記事http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&id=2773755「プログラムの構成が、大きく違いました。ソトニコワは、基礎点で、約4点も違うほど、難易度の高い構成にしています。3連続ジャンプの最後にバランスを崩しましたが、マイナス1からマイナス2という程度の減点で大きな影響を与えるものではありませんでした。言い方は悪いですが、キム・ヨナ選手のプログラムには“スカスカ感”がありました。男子もそうでしたが、女子でも、技術点で勝負がついたと感じました。決して疑惑の判定などではないでしょう。GOEに関しても、ソトニコワ選手のジャンプには高さがありましたし、スピンにおいても、スピードでキム・ヨナ選手のそれを上回っていました。プログラムコンポーネンツ(演技構成点)のソロニコワの得点については、少し高いのかな?とも思いますが、これは許容範囲でしょう」「スカスカ感」…苦笑…それは昔からのこと。彼女の欠点はまさにそれだろう。ショートはいいのだが、フリーになると、なにかしら、「技術的には最低限のことしかやっていない」というような物足りなさがある。滑りはなめらかだし、ポーズはピシッと決まって綺麗なので、初見ではインパクトはあるが、何度か見ているうちに淡白さや退屈感を覚える。もともとの欠点に、さらに拍車がかかったということだろう。たとえば、フリー終盤に見せたスパイラルのポジション。現在は必須ではないが、多くの女子選手がこの「足あげポーズ」では、大いに美しさを魅せてくれる。ところがキム選手は足をあげたかと思ったらおろしてしまった。「こんなところで体力消耗したくないわ」とでも言わんばかりだ。点が伸びないと、どうしても演技のマイナス点を指摘しなければならなくなるが、要するにそれは後付の説明だ。これで逆に点が出ていたら、キム選手のもつプラス面を変に強調して説明しなければならなくなる。「圧倒的な差」がついたら、ますます解説者は説明に窮するというものだ。バンクーバー五輪のとき、本田氏は「これはジャッジが付けた点なので」と何度も繰り返し言っていた。まさにほかに説明のしようがない。だが、今回ソチ五輪での本田氏は、ジャンプと出来栄えの説明もルールに則って明快でわかりやすく、男子シングルフリーでは、チャン選手のフリーが「182点…出ない…と思いますけど…」と点が出る前にかなり正確に予想できていた。「トータルパッケージ」なんたらで、演技・構成点が変に伸びたり伸びなかったり、自由自在(苦笑)の試合のほうが、よほど「疑惑」があると思うが、どうか。さて、今回の女子フリーに話を戻して。0.09点差とはいえ、演技審判団の総意としての評価は、キム選手のほうが上でソトニコワ選手に勝っていた。その差がつかなかったのがおかしいというなら、では何点差だったら「正確」で、「疑惑なし」なのだろうか?3点差? 5点差? 8点差?たとえば8点差ならキム選手が金メダル。その場合、もしロシアが「点差は妥当ではない」と言い出したら、逆にそれを論破できるだけの「客観的な論拠」はあるのだろうか? 韓国人審判なら、「8点ではまだ点差は少ない。キム・ヨナは別格で圧倒的な表現力があるから、ジャッジはキム・ヨナの演技を見るだけで光栄なのだ。今回はむしろ低すぎた」ぐらいのことは言うかもしれない。だが、それを客観的に裏付けるだけの証拠は? どちらにしても印象という主観をぶつけあうだけの水掛け論になる。Mizumizuは今回の2人に対するこのジャッジングは、むしろ非常に公平だったと思う(あくまでキム選手とソトニコワ選手に対してだけで、他の選手に対してもそうだったと言っているのではない)。少なくとも金・銀を争う世界トップのアスリートに対する評価では、主観の入る演技・構成点に「順位はつけるが差をつけない」という姿勢のほうが、客観性を重んじる現行のシステムの理念にも適う。これはバンクーバー五輪に向けて、採点が「狂いだした」ころから、Mizumizuが繰り返し主張してきたことだ。主観点である演技・構成点でジャッジが順位づけをするのは仕方ない。現行システムは、「絶対評価」がタテマエだが、それは机上の空論に過ぎない。現実問題としてジャッジはどうしても、過去の同選手の演技あるいは他の選手の演技と「比較」しなければ評価のしようがない。だから、そこに恣意的操作の入り込みやすい「点差」は、極力つけるべきではないと。今回はジャッジはそうしたのだ(繰り返すが、あくまでトップ2選手に対してだけだが)。現行のシステムにおける演技・構成点は、「絶対評価」でジャッジが7.5とか8.25とか、それぞれがバラバラに点をつけているだけに見えるが、実は問題なのは、他の選手との「点差」なのだ。本田氏が団体戦のプルシェンコのショートのあと、点が出る前に、「これが基準になる」「これでわかる」と言っていたと思うが、要するに、そういういこと。有力選手を「基準」にして、それとどれくらい点差をつけていくかというのが重要なのだ。これがたとえば、キム選手が今シーズン、メジャーな試合に出てきて、何度もソトニコワ選手と対戦し、ソトニコワ選手がいい演技をしてもいつも圧倒的に、たとえば5点とか8点とか演技・構成点で「点差」をつけていたというなら話は別かもしれない。それならそこで「評判」が作られるから、今回、双方の選手が最高に近い演技をしたのに、点差がつかなかったのはおかしい、と主張することはできるかもしれない。それもこのごろは、絶対評価の理念などかなぐり捨てて、「違う人がジャッジしてるから」で片づけられてしまうが(苦笑)。だが、ともかく最近の対戦実績があればまだ参考にもなるが、リプニツカヤ選手じゃないが、最近キム選手が出たのはB級大会だけなのだ。となれば、今回いきなり出てきたキム選手への評価が、「キム・ヨナ選手を評価する人」から見て低かったからと言ってクレームをつける根拠にはならないだろう。そもそもソトニコワ選手との点差がわずかだったとはいえ、フリーではトップの演技・構成点をもらっている。世界選手権覇者にふわさしい評価ではないだろうか?<以下、後日>
2014.02.26
ソチ五輪終了。フィギュアスケートの記事でまっさきに書きたかったのが、浅田真央選手のフリーの「圧巻」を通り越した演技だ。長くフィギュアスケートを見ているMizumizuだが、彼女のラフマニノフは間違いなく史上最高だった。そのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を使い、ゲルギエフからスミ・ジョー(スミ・ジョーは、だ~い好きなのだ)まで、驚嘆すべき芸術家のオンパレードだったソチ閉会式を存分に堪能したあと、浅田選手のフリープログラムについて個人的な感想を書こうしていたのだが、女子の結果に対して思いもかけない(Mizumizuにとって、だが)騒ぎが持ち上がり、なかなか沈静化しない。そこでまずは、これについて検証を試みようと思う。女子フリー終了後に巻き起こったロシアのソトニコワ選手の得点に対する批判。一般人からメディア、有名フィギュアスケーターまで、さまざまな意見が飛び交っている。日本の専門家は総じて冷静で、キム選手の敗因を、「3回転ループがなく、ソトニコワ選手がコンビネーションジャンプのセカンドに3回転を2つ付けたのに対し、キム選手は1つだった」からだと分析している。たとえば、こちらの田村氏のコラム。http://www.jsports.co.jp/skate/yamato/1314/post-134/勝敗を分けた理由の1つが、コンビネーションジャンプの後ろのジャンプの3回転にあるのではと考えています。ソトニコワ選手は、3ルッツ+3トウループ、2アクセル+3トウループを跳んできたのに対し、ユナ・キム選手は、3ルッツ+3トウループ、コストナー選手は、2アクセル+3トウループ、ともに1本ずつでした。また、ユナ・キム選手は3ループが入っておらず、上位の3人の中では、唯一3回転ジャンプが4種類になっていました。これが代表的な意見で、まさに勝因・敗因はこれに尽きると思う。ソトニコワ選手はジャンプの質も非常によかった。しっかり飛び上がってから回転し、きっちり回ってから下りる、流れのあるジャンプがほとんど。NHKのアナウンサーでさえ、「滞空時間が長いというか…」と感想を述べていた。その感想は、ジャンプの質が高いからこそだ。ジャンプの入り方や着氷したあとのポーズなども工夫されていた。トリプルフリップを下りたあとの、「加点をお出し!」ポーズには笑いますよ。あれ、彼女、五輪用に変えましたね。ユーロやロシアナショナルのときとは着氷後のポーズを変えてます。3回転+3回転の大きさはキム選手に負けているかもしれないが、それはプロトコルを見れば、たしかにキム選手のほうが加点が多くついている。単独ジャンプだけなら、ソトニコワ選手のほうが質が高く、出来栄え点がつくよう工夫されていた。それもきちんと正確にプロトコルに反映されている。キム選手の最後のダブルアクセルなど、まったく凡庸だ。あれで加点「2」をゾロゾロつけているのを見ると、演技審判はとてもキム選手に好意的だったと思うが。ソトニコワ選手の3連続の最後が乱れたことを、ことさら取り上げる人もいるが、それはきちんと減点されている。「0」をつけた演技審判はいない。最後の2ループは八木沼氏が自信をもって指摘したようにきちんと回っているから、当然アンダーローテーション(<)判定はなし。http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Ladies_FS_Scores.pdfなにか「疑惑」がありますか?1つジャンプの着氷にミスがあったから、たとえば演技・構成点をもっと下げるのが妥当だとでも言うのだろうか? それならば、これまで転倒しても優勝してきた選手はどうなるのだろう? さんざん「転倒王者」を作り出してきたのが現行の採点システムだ。それを急に五輪のときだけおかしいと騒ぐほうがどうかしている。ミスがあったのにソトニコワ選手が金メダルを獲ったことと、ジャッジの中にロシア・スケート連盟幹部の妻がいたとか、過去に問題を起こした人物がいたとかといった話と結び付けて、さも不正があったかのように報道している北米メディアがあったが、もはやこうなると、そのほうがロシアを貶めようとする陰謀だろう。Mizumizuは決して今の採点が公平だとは思っていないが、五輪のときだけトンチンカンな主観論や憶測で騒いでも後の祭りなのだ。ストイコがいみじくも言ったようだが、「ロシアは勝つための準備をがっちりしてきた」のだ。おそらくは数年かけて(これについては後日あらためて書くつもりでいる)。話を戻してさらに言えば、スピンのレベルもステップのレベルもソトニコワ選手のほうが高い。スピンもステップもソトニコワ選手は全部レベル4だ。キム選手はステップがレベル3、スピンもレイバックがレベル3。ジャンプは3ループを入れず、セカンドの3回転も1度だけ、スピンとステップでもレベルの取りこぼしがある選手と、与えられた課題に対してすべてレベル4で答え、ジャンプ構成も難度が高く、かつ1つ1つのジャンプの質も高い選手。五輪女王にふさわしいのは、どちらだろう?もちろん、ジャンプ構成はあくまで「技術点におけるジャンプの基礎点」の話。今回、採点批判をしている人たちが特に問題視しているのは、ソトニコワ選手に与えられた「演技・構成点(5コンポーネンツ)」が高すぎたのではないかということだ。この非難の根拠を大きく2つに分けて挙げれば以下のようになる。1) キム選手(銀メダル)とソトニコワ選手(金メダル)の演技・構成点に差がつかなかったのがおかしい。2) ソトニコワ選手の演技・構成点が急に上がったのはおかしい。なるほど。では、まずは(1)を考えてみよう。<以下、後日>
2014.02.25
4年間フィギュアスケートについてほとんど何も書いていなかった拙ブログに、1日1万5,000件に及ぶアクセス。驚いてますし、感謝申し上げます。それだけ五輪が注目されるイベントだということでしょう。女子フィギュアはあまりに素晴らしい演技が多く、いまだに興奮が冷めやりません。このようにエキサイトして観戦した試合も久しぶり。もう少し落ち着いてから(苦笑)、演技や採点について私見を書くつもりですので、もう少々お待ちください。
2014.02.21
Mizumizuのブログを訪ねてくださる、数千人のフィギュアファンの皆さん。シングル女子はまだ、フリープログラムが残っている。今日のことは今日のこと。失敗したのは残念で心痛むが、一番ショックなのは選手本人なのだ。総括はあとにして、今はもう一度、心からの応援を。フリープログラムで気持ちをどれだけ立て直せるか。日本女子選手にとっては自分自身との闘いだと思う。代表に選ばれた選手たちがよい演技ができるよう、ファンは今こそあたたかく見守りましょう。誰のためでもなく自分自身のために、ガンバレ 日本女子!
2014.02.20
羽生結弦の最大の武器は何か。それはスケートの技術的には、おそらくジャンプかもしれない。あるいは氷上のパフォーマーとしては、大人びた洒脱なポーズと天使のような笑顔かもしれない。だが、Mizumizuには、彼の最大の強さは、これまでの日本選手には類を見ない精神的な早熟さではないかと映る。それは、数年前からすでに感じていたことだ。だが、彼について書くのを控えてきたのは、羽生結弦の見せる、これまでの日本人選手にはないこの「才能」に、もう1つ確信がもてなかったからだ。彼は凄いジャンパーだ。高橋選手や小塚選手を始めとする日本の誇る傑出した才能ですらなかなか習得できなかった4回転ジャンプを、若くしてすでに跳んでいた。だが…それはもしかして、彼が年の割には若く見える、軽く細い体形をもったせいかもしれないと思ったのだ。実際のところ、17歳のころの羽生選手を欧米人が見たら、14歳ぐらいと言っただろう。ジャンプだけなら、体の軽い少年時代のほうが跳べたという選手も多い。成長期に差し掛かるとジャンプが跳べなくなるのは女子選手のほうが顕著だが、男子選手にもみられる傾向だ。羽生選手ももしかしたら、そうなるかもしれない…と思わないでもなかった。とはいえ、精神的なものは後退することはほとんどない。日本のスポーツ選手は、総じてだいたいが頭が幼い。精神的に成熟するのが一般人に比べてかなり遅いという言い方のほうが適切だろうか? 純粋培養でスポーツばかりやっている人間にはしばしば見られる傾向だが、羽生選手は、最初から違っていた。日本のトップフィギュア選手のなかでは誰よりも若い。なのに、誰よりも長く生きているような不思議にしたたかな雰囲気があった。それはMizumizuにとっては、かつて少女漫画家が二次元の世界で創り出した、超自然的な力をもつ少年が現実に現れたような驚きだった。だが…ここぞという舞台で、羽生選手は思わぬ失敗をする。怪我も多いように見えた。体力面にも不安がある。精神的に強い人は、肉体的な脆弱さをどこかにもっている…逆にいえば、肉体的にどこか健康でない部分がある人のほうが精神的な成熟が早いものだが、驚異的なジャンパーであり、人並みはずれた柔軟性を見せる羽生結弦にも、そうした弱点があるようだった。フィギュアスケートも運動である以上、肉体的な脆弱さは、ときに精神力では補えないマイナスな結果を導くものだ。こうした強さと弱さを同時にもつ選手、強さが出るとモンスターだが、弱さが出ると華奢で無辜な1人の少年に戻ってしまう選手をどう評価していいのか戸惑っているうちに、どんどん羽生選手は強くなった。オリンピックシーズンのグランプリファイナルで、ジャッジが彼をチャンに勝たせたということは、羽生選手は、「ISU指定強化選手」に入ったと思っていいかもしれない。「ISU指定特別強化選手」と言っていいかどうかは、さきほど終わったソチオリンピックの団体戦のショートの点数だけでは微妙だが(スピンとステップのレベル認定が日本開催のグランプリファイナルより悪かったし、それにチャンに技術点で8.52点も上回りながら、演技・構成点では0.25点下回っていた)。プロトコルはこちらhttp://www.sochi2014.com/en/figure-skating-team-men-short-programグランプリファイナルのプロトコルはこちらhttp://www.isuresults.com/results/gpf1314/gpf1314_Men_SP_Scores.pdfオリンピック新種目である今回の団体戦で羽生選手は、ショートプログラムのジャンプをすべて決めて首位に立った。冒頭の4回転に危なげはなく、後半にもってきたカウンターからのトリプルアクセルも余裕でおり、3回転ルッツ+3回転ループも決めた。多少いつもよりステップが上ずっていて、ポーズをつくったときの表情にはぎこちなさも見られたが、そんなことはここまで凄いジャンプを決めれば、もはやどうでもいいだろう。まったく、なんというジャンプ構成… フリーはさらに凄い。4サルコウに4トゥループ。後半にトリプルアクセルが2つ(しかも連続ジャンプ)、3ルッツも2つ(しかもそのうちの1つは、難度の高い3ルッツ+1ループ+3サルコウ)。当然ながら、ダブルアクセルが入る余地なんかない。いやはや、人間ですか? 構成を見ただけで驚倒しそうになる。しかも、これが「絵に描いた餅」ではなく、ほぼ完成させてきているからまた凄いのだ。4回転ジャンパーは、たいていジャンプ構成が竜頭蛇尾になるが、羽生選手は最初から最後まで、フィギュアのジャンプのもつ、現在考えうる限り最高の技術的側面を見せてくれる。さらに、彼は滑って跳ぶだけの選手ではない。軽々と高く上げる足やビールマンポジションが示すように非常に体が柔らかく、しなやかだ。身体的な能力の高さだけではない。精神的な成熟は、臆することなく自分の表現世界に入っていけるパスポートでもある。そして、観客を呼べる雰囲気。彼のもつ「華」は、高橋大輔選手とは違う個性から来るが、高橋選手に並ぶと言っても過言ではないだろう。羽生選手にとって「幸運」なのは、カリスマ的なオーディエンスへのアピール力をもった高橋大輔選手と年齢差が「ある」ということ。演技に入る前に「軸がぶれないように」と手で行うしぐさ。その一途で集中した表情は、いっそ謎めいた儀式の始まりを示唆しているようだ。華奢でしなやかな肢体は、「男性的」なものとは違う、まだ出来上がっていない少年の魅力がある。時にふてぶてしいような大胆さを見せたかと思えば、かわいらしく無邪気な笑顔で礼儀正しくふるまう。日本的な切れ長の目の表情の移り変わりもチャーミングだ。演技後のインタビューは客観的で分析的。洒脱なポーズで挑発するアーティスティックなパフォーマーでありながら、冷静に理性的に自分の人生の戦略を立てていくことのできる、クレバーな実務派でもあるように見える。こんなタイプのフィギュアスケート選手は、これまで日本にはいなかった。そんな彼が少年と青年の挟間にいるこの時に、フィギュア界の生きる神話、プルシェンコ選手の祖国で行われるオリンピック。西のロシアのツァーリ(皇帝)は、今沈もうとしている。いや、もう誰もが沈んだと思ったら、どっこいまだまだ沈んではいなかった…少なくとも本人は、沈む気はさらさらなかった…と言うほうが正しいかもしれない(苦笑)。そこへ現れた日出処の天子。天子(君主)というより、天使といった年齢と風貌だが、団体戦ショートでのパフォーマンスは、新たなるツァーリ(皇帝)の登場を予感させるに十分だ。羽生結弦がひとときの夢を見せるだけの儚い氷上の天使なのか、日本のみならず世界のフィギュア界に君臨する次の皇帝になるのか。その答えは間もなく出るだろう。しかし、オリンピックというのにお客さんが少ないのう… もはや日本以外では客を呼べないフィギュアスケート。こんな競技に誰がしたのやら… いっそソチオリンピックもフィギュアは日本でやったらどうですか?
2014.02.07