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カテゴリ:Essay
陶磁器が好きなので、焼き物で名高い街に行くと、思い出に食器やカップ類をいくつか買うのが習慣になっている。 あまり高いものは買わない。せいぜい数万レベル。磁器の食器は平気で10万、50万とするものもあるが、そういうランクになるとキズついたり、色が剥落したりするのが怖くて使えなくなる。緻密なハンドペインティングだとか、金彩が場違いに華やかなものだとか、買ってもコレクションとして眺めるだけになる陶磁器にはあまり興味がなくて、Mizumizuの目的はあくまで日常に使えるもの。 それをあれこれ迷いながら、窯元あるいは窯元に近い街で選んで歩くのが好きなのだ。 日本ならまだいいのだが、個人で海外旅行しているときはやっかいだ。旅の途中で割れ物を買ってしまったら、最後まで自分で持って歩かなければいけない。「大丈夫かな? 割れてないかな?」と常に心配になるのがストレスだし、といって確認のために梱包を解いてしまったら、あとがもっと面倒だ。 それでもやはり買ってしまう。フランスのリモージュを訪ねたときも、気に入るものがないかいろいろと店を見て歩いた。 ハッキリ言って、リモージュの街での磁器探しは、期待したほど楽しくはなかった。窯元があるわけでもなく、ショップも案外大量生産モノを置いているところが多く、白一色のダイニングセットなど見ると、 「これじゃ、ノリタケと変わらんじゃん」 と心から叫びたくなった。ノリタケがリモージュのマネをしたのかもしれないが。 ともかくリモージュは、磁器を扱う店は多いのだが、どこも似たり寄ったり。 日本のデパートに入ってくるリモージュは、それなりに「おフランスっぽい」ものが選ばれているが、現地で見たら、わりあい「どこにでもあるふつー」の磁器が多かった。 なんというか、これなら何もリモージュくんだりまで来る必要はない。パリのデパートで十分じゃないかと。 焼き物の街という意味では、有田や伊万里のほうがずっと雰囲気がある。リモージュの国立陶磁器美術館も思いのほかレベルが低い。リモージュで磁器産業が始まったのは18世紀末。肥前磁器の始まりは17世紀初頭。その差がいかに歴然たるものかを確認する結果になった。 それでも、街の中心の広場に面したHaviland(アヴィランド)直営店は品揃えも質もよく、ここで気に入ったデミタスカップ&ソーサーとデザートプレートを2種類買った。 アヴィランドはリモージュ土着のメーカーではなく、ノルマンディーに起源をもつ(と自分たちで主張する)アメリカ人貿易商が作った会社だ。 そのせいなのか、アヴィランドのリモージュ焼きは、東洋風のもの、いかにもフランスらしいロココ風のもの、そして超モダンでスマートなものまで、デザインの選択肢が非常に広い。「外部からの風」と採り入れることに躊躇がない。 東洋風のものは「シノワズリー」と呼ばれる中国趣味のものから、ヨーロッパで一世を風靡した「柿右衛門」カラーを採り入れた和風なものまで・・・・・・というか、実際にはそのフュージョンになっていて、中国の磁器とも日本の磁器とも違う、フランス的解釈の不思議な東洋が器になった、という印象。 ロココ風のものは、ルイ絶対王政時代を彷彿させる豪華絢爛な金彩を特徴とするものと、可憐で華やかな花模様とに大別できると思う。リモージュ焼きは花柄デザインをマリー・アントワネットのイメージとくっつけて、うまく商売をした感がある。 オーストリアから輿入れしてきた美貌の王妃を、自分たちの手で首チョンしておきながら、今ではフランスのプロモーションに思いっきり利用している。実に都合のいい人たちだ。 「悲劇」が、常に最高の商売のネタになるのはいずこの国も同じこと。 さて、アヴィランドで意外と充実していたのは、現代的なすっきりとしたデザインのものだった。これにも案外心惹かれたのだが、モダンなものなら日本製にもあるし、やはりリモージュ焼きを買うなら、徹頭徹尾フランス風のフェミニンなものがいい。 というわけで、選んだのが、「ヴァルドロワール(ロワール渓谷)」と「ヴィウパリ・ヴェール(旧きパリ、緑バージョン)」という、いかにもフランス的なネーミングの2品。 りっぱな店構えの高級店だったが、日本人がいい客だと知っているのが、売り物を棚から自分の手でおろしてじっくり選んでいても、齢おそらく60歳超のマダムは、何も言わずに脇でニコニコしていた(でも、かなり笑顔が引きつっていたので、内心、「割らないでよ、割らないよ」と念じている雰囲気はビシビシ伝わってきた・笑)。 「自分で日本に持って帰るので、丁寧に包んで」と英語で言ったのだが、全然通じない。すると奥に引っ込んでわざわざ英語のできる若い女の子を連れてきた。 こういう丁寧(というか、ま、日本のレベルなら当たり前のことだが)な接客は、フランスでは珍しいので印象に残った。 これしきのことで好印象の店になるってのが、フランスの凄いところだ。 同じことを英語のできるお姉さんに言うと、「もちろん、もちろん。気をつけるわ」と胸を張りながら、ごくごく普通の梱包をしてくれた。 愛想のいいマダムは、最後まで笑顔全開。翻訳すると、「できればもっと買って欲しい」というところ(意訳)。 よっぽど売れないのだろうか、リモージュ焼き。日本でも高級磁器は苦しいと聞くが、いずこも同じかもしれない。 だが、こういう「人との思い出」ができるのが、旅先の買い物の楽しさだと思う。店に個性があるように、売る人にも個性がある。それがおもしろい。最近はそういう「人の顔」が見られる店が、特に日本では、少なくなってしまったが。 リモージュを発ってクルマで中部フランスを回り、パリ経由で日本に帰って来た。自宅で梱包を解くときはドキドキする。 よかった。割れてない。 リモージュ焼き全般に言えることだが、地の白が青ざめていて、透明感がある。温かみには欠けるが、何ともいえないクールさが上品で貴族的だ。 Mizumizuはなぜかデミタスカップの円筒形が好きで、気がつくと家中デミタスカップばかりになっている。普通のコーヒーカップが非常に少ない。デミタスカップの形なんて、どれも同じなのだが、その同じ、小さな円筒形に、違ったデザインが施されているのを見るのが楽しいのだ。 リモージュで買った2種類のデミタスカップとプレート。使ってみると、どちらかというとヴィウパリ・ヴェールのほうが好きになってきた。ヴァルドロワールのほうは、寒色のニュアンスのある地色に、寒色のブルーを基調とした柄なので、これでデザートを食べると、かなり「寒い」感じになる。 ヴィウパリ・ヴェールのほうが使用頻度が増えた。 で・・・ 割れ物の運命の瞬間が、1年とたたずにやってきてしまった。 つまり・・・ 洗ったあとにシンクにうっかり落としてしまい・・・ パキーン! デミタスカップのソーサーが、まっぷたつに割れてしまったのだ。 「わ~!!」 と、大声をあげたのは、たまたま一緒にキッチンにいたMizumizu連れ合い。Mizumizuがヴィウパリ・ヴェールをとても気に入ってると知っているので、必死に慰め始めた。 ショックのあまりMizumizuが暴れると思ったらしい(?)。だが、割ってしまった本人のほうは、誰のせいでもないし、わりあいあっさりと、 がっくり・・・ しただけだった。 もうちょっと使いふるしてから割りたかった。いや、そりゃ、できれば永遠に割りたくなかったが。 しかし・・・ きれいに2つに割れていて、そのままくっつけたら使えそうだ。セメンダインで貼り合わせてみようかと連れ合いとも相談したのだが、素人がやったって、きれいにくっつくわけがない。 割れてしまったものは割れてしまったものだし、ソーサーなしでカップだけ使うしかないかな、と思いつつ数ヶ月放置・・・ しておいたら、神の啓示か、テレビである職人が紹介されているのを見た。 <明日に続く>
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最終更新日
2010.01.13 16:09:59
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