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カテゴリ:Figure Skating
今季からジョニー・ウィアーの横に座っているコーチが誰かわかる人はかなりのフィギュア通だろう。答えはガリーナ・ズミエフスカヤ。全盛期のロシアスケート界でオクサナ・バイウル、ビクトール・ペトレンコというオリンピックチャンピオンを育てた名コーチで、本田武史選手が短期間ついていたこともある。
しかも、今回ウィアー選手の横にはガリーナコーチだけでなく、ペトレンコ自身の姿もあった。世界トップレベルの選手のコーチとして晴れの舞台に帰ってきたペトレンコの姿を見るのは初めてで、新鮮な驚きがあった。べトレンコはガリーナコーチの娘と結婚しているから、ガリーナファミリーでウィアーのコーチングをしているということだろう。 ウィアー選手はジュニアの世界王者になったこともあり、アメリカ選手権をかつては3連覇した。だがトリノオリンピックのあたりから伸び悩み、その後は怪我もあって低迷し始め、ライザチェックに全米王座を譲る格好になっていた。 年齢的にも23歳と微妙で、このまま消えていくか、復活できるか、今年は勝負の年だった。その年にウィアーが決断したのは、コーチを替え、ズミエフスカヤに師事する、ということだった。 世界から注目された10代後半のころのウィアー選手の持ち味は、細く長い四肢を使った繊細で華麗なスケーティング。少女漫画から抜け出たような、アンドロギュノス的な美貌にバレエを思わせる線の美しさで若い女性ファンを魅了してきた。だが、20歳を超え、男性的な筋肉を備えた身体を作る時期に自分のイメージが変わってしまうことを恐れ、ジャンプを跳ぶためのトレーニングを怠ったことがその後の低迷につながってしまう。 20歳を超えた男性はアンドロギュノスではいられない。今のウィアー選手はそれを自覚し、これから進むべき自分の世界をはっきりと自覚したようだ。それはこれまでのウィアー選手のイメージとはまったく違う、やや重い、ドラマチックな音楽を使ったフリープログラムに表れていた。 ぺトレンコがそばにいるということは、当然ペトレンコ風の表現になっていくことは想像に難くない。ペトレンコは重厚で風格のある表現力で、カナダのブラウニング選手と覇を競った選手だ。ウィアー選手はこれまでの華麗で繊細な表現ではなく、ロシア的な重厚感と深い叙情性をたたえる世界を作ろうとしているのだろう。 この戦略は今年の結果から言うと、大変にうまく行った。昨年は8位と低迷した世界選手権で今年はいきなり銅メダル。優勝候補筆頭だった高橋選手をかわしてのメダルは価値が高い。昨年までの調子だと、今年はもう10位にも入れずにそのまま消えていってしまうかもしれない危険性もあったのだ。それをここまで持ち直してきたのは立派。 これまで跳べなかった4回転もだいぶ決まるようになってきた。フリーでは両足着氷だったが、とりあえず降りたように見えた。プロトコルを見ると結局ダウングレード判定され、3回転の失敗として1.57点しかつかなかったが、中野選手のトリプルアクセルと同じく、ほぼ決めたといってもいい出来だったと思う。そのほかのジャンプもやや不安定で、GOEを見ても加点と減点が入り混じる評価だったが、ここ数シーズンのウィアー選手はフリーでことごとくジャンプを失敗してきたから、それから比べると段違いによくなった。 ウィアー選手をいきなりここまで立て直したことでガリーナコーチも再び脚光を浴びるだろう。母親的な包容力のあるガリーナさんにペトレンコのテクニックが加わればかなり強力なチームとなりそうだ。タワソワが健康問題で事実上コーチ業を引退し(振り付けはやっている)、その名声が高まることでモロゾフがあまりに多忙になった今、ガリーナ&ペトレンコチームが世界チャンピオンを育てる日も近いかもしれない。 ランビエール選手について 過去のエントリーをご覧いただけばわかるとおり、Mizumizuはランビエールの「ポエタ(フラメンコ)」を過剰なぐらい褒め称えてきた。フィギュアという概念をはるかに超えた、オリジナリティあふれる魅惑のダンス芸術。フラメンコダンサーと作ったというポエタの振り付けはまさしく不世出の名プログラムだった。同時に超絶技巧でもあった。最初から最後まで手の振りがほぼ休みなく入り、最初から最後までステップを踏む。通常大技のジャンプを決めるためには選手はかなり助走しなければならない。高橋選手は4回転を2度先に跳んでしまうプログラムを作ったが、見ての通り、最初はほとんどただ滑って勢いをつけているだけだ。 ランビエール選手のプログラムは単なる「助走」がほとんどない。細かく複雑なステップの合間にジャンプを入れていく。あまりの難しさに、ランビエール選手はとうとう、2ジーズン連続で滑ったにもかかわらず、ただの一度もミスなく演技することができなかった。今回は最後のチャンスだったから、ランビエール選手がこの試合にかける意気込みは人一倍だったはずだ。だが、フタをあけてみれば、出来は最低に近いもの。得意の4回転を2度入れたが、どちらも不完全、苦手のトリプルアクセルもダメ、それどころか普通は難なく決めているルッツさえ高さが出ずにきれいに着氷できなかった。 このプログラムは結局、超絶技巧すぎたということだ。難度の高いジャンプとは決して両立させることはできない「幻のプログラム」。誰も弾きこさせないピアノ曲のようなものだろう。同時にもう1つはっきりしたことがある。芸術性の高いダンスプログラムを作ってしまったら、今のフィギュアのルールではジャンパーには勝てないということだ。芸術性というのは要素と要素のつなぎの密度を濃くしてこそ高まる。だが、それによって運動量が増えれば、点数になる要素に気持ちを集中することは難しくなる。現行のルールのもとでは、決められた要素をきっちりとこなした選手が勝つ。もっといえば、ジャンプさえよければ勝てるのだ。 高橋選手は「銀河点」を叩き出した4大陸選手権のあと、「スピンの強化」を課題にあげた。確かに世界選手権では4大陸でレベル3だったスピンを1つレベル4に上げた。だが、点数の合計でみると、フリーのスピンの合計点は12.94点から13.09点になったにすぎない。スピンの点など3回転以上のジャンプにつく基礎点とGOEに比べたら微々たるものなのだ。 結局ジャンプがすべてといってもいい。ジャンプは難度が高いほうがいいが、高すぎると今度はリスクが高くていけない。そこそこの難度のジャンプをすべてきれいに決めることのできる選手が有利なシステムだ。ジャンプ大会にしないつもりで作った新採点システム、しかも今シーズン前に判定を厳密化したことが、フィギュアを完全にジャンプ大会に変えてしまった。 バトル選手は4回転を跳ばずに優勝したじゃないか、と言われるかもしれない。だが、それはあくまで他の選手がジャンプを失敗したからに過ぎない。もっといえば、4大陸での高橋選手の「4回転2回完璧」の衝撃が、他のトップ選手に「フリーでは自分も4回転2度入れなければいけない」というプレッシャーを生み、優勝候補が軒並み自滅するという結果を招いたともいえる。ベルネル選手など、ヨーロッパ選手権でのジャンプ構成を完全に捨てて、わざわざ高橋選手と同じ「最初に2回4回転を入れる」構成に変えて挑戦してきた。結果は完全に裏目に出たが。 ランビエール選手はどうするだろう。彼の目指した芸術性の高いフィギュアはもはや試合ではリスクを高めるだけだ。一度引退に傾いた彼の気持ちを再び駆り立てものは、誰も演じたことのないような芸術性の高いプログラムを演じて見せたいという情熱だった。その目標を犠牲にして、ジャンプを決めることだけに注力したプログラムを作り、再び試合に勝とうとすることがランビエール選手の中で意味をもつだろうか。すでに彼は世界選手権も連覇し、オリンピックでもメダルを獲っている。今後のランビエール選手にとっての一番の問題は、モチベーションの低下とどう闘うかということになってくると思う。 ちなみにランビエール選手がEXで滑った「ロミオとジュリエット」は作曲ニーノ・ロータ。今拙ブログで連載しているヴィスコンティ監督の助手だったゼフィレッリ監督の同名の出世作で使われた映画音楽。 <フィギュアネタは本日で終わりです。また来シーズンにお会いしましょう。明日からは、古い映画ネタの続きに戻ります> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.25 12:21:24
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