ノスタルジーと新鮮さ、三原舞依(後編)
フロム蔵王ドゥーブルフロマージュ4号女子フィギュアの「少女潮流」にはマイナスの面も大きい。1つの氷上「芸術」として捉えた場合、彼女たちには、例えば、フィギュアだけではなくバレエも見るであろう日本の目の肥えた聴衆たちに、「お金を払ってでも見に行きたい」と思わせる深みがないかもしれない。全日本では、非常に高密度の浅田真央選手の演技を見れば、三原選手をはじめとする少女たちの演技は、まだまだ子供のそれだった。ヨーロッパ選手権でのコストナー選手も別格だった。四大陸では長洲未来選手の円熟が素晴らしかった。だが、こうしたベテランは、ジャンプでどうしても若い選手には勝てない。オトナの鑑賞に耐える芸術という側面をもつのがフィギュアの魅力ではあるが、それでも、フィギュアスケートは、何といってもスポーツだ。若い選手のもつ勢い、若さだけがもつエネルギーを評価しないのなら、スポーツとしての未来はない。身体能力の優劣を競い、より難しいことをやった選手が勝つ。そういう明確さを置いて、主観がものをいう「表現力の評価」にあまりに重きをおいてしまえば、スポーツとしての公平性が毀損されてしまう。この2つの考えの中でフィギュアスケートという競技は、常に揺れながら、それでも技術の進化と人々を魅了する表現の追求という、難しいバランスを取ってきた競技だと思う。例えば、長野五輪では17歳と15歳の少女が金メダルを争い、ソルトレークでも、軍配は、20歳を超えて円熟期を迎えた敵地の女王ではなく、現地開催の勢いでジャンプをポンポン跳んだ17歳にあがり、フィギュアはこのままティーンの選手の競技になるのかと思われた。だが、トリノで金メダルを争ったのは、20歳を超えたベテランの3選手だった。ここのところ表彰台の一番上にのっている選手が、少女であり、短期間で入れ替わっているとしても、未来永劫その流れが続くかどうかは分からない。それがフィギュアスケートという競技だ。だが、次の五輪はもう目前。平昌まではこの流れが続き、体の軽い少女たちに有利で、ベテランの選手には不利な状況、というのはもはや決定的だと思う。三原選手に話を戻すと、個人的に非常に好きなタイプの選手。バランスの良いジャンプの強さ、特に、長く日本女子に足りなかった「あぶなげなく降りる3回転+3回転」と「ルッツとフリップのエッジの踏み分けの正確さ」という技術面での確かさをもっているということも、その理由の1つなのだが、彼女の醸し出す清潔さ、溌剌とした若さにも強く惹かれる。それは、過去の名選手が世界トップへ駆けあがっていったころに共通しており、一種のデジャブ、ある種のノスタルジーをMizumizuの胸に呼び覚ます。ショートの『ロンド・カプリチオーソ』は、ミシェル・クワン選手が、「ジャンプいくつ決めたんでしょう?」とNHKのアナウンサーに言わしめたころに使った曲だ。クワン選手といえば、『サロメ』で芸術面でも開眼したように言われるが、ジャンプという技術的な側面で世界に注目されたのはその前のシーズンの『ロンド・カプリチオーソ』だった。フリーの『シンデレラ』は、フレッシュな三原選手の魅力をあますところなく引き出した名プログラムだと思う。可憐なボーカルで始まるプログラムは、彼女の年齢にフィットしている。まさに、今の彼女でなくては演じられないプログラム。冒頭のボーカルはすぐに終わり、スピード感のある音楽が始まる。その音の勢いにのってスピードをぐんぐん増す三原選手の滑りは、どこまでも健康的で若々しい。「どんなプログラムになるんだろう?」「どんなジャンプを冒頭のジャンプに跳ぶんだろう?」という2つの期待感が高まる。三原選手を知らない人でも、このスピードの上がり方には「おっ」と目をとめるだろう。滑りにスピードはあるのはもともとの才能だろうが、音楽がさらにその印象を強める役割を果たしている。ジャッジの目の前、フェンスぎりぎりのところをスッーと弧を描きながら滑っていく姿を見た時は、感動で胸がいっぱいになった。ところどころ細かく入る足さばきもチャーミングだ。振付は佐藤有香だとか。そう言われれば、佐藤有香選手がワールドを獲った時のプログラムの印象――若々しく、明るく、健康的――につながるものがある。https://www.youtube.com/watch?v=CZD_N4FY3B0&t=450s↑採点に対する不信感と不満でいっぱいで、やたら不機嫌なボナリー選手とは対照的な佐藤選手の邪念のない演技、堂々とインタビューに答える冷静な態度が素晴らしい。そういえば、ボナリー選手は、この大会で日本の観衆の態度にも傷ついたそうだ。ハイハイ。こっちは、晴れの表彰式での佐藤選手の、ボナリー選手を見つめる困惑した表情にめっちゃ心を痛めましたがね。ボナリー選手の採点に対するクレームが語り継がれてしまうことになった大会だが、このとき佐藤有香選手が優勝できたのには、隠れた別の事情もある。独特の表現力で、当時非常に評価の高かったルー・チェン選手が疲労骨折で出場できなかったのだ。もし、ルー・チェン選手が怪我していなかったら? あるいは、開催地が日本でなかったら? 佐藤選手の金はなかったかもしれない。そして、もし彼女がこのときワールドを獲っていなかったら、今のアメリカでの活躍はあるだろうか?人生とはそうしたものだ。誰かの不運が誰かの幸運になり、とんでもない不運のあとに、不思議な幸運が訪れる。いつどんな形で大きなチャンスがめぐってくるか分からない。「優勝候補の疲労骨折」「佐藤有香」という不思議な符合は三原選手にとっては吉兆かもしれない。昨今の女子フィギュアは、「大人っぽい演技ができる少女」にやたら高い演技・構成点を出す傾向があるが、これには賛成できない。ロシアの少女たちは確かに大人の雰囲気をもってはいるが、大人っぽくても少女は少女。コストナー、浅田、長洲選手といった選手たちのもつ深みは、彼女たちにはどうしたって、ない。逆に少女時代にしか演じられない世界があるし、あっていい。長野五輪のリピンスキー選手の『アナスタシア(Once Upon A December)』はそうした、15歳のリピンスキーに見事にハマった名プログラムだった。https://www.youtube.com/watch?v=dPUE1QtjvmQ三原選手の『シンデレラ』にも、それに通じる魅力を感じる。過去の名選手が世界のトップへ駆けあがっていった時の姿を彷彿させる三原選手の今回の快挙。彼女の確かな技術、溌剌とした若さ、尽きせぬエネルギー、迷いのない集中力、可愛らしさ、明るさに大いに期待したい。そして、佐藤有香振付のこの目を見張るプログラムが、彼女のシンデレラ・ストーリーの始まりとして、語り継がれるものになりますように。