「あの時」、Dr. キリコは泣いていた?
不朽の名作、『ブラック・ジャック』(手塚治虫)。その中でも屈指の名台詞が、これだ。この写真は六本木で開催された『ブラック・ジャック展』で撮ったもの。展示スペースに入ると、まず目に入ってくる正面の窓に、これがどーんと飾られていた。2024年6月30日に放送されたスペシャルドラマ『ブラック・ジャック』でも、ラストにこのセリフの一部を持ってきていた。原作では、このラストシーンの直前に、Dr. キリコが哄笑するコマがある。それを受けて、ブラック・ジャックが「それでも私は人を治すんだ。自分が生きるために」と叫ぶのだ。最初にこのシーンを見たときは、まるっきり映画のワンシーンのようなドラマチックな構図とインパクトのあるセリフに「へへぇええ」とひれ伏したい気持ちになった。「自分が生きるために」――実に、うまい、うますぎる。ブラック・ジャックの叫びが聞こえないかのように去っていくキリコだが、最近になって、気づいたことがある。キリコの哄笑は、「ヒャーッハハハハ ワァハハハハァ」。生きものは死ぬときには死ぬ。お前のやったことは無駄になったな――表面上はそんな勝利宣言にも思えるが、よくよく目を凝らしてみると、この笑い方、実にわざとらしい。無理に笑っているようにも見える。そして、「ハァ」と笑い終わったあとは、キリコは無言になる。ラストシーンでは、キリコの笑い声はなく、吹きすさぶ風の中にブラック・ジャックの叫びだけがある。去っていくキリコの姿は、見ようによっては、うなだれているようにも見える。実は、キリコはこの時、泣いていたのではないか? 最近、Mizumizuはそんなふうに解釈している。キリコが登場する他の物語を読んでみると、キリコは実は「患者が助かるなら、それにこしたことはない」と思っている、まっとうな医師なのだ。ブラック・ジャックの「奇跡の腕」で、助かったはずの命。それが、突発的な交通事故で失われるという不条理。戦場での地獄を体験したキリコは、まともな神経では受け入れられないような悲劇や悲惨な死をいやというほど見てきたはずだ。例えば…なのだが、助かったと思ったとたんに、突発的な攻撃で死んでしまった兵士もいただろう。キリコは不合理に奪われる命を悼む悲しい気持ちを、下品とも思えるような笑いの中に隠して去っていったのではないか。こんなふうに読者が物語に参加できる、したくなる。それが、手塚治虫作品のもつ醍醐味だと思うのだ。ドラマ『ブラック・ジャック』を見逃した方は、TVerであと少しの間、見ることができるので、どうぞ・https://tver.jp/episodes/epthznpv1fブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ [ 手塚 治虫 ]