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2010.01.24
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カテゴリ:Figure Skating(2009-2010)

<続き>
こうした佐藤有香のスケート技術に立脚した表現力を、アボット選手は今季うまく吸収してきているように思う。彼も動きに無駄がなく、かつ嫌味がない。昨シーズンに比べて、確実に表現がスムーズになり、「進歩している」という印象を強くもつことができた。

そして、もう1つ。佐藤有香のもっている価値観。これが現行のルールで勝って行くのにピッタリなのだ。

この動画の解説を聞くとよくわかる。

http://www.youtube.com/watch?v=V5JNIvvVgMU&feature=related

もう10年も前の演技だが、このとき解説の佐藤有香は、マリニナ選手のスケートの基礎力、それにジャンプを褒めている。ルッツに関しては、「エッジの正確さ」。ジャンプの質に関しては、いわゆるディレイド・ジャンプの概念からマリニナ選手のジャンプがお手本だと言っている。つまり、「きちんと上にあがって、それから回転を始め、回転を止めて降りてくる(回りきっての着氷)」ということだ。そして、「最近トリプルジャンプ、トリプルジャンプと必要にせまられて、スケートを滑るというところがいい加減になってきている傾向がある」「ルッツのエッジをきちんとバックアウトサイドで踏み切れる選手がいない」とも言っている。

当時こうした視点で話をする解説者はいなかった。つまり佐藤有香は、このころからずっと、「4つのエッジ(アウト、イン、フォア、バック)の使い分けを含めた、基礎的なスケート技術の低下」が気になっていたのだろう。現行のルールは、運用にははなはだしく問題があるが、方向性としては一理ある。それを10年も前にズバリと言っているのだ。

なぜ今佐藤有香なのか。彼女がスケートに対してもっている価値観に触れたこの大昔の解説を聞けば、その答えはおのずと出ると思う。

彼女が現役選手にコーチとアドバイスをしている場面をテレビで見たが、さかんに、「自分自身で考えること」の重要性を説いている。

これにも過去の「前例」があるのだ。佐藤選手は世界女王になる直前のリレハンメルオリンピックで、本番直前にジャンプの調子を著しく崩していた。解説の五十嵐さん曰く、「練習ではジャンプが全然跳べていなかった」「氷の上で考え込んでいた」。テクニカルプログラム(ショートプログラム)のジャンプの失敗で出遅れ、フリーでは最終グループに入れなかった佐藤選手。それでも、練習では跳べなかったジャンプをフリーでは、相当のレベルでまとめた。そして、演技終了後、「最終グループには入れていれば、もっと点が出たと思う」というコメントを残している。

そのときの動画がこれ。


http://www.youtube.com/watch?v=x2u2Qk4Fd9s&feature=related


非常に緊張した面持ちで演技に入り、終わったときは、「やった!」という顔で一瞬泣きそうになっている。

跳べるはずのジャンプが跳べなくなってしまうのには、理由がある。浅田選手も同様のことを言って、ビデオを見て軌道を修正したと語っている。佐藤選手はそれを恐らく、オリンピック本番直前の氷上で、頭の中でやっていたのだ。練習は必ず考えながらやること。「自分の頭で考える」ことに主眼をおく佐藤有香の価値観が、アボット選手のようなある程度完成された選手に対して、非常に短期間で功を奏したとしても不思議ではない。

こちらはオリンピック後に日本で開かれた世界選手権のフリーの様子。このときは、演技に入る前にだいぶ精神的余裕があるようで、表情が柔らかだ。


http://www.youtube.com/watch?v=p03ZQBf0TvA&feature=related


アボット選手もこの演技に感銘を受けたと話していたが、Mizumizuもこのプログラムは、フィギュア史上に残る大傑作だと思っている。何度見ても飽きない。

手足の長い白人の美少女がバレエ的に優雅に舞うだけがフィギュアの表現力ではない。伸びやかな滑りとキビキビとしたエッジ捌きが高い次元で両立し、かつエレガントが上半身の動きが見事に足の動きと連動している佐藤有香の表現は、まさにフィギュアスケート独自のもの。メリハリの効いたポーズも、流れるような動作も素晴らしい。いつまでも色褪せない価値をもったプログラムだ。

一方で、ジャンプは非常に弱い。ジャンプはルッツとフリップがそれぞれ単独で1回だけ。3トゥループが2トゥループになっている。前半にかためてしまっているのでジャンプ構成のバランスも必ずしもよくない。それを補うステップワークをもっているからこそ、世界レベルでも通用したが、このジャンプ構成で世界女王はどうか、という意見も当然あるかもしれない。事実、採点結果は1位をつけたジャッジ5人、2位をつけたジャッジが4人という僅差だった。

だが、肝心なことは、佐藤有香はこのとき、ジャンプの目立った失敗をしていないということだ。ルッツとフリップは着氷はよくないが、なんとか踏みとどまっているし、トゥループをダブルにしたのは、3回転ジャンプのミスではあるが、ジャンプそのものの失敗ではない。連続ジャンプは、3Lo+2Tに、2Aから3Sへのシーケンス。ルッツとフリップをなかなか連続にできない佐藤選手ならではの構成だ。この「シーケンス作戦」は、ダウングレード判定が厳しい今季、多くの女子選手が取り入れている。

もし、このとき、ジャンプの得意なライバルのボナリー選手に対抗して、なにがなんでもルッツを連続にして2回入れようとでもしていたら、おそらくミスって自滅していた。このシーズン、佐藤選手はずっとジャンプがうまくいっていなかったのだ。全日本を2連覇したときのインタビューで、「これで優勝してしまうのか・・・」と敗者のような反省の弁を述べていた(と思う。記憶ベースなので、もしかしたら混乱しているかも)。

それでもシーズン最後には、自分のジャンプの地力に合った構成をかためてミスを防ぎ、「ジャンプ以外の部分」で魅せたから世界女王になることができた。これは、現行のルール下での勝ち方と共通してはいないだろうか? 日本選手が負けるのはなぜか? 採点が変? それはわかっている。だが、なんといっても、「自滅してしまうから」だというのが大きな理由ではないか。ライバルに勝つために、客観的に見たら「バンザイ攻撃」でしかない高難度のジャンプ構成を組む。案の定難しいジャンプは跳べない。焦る。次に難しいジャンプでまた失敗する。後半になると体力がもたなくなって、またミスる。たいがいがこのパターンだ。そして、「次につながる」と同じ台詞を繰り返し、「次」になっても、やはりあちこちでミスをする。

こういう思考回路に陥るのも、実際のところ無理はない部分もある。たとえば男子で4回転を捨てるとすると、トリプルアクセル2度を決めることが最重要課題になるが、それではパトリック・チャンと同じレベルにまでジャンプ構成を落とすことになる。ジャンプ構成が一列になってしまったら、勝負を決めるのは演技・構成点。そうなってくると、おそらく地元のチャン選手の演技・構成点が高く出るだろう。また、プルシェンコのように確実に4+3を決めてくる選手には自力で勝つチャンスがほぼなくなり、彼のミス待ちになる。ところがプルシェンコは(ほとんど)ミスをしてくれない。精密な機械のようにジャンプを降りてくる。だから、メダルを確実にするためには、どうしても4回転が必要なのだ。本田武史の、「横一線になったときに、4回転が切り札になる」というのは、そういう意味だ。

理屈はそうだが、現実の自分の実力を素直に見極める勇気がなければ、大技は切り札どころか、ただの自爆装置になってしまう。「誰々が何々を決めたら、自分も何々を決めないと勝てない」というifの世界に入り込んで自爆するよりも、もっと大切なことがあるはずだ。それにプルシェンコのフリーの点を見ると、あれだけのジャンプを決めても、必ずしもブッチ切りの銀河点ではない(もちろん、お手盛りの国内大会は除く)。

誰かに勝とうとするのではなく、自分のできる最大限のことをミスなくこなして、プログラムの完成度を高めること。それが、1994年に佐藤有香が、そしてトリノオリンピックで荒川静香がやったことなのだ。

よく「誰々と誰々が完璧な演技をしたらどちらが勝つか」という不毛な問いかけに対して、元有名選手が困惑しながら意見を述べている姿を見るが(たいていは、「やってみないとわからない」という答えになってしまう)、現実には、ミスのない演技を大舞台でする選手はほとんどいない。だから、実際には「失敗しない選手」がここ一番で勝ち、「失敗した」選手が負ける。「完璧な演技をしたらどちらが勝つか」の闘いになったことはほとんどない。「どちらがミスをしないか」の闘いがほとんどだと言ってもいい。

佐藤有香の1994世界選手権は、薄氷を踏む勝利だった。だが、1票差でも勝利は勝利。世界チャンピオンのタイトルを手にしたことで、佐藤有香の将来は大きくひらけたのだ。世界タイトルを獲った佐藤有香は、すぐにプロへの転向を発表した。彼女自身がこの1つのタイトルが自分にもたらす「効果」を冷静に認識していたのだ。もし、あのとき勝っていなかったら、有名なアイスショーに呼んでもらうこともできなかったろうし、そうなるとプロスケーターとしてキャリアを積むこともできなかったかもしれない。全米王者アボット選手の横に座っている佐藤有香をキス&クライで見ることもなかったかもしれないのだ。

世界女王になった佐藤有香に対する当時の日本のメディアの扱いは実に冷淡なものだった。翌日のスポーツ新聞で紙面のトップを飾ったのは、高校野球(春のセンバツ)の完全試合。佐藤有香の記事など、探さないと見つからないぐらい小さいものだった。高校野球は人気があるかもしれないし、完全試合は快挙かもしれないが、それは単に国内レベルの、しかも高校生の話ではないか。世界相手に闘い、かつ勝った選手に対するこの軽い扱い、この態度は、まさに井の中の蛙。今になって「全米を魅了したプロスケーター、佐藤有香」「すべての選手のお手本」などと持ち上げている。実にアホらしい。実際に佐藤有香がプロフィギュア選手権などで優勝していたころは、見向きもしなかったくせに。優れた才能を自国では欠点をあげつらって貶め、海外から評価してもらってやっとその価値に気づく。日本人の態度はいつもこうだ。

いかに結果を出すことが大事か。そのための条件は、「果敢な挑戦」をすることでは決してない。まず自分が自爆しないことなのだ。この原則は、ルールがどう変わろうと不変だと思う。よく「モロゾフは、選手が跳びたがってるジャンプを回避させる」などと非難するファンがいるが、たとえばモロゾフがプルシェンコのコーチだったら、4回転を回避させるだろうか? ジャンプというのは確率。練習で確率の悪いジャンプは、試合でだって決まらない。模試で解けない問題が、本番の入試で解けないのと同じことだ。「ジャンプを回避しても勝てる」と思って回避させているというより、「自爆して負けてしまう確率を極力減らしている」と言ったほうがいい。結果としてそれが勝つための必要条件だという考えは、極めて合理的だと思う。

佐藤有香は、アボット選手とともに、今回全米で最高の結果を出した。ジュニアとシニアで世界女王のタイトルをもち、プロスケーターおよび解説者としても活躍し、かつコーチとしても成功したという人は、これまでほとんどいない。佐藤有香は世界初のフィギュア界の「オールラウンドプレイヤー」になるかもしれない。その素質は十分だし、実際にそこに向かう扉を自らの手で開けた。本当に素晴らしいことだと思う。それもこれも、彼女が基礎の基礎から一歩一歩積み重ねてきた結果なのだ。結果というのは一朝一夕には出ない。成功するためには運も必要だが、運がめぐってくることさえ偶然ではなく、長い間の積み重ねがもたらす必然なのだと思う。

<終わり>






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最終更新日  2010.01.24 13:43:57



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