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カテゴリ:Essay
<フィギュアファンの方は、明日おいでください。明日もう少しフィギュアについて書くつもりです>
2008年2月19日、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が引退を発表した。チェ・ゲバラらと共にキューバ革命をなしとげ、50年近く同国の社会主義体制を率いてきたカリスマがついに表舞台から姿を消す。 カストロ議長を独裁者と見るか、超大国アメリカの横暴に対抗した英雄と見るか。これほど評価の分かれる人物は他にいない。だが、ごくごく一般的な感覚として、キューバが独裁的な政治体制をとっていることは認めても、アメリカの政治家が言うように、カストロをいわゆる「独裁者」だと考えている人間は少ないのではないだろうか。カストロは独裁者のイメージからは程遠い。贅沢をしているわけでもなく、個人崇拝を国民に強いているわけでもない。ただ、ソ連崩壊後のキューバの経済状態が悪いのは確かで、大量のボートピープルの出現などを見ると、長い間続いたカストロ体制がキューバ国民にとって幸福だったのかどうか軽々には判断できない部分もある。 だが、そのキューバの経済状況でさえ、カストロの力量不足ではなく、やはりアメリカの経済封鎖、つまりは大国の底意地の悪さのせいだと考えている人も多いように思う。日本もかつてほぼ同じ目に遭い、無謀な戦争へと駆り立てられた歴史をもつ。現在のキューバ国民の直接の感情はわからないが、少なくともカストロが横暴な独裁者であれば、50年近くの長きにわたって権力を持ち続けることはできなかったはずだ。 フィデル・カストロが、なぜこれほど長くキューバのカリスマ的リーダーでいられたのか――Mizumizuにとって、これは実に興味深い問題だ。カストロについては政治的な思惑から、冷静かつ客観的な分析がなされていないきらいある。だが、その存在がやがて「歴史」になったとき、さまざまな観点からの研究が行われるだろう。彼が第一線を退いた今は、革命家・政治家カストロ研究が端緒につく時期であるのかもしれない。 Mizumizuがカストロに興味をもつのは、ひとり彼の存在がユニークで魅力的であるからだけではない。それは、カストロという人間を思うとき、どうしても、革命の同志であり、英雄であり、伝説でもあるチェ・ゲバラの存在に思いを馳せざるをえないからだ。 力を合わせてキューバ革命を成し遂げたにもかかわらず、キューバを出て、39歳という若さで散った悲劇の英雄チェ・ゲバラと、そのキューバで、81歳という高齢になるまで長く権力の座にあったカストロ。この2人の友人の人生は、たとえドラマの筋書きでもここまでは、と思うくらい明確に対照的だ。 日本で政治家カストロに興味をもつ人は少ないが、逆にチェ・ゲバラの人気は、特に若者の間で絶大なものがある。 この「赤いゲバラ」はTシャツにもなっているし、あちこちでよく見かける。そう、「若者はチェ・ゲバラ」なのだ。Mizumizuの家の近所にも、こんな看板を出している店がある。 「Bar Bitch」ですか…… 大胆なネーミングで……(苦笑)。この「赤いチェ・ゲバラ」をそこここで見るたびに、「チェ・ゲバラは若者のイコンなのだ」と思う。イコンとはキリスト教の正教会で用いられる聖像のこと。 信者はイコンに祈りを捧げるが、聖像そのものを崇拝することが目的ではない。イコンとは、それを通じて別の世界を見る「窓」だとされる。つまり、イコンを崇敬するということは、その窓を通して、聖なる世界を記憶し、理解するということなのだ。 日本の若者にとって、おそらくはチェ・ゲバラとは、自分の今いる場所とは違った、何か崇高な世界を垣間見る「窓」なのだ。チェ・ゲバラのマルクス主義的革命のもたらす理想郷をまさかそのまま信じている人間はもはやいないだろうけれど、チェ・ゲバラの生き方、死に方に見る自己犠牲的な精神や純粋な理想主義は、若者に訴えかける魔力のような力をもつ。 加えてチェ・ゲバラはえらいイケメンだ。これは「赤いチェ・ゲバラ」イコン像の元になった写真。 どーして、そんなにもカッコいいわけ? キミは。 「じゃ、撮影行きま~す」 「ヘアメイクさ~ん、ちょっと前髪垂らしたほうがよくないですかぁ?」 「どうでしょう? こんなもんで」 「いいんじゃないっすか~」 「じゃ、ゲバラさん、こっち見て。カメラは上から撮りますんで」 みたいな会話をして撮った映画のスチールのよう。どう考えてもカッコよすぎでしょう。照明がもうひとつかな。もうちょっと顔に影が入ったほうがいい(笑)。 「お~い、照明さん! もうちょっと寄って、右から当てて、右!」 NHKでもチェ・ゲバラ没後40周年に当たる2007年12月、「知るを楽しむ/私のこだわり人物伝(4回シリーズ)」でチェ・ゲバラを取り上げていた。チェ・ゲバラゆかりの地での取材を敢行し、往年の写真もふんだんに使った、大変に力のこもった番組だった。先日その再放送があったばかりだ。 一番印象的だったのは、やはりチェ・ゲバラとカストロの道が完全に分かれる場面。反米主義をかかげるカストロは、当時の超大国ソ連に接近せざるをえなくなる。ところが、ゲバラはそのソ連を強く非難する演説を行う。激怒したソ連はカストロに、ゲバラを要職から追放するよう圧力をかける。 遊説先から戻ったゲバラを出迎えるカストロの写真がテレビに映っていた。ゲバラの演説は、ある意味、カストロの路線を間接的に批判したということにもなる。だが、カストロは怒ってはいなかった。ただ、困っているように見えた。この後、2日間カストロとゲバラは2人だけで話し合い、ゲバラはあの有名な別れの手紙をカストロに残し、キューバから去る。 ゲバラの別れの手紙は感動的だ。「マリア・アントニアの家で君に初めて会った日のことを思い出す」「君のそばでカリブ海の(中略)あの日々を生きたことを誇りに思っている」「あの日々の君ほど輝かしい政治家はいない。君に躊躇なく従ったこと、君の思想に自分を重ね合わせたことを(中略)誇りに思っている」「キューバの指導者としての責任から君には許されないことが、私にはできる。別れの時が来たのだ」。 このあと、ゲバラはアフリカ・コンゴへ、その後ボリビアへ向かい、そこで悲劇的な最期を遂げることになる。 キューバを去ったあとのゲバラに対するカストロの支援については、変に美化して誇張されてきた部分もあり、実際のところどの程度2人が連絡を取り合っていたのかわからない。実際にはカストロはたいしたことはしなかった、あるいはできなかったという説もある。 「新たな革命を求めてキューバを去った」というのも、ある意味、相当カッコつけた言い方であって、実際には超大国を批判したために、政治家としてはキューバに居場所がなくなり、出て行かざるをえなかったということだ。ゲバラはそれ以前には、日本に来て産業施設を視察しているから、キューバを工業国として発展させる夢も描いていたはずだ。 またゲバラが処刑される際に、自分を殺そうとする兵士に向かって言ったとされる「落ち着いてよく狙え」という言葉も、NHKで放映されたゲバラの遺体を見ると、あまり信憑性がないかもしれないと思った。明らかに額を至近距離(つまり、額に銃口を当てて)から撃たれており、ほかに体には銃痕はなかった。つまり、単に額に銃を当てて撃って、それで終わったように思うのだ。そういう状況で「よく狙え」というのも不自然ではないか。 だが、多少演出過剰なエピソードで脚色されすぎているとはいえ、ゲバラが「若者のイコン」としての資質を十分に備えた存在であることは間違いない。そしてそのゲバラが、「キューバの指導者」と立てたカストロは、その後半世紀にもわたってキューバのカリスマであり続けた。ゲバラはカストロの中に、自分にはない現実主義の強さを見たのかもしれない。 ちなみに、この2人、ゲバラが双子座でカストロが獅子座。西洋占星術では、双子座は風のグループ、獅子座は火のグループに属する。ゲバラはまさに風のように清冽に現れ、そして去ってしまった。カストロの政治生命の火はキューバで燃え続けた。しかも、この炎、相当にしぶとい(笑)。アメリカは何度もカストロという「火」を消そうとしたが、ついに成功しなかった。 多少こじつけめくが、カストロとゲバラ、いやフィデルとエルンストという2人の革命の志士の生きかたは、星のささやく風と火の神話にどこか似つかわしい気がするのだ。だからフィデル・カストロという、長く燃えた火がついに消えようとする今、風のように駆け抜けていったエルンスト・ラファエル・ゲバラという対照的な存在がまた、あらためて輝きを放って見えるのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.02.20 23:54:05
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