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カテゴリ:Movie
ルキーノ・ヴィスコンティ『夏の嵐』(1954年)に将校役で出演したハリウッドの美男俳優ファーリー・グレンジャー。彼は2007年に自伝"Include Me Out: My Life from Goldwyn to Broadway"をアメリカで出版している(邦訳はない)のだが、この中にジャン・マレーとの短い出会いが綴られている。
『夏の嵐』の撮影の最中、グレンジャーはヴィスコンティから、気分転換にパリで週末をはさんだ数日間の休暇を取ってはどうかと勧められる。シャンゼリゼ大通りにあるこじんまりとした高級ホテルを紹介されたグレンジャーは、すぐにこの提案に飛びつき、パリへ。 ホテルに着いたグレンジャーは、さっそく自分の友達に電話をするのだが、通じない。 ――シマッタ、イタリアからかければよかった。 と後悔するグレンジャー。 ――このまま連絡取れなかったら、パリで、1人でどーすりゃいいんだ、オレ? 多少途方に暮れながら、荷解きを始めたところに、ドアをノックする音。 グレンジャーはドアを開けて、驚きのあまり立ち尽くす。そこに立っていたのは、当時フランスでもっとも人気があった俳優、ジャン・マレーだったのだ。 「入ってもいいですか?」 ジェスチャー交じりにマレーに言われて、ドアから飛びのき、 「あ、もちろんです」 と、慌ててマレーを招き入れるグレンジャー。握手をして、グレンジャーが自己紹介をすると、マレーは笑って、 「ファリー、君のことはよく知ってる。ヒッチコックの『見知らぬ乗客』も観たよ。君はすばらしい役者だね」 と10歳以上年下の後輩俳優に、フレンドリーに話しかけた。 おかしいのは、グレンジャーが「彼の英語はひどかったし、私のフランス語も同じようなもの」で、会話は相当ハチャメチャだったと書いていること。このころのマレーはすでにアメリカ人のバレエ・ダンサー、ジョルジュ・ライヒと一緒に暮らしていた。アメリカ人といてもさっぱり英語は上達しなかったようだ。 「ルキーノから連絡もらって、君のパリ滞在が楽しいものになるように手助けすると約束させられたんだ」 と、マレー。 「パリで何かしたいことあるかい?」 ――ルキーノが声をかけたのか……! 納得するグレンジャー。ジャン・マレーとルキーノ・ヴィスコンティが知人であることを、彼はこのとき初めて知ったのだ。 だが、同時に、グレンジャーの心に多少の警戒心が芽生えたようでもある。なにしろ相手はグレンジャーとはお仲間のバイセクシャル……否、名うてのヴィスコンティとこれまた名うてのマレー。「どの程度の知人か」をはかりかねたのだろう。それに、 ――パリの休暇まで、ルキーノの『演出』で動くわけ? と思うと、多少ウンザリしないでもなかった。 だが、ジャン・マレーの好意を無にするのも悪い。長いこと沈黙して考えたグレンジャーは、憧れのバレエ・ダンサー「ジジ・ジャンメール」の名前を出す。 ジジ・ジャンメールは、言うまでもなくローラン・プティの妻であり、かつミューズであったバレエ界の大スター。自分はジャンメールのファンで、もしできたら会いたいと言うグレンジャーにマレーは、 「ぼくは個人的には知らないんだけど、連絡先を聞いてくるから、荷解きしながらちょっと待っていて。1時間ぐらいで戻るよ」 と言って出て行く。 残ったグレンジャーはグレンジャーで、 ――ルキーノは、どんな魂胆があって俺とジャン・マレーを引き合わせたんだろう? などと考えている。 マレーは約束どおり戻ってきて、なんとそのまますぐにグレンジャーをジャンメールのアパルトマンに案内してくれた。ジャンメール自身が2人を熱烈に迎え、楽しい午後の時間がスタートした。ジャンメールのヘルプもあり、それにワインも入ったことで、マレーとグレンジャーの言葉の壁はなくなった。 夜はジャンメールが2人を小さなしゃれたクラブに誘い、そこで3人は遅くまで盛り上がった。 そして…… 「翌朝、私はコーヒーとクロワッサンの暖かな匂いで眼を覚ました。昼になっていた。ジャン(=マレー)がベッドのわきにコーヒーを置き、カーテンを開けた。それで私は、ここがセーヌ川に浮かんだジャンの豪華なハウスボートだということを思い出した。前の晩のことは詳しくは憶えていない。だが、ジャンが気遣いのあるやさしい人だとわかったのは確かだ。ルキーノの演出に協力したのではない。ジャンと一緒に過ごすと決めたのは私だった」 (ファーリー・グレンジャー自伝”Include Me Out”より) このあと、グレンジャーはハウスボートのメインキャビンで、コーヒーを片手にマレーと数時間歓談している。 マレーはグレンジャーに、パリの社交界の閉鎖的な雰囲気が嫌いでこうしてハウスボートに住んでいること、ここならプライバシーが守られることなどを話す。 そして、ジャン・マレーといえば、ジャン・コクトー。マレーは後輩の美男俳優に、自分の初期のキャリアについて、尋ねられるままに答えている。コクトーと出会う前の自分に来る仕事は、容姿を見込まれたものばかりで、それが嫌だったこと。コクトーと出会い、私生活でも、また仕事の面でも関わるようになってようやく自分の才能に目覚め、成功できたこと。ルックスのいい役者というのは、往々にして自己防衛本能から、自分で壁を作ってその向こうに隠れがちになるものだが、監督としてのコクトーは、マレーにもあったそうした壁を、苦労のすえに打ち砕いてくれたこと。 こうして、マレーのハウスボートで午後を過ごしたグレンジャーは、その後ようやく電話の通じた友人とその夜会うことにする。ジャン・マレーとランチをした話をすると友人は驚き、 「夜一緒に連れてきて! 『美女と野獣』を見て以来、ジャン・マレーのファンなんだから」 とせがんできた。仕方なくグレンジャーがマレーに打診すると、夜は別の約束があるのでダメだと断わられた。 そのまま、グレンジャーは友人とパリの数日の休暇を満喫し、イタリアでの撮影に戻るべくホテルで荷造りをしていると、そこへジャン・マレーがさよならの挨拶をしにやって来た。 「ルキーノに電話して、君を彼の映画にキャスティングできたのはすごくラッキーなことだと言っておいたよ」 と、グレンジャーにとっては怖い存在であるヴィスコンティとまるっきり対等の口をきいているふうのマレー。2人は連絡を取り合う約束をして別れた。 ヴェネチアに戻ったグレンジャーのすっかりリラックスした様子に、ヴィスコンティも喜ぶ。グレンジャーは素晴らしいホテルを紹介してくれたことに礼を述べ、パリの休暇を大いに楽しんだと話した。 「ジャン(=マレー)のことは、ルキーノが名前を出せば話そうと思った。だが、彼は何も聞かなかったので、私もあえて話すことはしなかった」(”Include Me Out”) これが、ジャン・マレーによるファーリー・グレンジャーお持ち帰り事件(事件か? そもそも)の全容なのだが、著者とお相手が「名うて」だったせいか、”Include Me Out”出版以降、アメリカではジャン・マレーはファーリー・グレンジャーのmale loverだったという話になってしまった(ちなみにマレーの自伝にグレンジャーの名はない)。このmale lover説は、例によってネットで広まっている。ジャン・マレーのmale loverというなら、お相手は間違いなく、10年も生活を共にしたジョルジュ・ライヒ(ジョージ・レーク)だろうに、彼のことはみんな忘れたようだ。 摩訶不思議也。 名作洋画DVD 「見知らぬ乗客」 日本語吹替&字幕版 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.09.18 19:56:57
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