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カテゴリ:Movie
若くして亡くなったヒース・レジャーが、いかに素晴らしい役者だったかについては、彼の急死を受けての連載エントリーでしつこいぐらい長々と書いてきた(2008年1月24日からの飛び飛びの連載を参照)。
そのときは、まだ『ダークナイト』(バットマンシリーズ)が公開されておらず、関係者の話として「ジャック・ニコルソン(かつてバットマンでジョーカーを演じた)にまさるともおとらない名演だという」話を伝聞として紹介しただけだった。 ところが、『ダークナイト』が公開されると、「ヒースのジョーカー」の大方の予想をはるかに凌ぐ鬼気迫る名演に、絶賛の嵐が巻き起こった。ジャック・ニコルソンのジョーカーに「まさるともおとらない」どころか、「もはやジョーカー役はヒースの永久欠番とすべき」という声さえ出た。 Mizumizuの関心は、この演技に対してハリウッドがアカデミー賞を与えるかどうかという点にあった。そして、恐らく「与えるだろう」と思っていた。亡くなってしまった役者がアカデミー賞を獲るのは難しい、それは事前によく言われていたことだ。人々はその場で受賞の感激にひたるスターの喜びの表情を見たがるものだし、そもそも役者に与えられるアカデミー賞というのは、その後の飛翔を後押ししようという意味が強いからだという。 だが、ヒース・レジャーにはもともと、『ブロークバック・マウンテン』でのアカデミー主演男優賞が与えられるべきだったのだ。時間がたてばたつほど、Mizumizuはその思いを強くする。 『ブロークバック・マウンテン』でのヒースの名演を監督のアン・リーは「奇跡的」と称えたが、正直最初は、監督の身びいきか宣伝の一種ではないかと思っていた。 『ブロークバック・マウンテン』のイニス役は、『ダークナイト』のジョーカー役のように、わかりやすいインパクトはない。むしろ、素人には、イニス役のヒースにしろ、ジャック役のジェイクにしろ、役の年齢と彼らの実際の年齢のジャップが気になってしまうかもしれない。 「あと数ヶ月先だったら、2人を起用しなかった」とリー監督がいうように、ヒースもジェイクも10代の終わりに出会ったという最初の設定に対しては、少し大人すぎる。そして、物語の後半30代後半に入ったという設定に対しては、若すぎる。最初に見たとき、どうしてもこうした「年齢」に対する違和感が先に立ってしまいがちだ。 だが、何度か観賞するうちに、それは非常に表面的なことにすぎないことがわかってくる。アン・リー監督が、なぜダブルキャストにせず、ヒースとジェイクに20年におよぶ物語の登場人物を演じさせたか。そして、2人がそれをどう演じたか。 つまり、この物語の演技の最大のポイントは、「感情の変遷」を見せることにあったのだ。ジェイクはそれを、「エモーショナル・ジャーニー」と表現したが、この内面的な旅は、感情表現の豊かなジャックだけでなく、自分の感情を表現するのが非常に苦手だったイニスにもあるのだ。 たとえば、台本に「(ここで)イニスは初めて笑う」というト書きがある。実は台本を読むまでは、イニスがどこで初めて笑ったのか気づかなかった。カンニングペーパーを見たあとで初めて、イニス役のヒースが、ジャックをちらりと見て、「初めて笑う」シーンをいかにさりげなく、巧みに演じているかわかった。閉鎖的な人間は、にっこりと素直に笑うことはできない。だが、確かにそこで、イニスは伏目がちの微笑みを一瞬、ほんの一瞬だけ浮かべていたのだ。 そして、初めて笑ったとき――つまり、ジャックに心を開き始めたときから、確かにイニスの表情はそれまでと違っている。 こうした表情の演じ分けは、本当に何度も見なければわからない。もちろん、リー監督のような優れた演出家ならすぐにその素晴らしさを評価できるだろうが、一般人となるとそうはいかない。 だが、この「初めて笑う」シーンはスチール写真になっていて、ヒースが急逝したときに、アメリカの多くのメディアが使っていた。このシーンがヒースの演技の中で重要な意味をもつということがわかっていたのか、あるいは単に偶然なのかわからないが。 『ダークナイト』のジョーカーが発する異様な雰囲気、サイコパスの恐ろしさは、誰に対しても最初から強いインパクトを与えるはずだ。ジョーカー役の演技の凄さは、とても「わかりやすい」のだ。 ジョーカー役でヒース・レジャーという役者を初めて見た人は、彼がそもそもはブロンド巻き毛のイケメン俳優だったということを知って驚くかもしれない。逆に、ヒース=イケメンと思っていたファンは、白塗りメイクの狂気のジョーカーにショックを受けるかもしれない。 そこがヒース・レジャーという役者の凄いところだ。美男俳優には、自分のイメージが変わってしまうことを恐れ、永遠の二枚目でいようとする人も多い。年をとっても美容に気を遣い、ホルマリン漬けのような若さを保っている。自分がすでに年をとってしまったことに気づかない人さえいる。だが、ヒースはまだまだイケメンで稼げる年齢でありながら、自分の美貌に固執しなかった。それどころか、コアなヒース・ファンが悲鳴をあげるような、元来のイメージとは真逆の役にあえて挑んでいる。 ヒース・レジャーとならんで、Mizumizuが熱心に紹介した役者にフランスの往年の美男スター、ジャン・マレーがいるが、彼もむしろ、二枚目役ばかりもってくる周囲にうんざりしていた。役で老けられると知ると、情熱を燃やした。「人々は羽を広げた孔雀のように、私が美貌だと言われて有頂天だと思ったのだ。そして年をとってそれを失うと苦悩したと想像する。どちらも間違いで滑稽な話だ。美しさが要求される役ならば、美しくなろうと努力する。醜い役なら醜くなろうとするのと同じだ」とマレーは言っている。 ヒース・レジャーという役者にも、ジャン・マレーに共通する「演技への情熱」がある。彼らはどちらも、その恵まれたルックスで人々の注目を集めたが、2人とも「バカ」がつくくらい演劇が好きだった。 マレーが老け役に情熱を掻き立てられたように、ヒースもジョーカーという異常な役に情熱を燃やしていた、いや命をかけたのだ。 ヒース・レジャーの心中に偉大な先達であるニコルソンへの対抗意識があったのは、事実だろう。先日20歳そこそこの無名時代のピカソの作品に、すでに当時名声を確立していた先達の作品に対するライバル心があることを指摘したが、ニコルソンのはまり役だとされたジョーカーをあえて引き受けたヒースにも、ピカソと共通する自負心と野心、そして挑戦する意思があったはずだ。 それでなければ、こんなにリスキーな役は受けない。比べられることはわかっている。相手は天下のニコルソン。まるで、一斉射撃をしようと構えている敵陣の中へ乗り込むようなものだ。目的がお金でないことも明らかだ。ヒースはジョーカー役に集中したいという理由で、大作『オーストラリア』への出演要請を断わっている。お金目当てなら、両方受ければそれだけ儲かる。 思えば、ヒース・レジャーという人は、リスキーな役をあえて引き受けるようなところがある。イニス役もアメリカ社会では非常にリスキーだった。事実、ヒースはある種の宗教団体から執拗な嫌がらせを受けていた。また、偉大な先輩俳優がやった役をあえて引き受けるという意味では、『カサノバ』もそうだった。カサノバ役はドナルド・サザーランドもアラン・ドロンもやっている。過去のスターが演じたのとはまったく違うキャラクターを、確かにヒースはハリウッド版『カサノバ』で演じていた。 ジャック・ニコルソンのジョーカーは怖い。気味が悪く、異常で、モラルを超越した悪人だ。こんなキャラはニコルソン以外には考えられない。だが、ヒース・レジャーのジョーカーはもっと怖い。戦慄すべき人の心の闇を、ある種の「謎」とともに、見るものに意識させる。「心の闇」という意味では、ヒースのジョーカーのほうが普遍性があるともいえる。ニコルソンの演技に足りなかったものが、ヒースの演技にはある。まったく違った演技だと言うこともできるが、ニコルソンのジョーカーは、ニコルソン自身のキャラクターに拠っていたという印象が強くなった。ヒースの演技は、まさしく作り上げた虚構のキャラクターの見せる、恐ろしい人間の精神の闇の真実だ。 演劇とは真実を語る虚構なのだ。ヒース・レジャーのジョーカーはそう言っている。 案の定、ハリウッドはヒースのジョーカーにアカデミー助演男優賞を与えた。それはなにかしら、『ブロークバック・マウンテン』で主演男優賞を与えなかったことへの贖罪のようにも見える。 このジョーカー役での受賞によって、まったく違った役を演じた『ブロークバック・マウンテン』でのヒースの演技が、一般にもっと見直されることを期待している。 そして、もう1つ。Mizumizuの関心は、たとえば10年、20年後に、人々がヒースの代表作として、『ダークナイト』のジョーカーをあげるか、『ブロークバック・マウンテン』のイニスをあげるかということにある。 もちろん、ファン個人の嗜好もあるだろう。年齢によっても好みが違ってくるように思う。若い世代なら断然ジョーカーだろうけれど、彼らが年をとって『ブロークバック・マウンテン』を見たとき、もしかしたら、「ジョーカーよりイニスのほうが凄い」と思うかもしれない。少なくとも、「何度も見たい演技」という意味では、Mizumizuはやはり『ブローク・バックマウンテン』のイニス役に軍配をあげる。 個人的な好みは別にして、歴史の審判が楽しみな役者だ。こんなに凄い俳優はめったに出ない。ハリウッドの映画史上でも十指に入るのではないか。とかく映像技術に走りがちで、俳優もその個性に頼りがちだったハリウッド映画界で、役者のナマの演技力という原点で勝負し、これほど円熟した世界をあの若さで見せてくれた俳優は稀有な存在だ。 しかし、日本でのヒース・レジャーの知名度って、そ~と~イマイチ…(苦笑)。 『おくりびと』『つみきのいえ』のダブル受賞という快挙があったとはいえ、テレビではほとんどまったく報道されずじまい。 『ダークナイト』も日本では、それほどヒットしなかったらしい。映画の宣伝CMでも、 「ありがとう、ヒース・レジャー」 と一瞬出ただけだった(再苦笑)。 「ありがとう、ヒース・レジャー」・・・それだけですか? 個人的に大・大・大評価している役者の快挙が、ほとんど日本では注目されたなかったことは残念だが、そうはいっても、『おくりびと』『つみきのいえ』はめでたい。 見てないので、内容については何もいえないのだが、本当におめでとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.02.26 11:01:11
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