旋律の官能性――高橋大輔の指し示すフィギュアスケートの未来
2019年全日本フィギュアの目玉は、なんといっても高橋大輔選手の復帰だろう。彼が現役復帰したことで、普段なら静かな地方大会までが、集結した大ちゃんファンの熱気に包まれていた。引退して何年も経っているというのに、この集客力には目を見張るものがある。今回の高橋選手の全日本での演技、一言で言えば、「いや~、いいもの見せてもらいました」。同時に現役の選手に欠けているもの、今のルールの偏りも改めて認識した気がする。ショートの「シェルタリングスカイ」は、高橋選手の代表作の1つになるであろう傑出した出来。シンプルだが官能的な旋律が、高橋選手のパフォーマンスによって、より情感を持ってこちらに迫ってきた。彼の動きを見ていると、いかに今の選手たちが上半身棒立ちで、腕だけグルグル動かしているだけかということがよく分かる。高橋選手は腰から上半身を大きく動かし、さらに首から上ではまったく違う方向のモーションを加えたりする。それだけ言えばダンサーのテクニックなのかもしれないが、高橋大輔はやはり一義的にはフィギュアスケーター。それも一流中の一流のスケーターだ。深いエッジを使いながら、時に伸び伸びと時に細やかに滑りつつ、上半身の複雑で華麗な動作を有機的にまとめている。音楽がその動きを引き立てるが、高橋選手の動きがまた音楽を引き立てる。その相乗効果が観客の心を奪う。ショートの流麗なステップシーケンスに入る前の、両手を天に向かって大きく広げる一瞬の仕草が、フリーのコレオシーケンス冒頭のスタイリッシュな動きが、脳裏に焼き付いて離れない。こんな選手は、やはりどこにもいない。現行のルールは、ジャンプとスピンに重点が置かれている。いかに難しい入り方をし、いかに回り切り、いかに素早く次のモーションに入るかでGOEが付けられるジャンプ。一定のポジションをキープしながら規定数をしっかり回り切ることを重視するスピン。これらは、客観的に採点をする、その判断基準としては優れていると思うが、回転に重きを置くということは、選手としてのピークが早くなることでもある。「20歳すぎると、ジャンプやスピンの技術が落ちてしまう」とは、町田樹氏の言葉だが、まさにその通り。シングル選手のピークは明らかに以前より早くなった。女子などは、ジュニアからシニアに上がった、その1年目が技術的には一番安定しているといった様相になり、その「少女潮流」はとどまることをしらない。ロシアの女子が、現状を最も端的に示している。ザギトワが完璧な演技で五輪女王に輝いてから、まだ1年も経っていない。それなのに、国内大会で表彰台に立てなかった。そのたった1年前、無敵の強さを誇っていたメドヴェージェワ選手は、ジャンプの失敗やスピンのレベルの取りこぼしを繰り返している。今年のロシアの国内選手権で台のりしたのは、幼い体形の少女たち。より多く回転するジャンプ、より速く正確に回るスピン。こうしたフィギュアスケートのスポーツ面を重視すれば、女子の場合は特に、体も軽く、恐怖心もあまりないローティーンが強くなる。それはそれで客観的な採点を旨とするスポーツ競技としては、十分に「アリ」な話だろう。だが、それでは、フィギュアスケートの将来は? この競技の持っていた芸術的な側面はどうなるのだろう? 15歳でピークを迎え、20歳でもう引退する競技に、ファンは身体表現が生み出す芸術性を見出しうるだろうか? フィギュアスケートを見る楽しみの1つは、選手の成長を見守るという点にある。去年より滑りに味が出てきた。去年より表現に深みが増した――ソチの女王だったソトニコワ選手も、団体金の貢献したリプニツカヤ選手も、そういった「成長」のもたらす感動を観客と分かち合う前に、心身の問題で第一線から消えていった。今のままのルールが続けば、平昌の女王も、北京の女王もおそらく同じ運命だ。数年後には、人々は次々に出てくる優れた若い選手を見るうち、いつの間にか表舞台から姿を消した、前の五輪の女王の名前さえ思い出せなくなる。高橋大輔のパフォーマンスは、こうした現在の潮流に警鐘を鳴らすものだった。宇野昌磨選手は現役トップ選手の中では、最も表現力の優れた選手だ。それでも、高橋大輔選手の圧巻の情感表現の前ではかすんでしまった。高難度ジャンプと難しいポジションでのスピンは素晴らしかったが、芸術性では、やはり高橋選手の右に出る者はいない。高橋選手のフリーのコレオシーケンス(レベルは一定)のGEOで「5」が並んだことで、本田武史氏は、「3回転ジャンプ1つ分」になった説明した。それだけ得難い評価を得たということなのだが、逆に言えば、コレオシーケンスでここまで評価されても、たったそれだけの点にしかならない。だったら、点を伸ばすためには、4回転ジャンプの練習をひたすらしたほうがいい。これでは、より高く・遠くへ跳び、速く回れる選手は出ても、ステップやスケーティングをもって生み出す情感表現で人々の心をわしづかみにするトップ選手は育ってこない。ダンス表現は体全体を使うから、体力も当然使う。今のルールは、「やらなくてはいけない条件」が細かく規定されているので、それをクリアするために選手たちは体力を使い果たしている。当然、プラスアルファの身体表現まで回らないから、「表現力」はカッコいい一瞬のポーズや表情に頼りがちになる。高橋選手が今回見せてくれた、深いエッジを使った華麗なスケーティングと、体全体で表現するエモーション、その芸術性。彼は過去の選手ではない。フィギュアスケートの可能性、「今の延長」とは違う未来を見せてくれる選手だ。