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今のルールではなかなか結果が出ない「理想追求型」のジャンプ構成。4回転を入れた「理想追求型」でもっともうまくいっている数少ない男子トップ選手がアボット選手だということは、すでに書いた。 そして、とうとうそのアボット選手が全米で結果を出した。今季の世界王者かつファイナル覇者であるライザチェック選手に大差をつけての完全勝利。 「優等生の出してくる試験答案は見ていて気持ちがいい」と、受験指導の教師はよく言うが、アボット選手のフリーのプロトコルもまさにそれ。最後のスピンのレベルだけが「2」に留まっているが、あとはレベルもほぼ文句なし。GOEも全要素でマイナスがついているのがたった1箇所。 現在の男子のジャンプ構成の「まったき理想」は、プルシェンコ選手がつい先日ヨーロッパ選手権で見せた4回転1度にトリプルアクセル2度だといえる。トリプルアクセルを1度に抑えているアボット選手のジャンプ構成は、その意味では「まったき理想」とはいえないかもしれない。だが、プルシェンコは、案の定(?)ルッツが2回転になった。 つまり、今の世界では、4Tを1つ、3Aを2つ入れて、かつ他のジャンプをすべてコンスタントに成功させられる力をもった選手はいないと言っていいのだ。 アボット選手は、トリプルアクセルを1つにしているが、他の3回転ジャンプはすべて成功させた。ここまで4Tを入れずに結果を出してきたライザチェック選手はといえば、今回4Tを入れて、ダウングレード転倒、さらに2つではなく1つにした3Aからの連続もきれいに決まらず、普通なら跳べる3ループが2回転になって、しかも乱れた。 つまり、ライザチェック選手も、4回転を入れることに連動する失敗のパターン、「次に難しいトリプルアクセルで失敗する。後半のいつもなら跳べるジャンプで失敗する」の2つに見事にはまっているということなのだ。正確には3A+2TはGOEだけのマイナスに留まっているから、「次に難しいトリプルアクセルで失敗する」のパターンからは、だいたい抜け出しているという見方もできるのだが。 ライザチェック選手が4回転を入れるとこうなるであろうことは、想像できた。4回転をはずしても、トリプルアクセル2つをなかなかきれいに決められない。今回トリプルアクセルを1つにしたから、3Aからの連続ジャンプ3A+2Tをなんとか決めることができたが、これで欲張って3Aを2度にしていたら、もっとミスが増えただろう。 アボット選手がついに4回転を決めて、かつ他のジャンプを成功させられたのも、決して偶然ではない。アボット選手はファイナルですでに、4回転は失敗したが、他のジャンプはすべて決めている。4回転を入れるとはまる失敗のパターンから抜け出していたのだから、今回の結果は階段を1つうまくのぼったということなのだ。 だが、この1段をちゃんとのぼるのが非常に難しい。今回アボット選手がとうとう結果を出せたのも、彼がすでに過去に4回転を試合で決めた実績があること(2季前のワールド)に加えて、練習での4回転の確率がいい、つまり4回転を跳ぶ実力がもともと備わっていたからだとも言える。 ここに至るまでのアボット選手は、非常に着実に階段をのぼろうとしてきた。2季前のワールドで、アボット選手は4回転は決めたが、他のジャンプがボロボロになった。そこで昨シーズンは、4回転を捨てて、他のジャンプをきれいまとめる作戦に出た。アボット選手は、ライザチェック選手やウィアー選手と同世代。常に注目されるこのアメリカの2強の陰に隠れて、それまで全米4位だったアボット選手の昨シーズン初めは、崖っぷちに立たされていたといっていいと思う。 そして、昨シーズン前半、4回転なしで思った以上の結果が出て、アメリカ男子初のファイナル王者になり、勢いにのって全米も制した。この結果を出したあとに、アボット選手は4回転を入れ始める。だが、なかなか4回転が決まらない。そして肝心の世界選手権では、他のジャンプも乱れてしまい、惨敗。 今シーズンは、コーチを佐藤有香に替えて練習環境も一新した。シーズン前半、4回転を入れての構成にこだわったアボット選手は、4回転をはずしてプログラムの完成度を上げる作戦できたライザチェック選手の後塵を拝することになった。 だが、着実に「失敗するジャンプ」を減らしたアボット選手は、今回の全米でとうとう、「理想追求型」の高難度ジャンプが成功したときの強さを見せ付けた。 全米フリーの演技は、以下の動画サイトで見られるが、 http://www.youtube.com/watch?v=FM8zegmh9sc&feature=player_embedded 今季Mizumizuが見た男子フリーの中でも、最も素晴らしいプログラムだった。音楽そのものが氷上でうねっているかのようなパフォーマンス。見ていて鳥肌が立った。アボット選手の個人演技史の中でも最高の出来。 フリーの4回転も迫力があったが、ショートでのトリプルアクセルに入る前のターンとステップも驚異的だ。これぞまさに「独創的なジャンプの入り」。ジャンプのあとに、すぐにモーションが入るのも、これはきちんとジャンプを降りなければできないことなので、非常に高度かつリスキーな構成になっていることがわかる。 「ジャンプが決まるとプログラム全体が非常に素晴らしくなる」と言ったのは、浅田真央とタラソワだが、アボット選手の密度の濃いプログラムにもそれがいえる。 フリーの振付は高橋選手の「道」と同じく、イタリア人振付師のカメレンゴ。人生のドラマを巧みに表現した演技性の高い「道」に対して、音楽そのものを表現するこのアボット選手のフリーは、正直に言うと、これまであまりピンときていなかったのだが、印象ががらりと変わった。 アボット選手は滑りはうまいが、さほど表現力に恵まれた選手ではないと思う。だが、昨シーズンと比べて、ショート、フリーとも表現力に抜群に磨きがかかった印象がある。ジャンプも表現も、確実に進歩している選手。実際のところ、こういうふうに言える選手がここのところいなくなってしまっている。結果を出すために大技を省いたライザチェック選手は、プログラム全体の完成度は上がったかもしれないが、必ずしもそれが「進歩」には見えない。リスクを避けてうまくまとめて点を伸ばす、というのは観ているほうにとっては、やはり物足りないのだ。 ウィアー選手にいたっては、4回転をはずしても、トリプルアクセルが不安定で、かつ振付の傾向もあるだろうが、かつて全米を制覇していたころの線の美しさを活かしたバレエ的な高貴な雰囲気がなくなった。プログラム全体もスカスカに見える。アボット選手がジャンプを決めてしまうとさらにその印象が強まる。ショートは文字通り短いのでさほど気にならないが、フリーになると密度の薄さが目立ってしまうように思う。 キム選手の振付に対しても、Mizumizuは同様の印象をもっている。要所要所のセクシーなポーズや音楽のポイントを抑えたちょっとした踊りでメリハリをつけてはいるが、全体的にさらっとしすぎていて、フィギュアスケートそのもののもつ醍醐味に欠ける。キム選手、ウィアー選手ともに、体力的にあまり恵まれたほうではないので、なんとか「省エネ」でいこうとする振付師の目論見が見えてしまうせいかもしれない。 対照的にアボット選手は、ジャッジに向かって顔芸でアピールしたり、ステップの途中で止まって体を「妖艶に」クネクネさせたりはしないが、徹頭徹尾正統派のスケート技術で観客を魅了しようとする。上体を大きく使ってリズムをとらえ、深いエッジ遣いや細かいエッジ捌きで音楽のテンポを表現する。派手さには欠けるかもしれないが、通好みの極めてインテリジェンスな振付だ。要素間のつなぎも高度で、ただ単に滑っているところが少ない。 知性と気品を感じさせるプログラムが少ない昨今、変に媚びない正統派の路線で、「これこそがフィギュアスケート」という密度の濃い振付と難度の高いジャンプを両立させた意義はあまりに大きい。 今回の全米、アボット選手のフリーが1位、ウィアー選手が5位。演技・構成点では、アボット選手の86点に対し、ウィアー選手が77.34点と9点近く差がついた。技術点に関しては、89.75点(アボット)に対して、71.24点(ウィアー)と18.51点もの差がある。ジャンプ構成を落として、しかも失敗してしまうとこうなる。 特に演技・構成点については、点差が妥当かどうかは主観によるので論じる意味はないが、ウィアー選手の「現状適応型」のプログラムのもつ弱さが、露呈した形になったと思う。ウィアー選手に関しては、どうも去年から「進歩」した印象がないのだ。ジャンプは明らかに後退してしまっているし、プログラムの振付は、個性には合っているが、好き嫌いが分かれすぎる。 東京ファイナルのショートでのあまりに男娼めいたポーズには、正直辟易した。ああいった演技は、「アジアのある種の嗜好をもった女性ファン」には非常に受けるかもしれないが、それはそれだけのことだ。アマチュアらしい清潔感を捨ててしまうのは、ファン層をみずから狭めるだけの結果になりかねない。今回の全米では、ファイナルのときのような露骨なポーズは抑制されていたので、安心した。競技会はあくまで競技会。いくらフィギュアの試合が商業的な意味をもつとはいえ、お色気を競うショーにしてはいけない。 ウィアー選手は、「妖艶な演技」に軸足がのりすぎている。その一方で、まだフリップにはアテンションマークがつき、4回転を捨てているにもかかわらずトリプルアクセルが2度きちんと入らない。こうした欠点をしっかり克服してオリンピックに来て欲しい。いくら層の厚いアメリカとはいえ、国内大会のフリーで5位まで落ちてしまっては、先行きが暗い。 アボット選手のほうは、これだけ密度の濃い難しいプログラムを、ここまでミスなくできたのだから、言うことは何もない。あとはオリンピックでこの演技を繰り返すのみ。あの高度な構成を見ると、やはり相当にリスキーなプログラムだという印象は変わらない。今回のように滑ることができれば高得点が出るのは間違いないが、どこかで失敗すると、それが連鎖して全体が崩れてしまう可能性も高い。それでもこうして、徐々に完成度を上げてきている様子を見ると、オリンピック本番も過度に緊張しなければ、かなり期待できる。アボット選手は、むしろここで「もう1段ステップアップを」と欲を出さないことだ。 本人にとって、ライザチェックをブッチ切っての今回の全米2連覇が大きな自信になったことは間違いないし、4回転を入れて、かつ他のジャンプも決めることのできる世界のトップジャンパーであることを内外に印象付けた意義も大きい。 だが、それ以外にも今回のアボット選手の出した結果は、2つの重要な意味をもつことになると思う。 まずは、振付師カメレンゴの名声が飛躍的に高まるであろうこと。 なにしろ、高橋大輔の「道」と2本立てだ。それぞれまったくテイストが違うにもかかわらず、これまでとは一味違う選手の個性を引き出すことに成功した。フィギュアの振付で、もっとも注目されるのは、やはりシングルなのだ。高橋選手、アボット選手という世界トップクラスのシングル選手の振付を担当し、これだけ斬新な印象とともに高い点数を得たということは、カメレンゴ氏の人生にとっても今年は重要なターニングポイントになるだろうと思う。 <続く>
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最終更新日
2010.01.23 05:38:42
[Figure Skating(2009-2010)] カテゴリの最新記事
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