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<続き> 今回の小塚選手のショートは素晴らしかった。彼がショートでは1位だったと思う。3回転+3回転のセカンドジャンプで例によって若干流れが止まった高橋選手ではなく。 小塚選手とアボット選手のショートはテイストが似ている。佐藤有香が振付師とコーチとしてかかわっているので、彼女の趣味なのかもしれない。どちらもモダンで非常に洗練されたプログラム。シーズン初めは、アボット選手の表現力のほうがはるかに成熟して勝っている印象だったのが、ここにきて、小塚選手が追い抜いた感がある。難度の高いプログラムをシーズンかけて徐々に完成していく――これがフィギュアの王道だし、それを小塚選手はやってのけた。 なのに、点数は・・・(以下、自粛)。 今回はショートの点の出方を見ても、「金メダルはチャンか高橋にしか、やらないもんね」採点だったと思う。 ショートの点の出方でMizumizuが泣きたくなったのは、アボット選手のトリプルアクセルに対するGOE評価。確かに着氷時に前傾姿勢になってしまったが、あのターン&ステップからのトリプルアクセルの入り方は非常に難しいのだ。世界トップ選手といえど、助走をほとんど取らないあの入り方でトリプルアクセルを跳べるのはアボット選手だけなのだ。 着氷したあとも一瞬エッジをピタッと止めて、すぐにこぶしを握り締めての回転動作に入る。一瞬、「オーバーターン?」と思わせるような演出だ。モーションでありながら、感情表現も含めた、インテリジェンスと独創性にあふれた出方。 ジャンプも幅はそれほどではないが、高さと幅のバランスは文句がないと思う。それなのに、着氷が若干前傾姿勢になったためなのか、ほかにマイナス要素があると見なされたためなのか、加点したのはたったの1人。それも「1」。逆にマイナス1をつけたジャッジも1人いて、あとは「0」。だから、基礎点そのままの8.2点。 「金メダル仕分け」されているチャン選手の幅跳びトリプルアクセルは気前よく加点がついて9.2点に。 これでは、難しいことをしている選手が報われない。逆にアボット選手のほうが、フリーのダブルアクセル(同様の難しい入り方・出方)で転倒してしまい、点が伸びなかった。見ているほうは、「なんでダブルアクセルなんかでコケるの?」と思うかもしれないが、非常にリスキーな難しい跳び方をしているからだ。 誰にもできないジャンプのエントリーを見せても報われない。これでは、こうした高度なことをやってくれる選手がいなくなってしまう。とりあえず遠くに跳んで、流れのある着氷をしたほうが点が出るというなら、皆そうするだろう。個性を評価せず、1つのパターンにあてはまったエレメンツばかりに点を出す。こうやってどんどん「その選手にしか出せないスポーツの美しさ」がなくなっていく。 アボット選手のフリーのトランジション(技と技のつなぎのフットワーク)は、どの選手よりも高度なものだ。見ていただければわかると思うが、常に腕を含めた上体を動かし、しかも深いエッジにのって(つまり、上体が傾いた上体で)、スピードを均一にして滑っていく。ゆったりした滑りだから、逆にスピードを一定にしてポジションをキープするのが難しい。 ジャンプのための助走もほとんどない。ジャンプきりぎりまでモーションを入れる。かつてのランビエールの「ポエタ」を彷彿させるような構成だ。ここまで難しいことをしているのに、演技構成点の5コンポーネンツの「トランジション」はさっぱり上がってこない。 「金メダル仕分け」された高橋選手とチャン選手の5コンポーネンツが軒並み8点台なのに対して、アボット選手のトランジションは7.45点。 もし、仮にジャッジがマトモに採点しているなら、たとえジャンプの2度の転倒があったにしろ、あれだけ高度な構成にしたアボット選手のトランジジョンだけは、高橋・チャン選手同様の点を出すはずだ。 ところが演技構成点の5つのコンポーネンツは、ただの「最初に結論ありきの振り分け」。トランジションは他のコンポーネンツより多少低くつけているだけ。 点が出ないと、「ジャンプを跳ぶために、つなぎを単純にしたから」と後付けで説明しているライターもいるが、実際には、つなぎはかなり単純でもトランジションが変に高い選手もいる。つなぎを濃くすることで点がもらえている選手もいるが、もらえない選手もいる。アボット選手が今回、後者の典型だ。 http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Men_FS_Scores.pdf 上のプロトコルを見ても、演技構成点で、高橋選手・チャン選手の演技構成点は軒並み8点台。3位に入ったジュベール選手がそれに準じ(でも2人を上回ることはない)、この3人が総演技構成点で80点台。それ以下の選手との仕分けラインがくっきりだ。 プルシェンコが指摘したように、誰にでもわかる、そして習得の難しい高難度ジャンプを重視せず、「トータルパッケージ」という、どうにでも解釈できる、したがってファンにはさっぱり理解不能な(実際には元トップ選手のような目のあるプロにも理解不能)主観部分に重きをおけば、ジャッジ(実際には彼らをコントールしているISU)が勝たせたい選手が勝つようになり、完全に競技会はショー化する。 いや、もうほとんどそうなっている。 ジャッジに愛されている(これはキム選手を表現したオーサーの言葉だが)高橋選手にとっては好ましい状況だが、他の日本人選手にとってははなはだしく不公平だ。 Mizumizuがジャッジをもう少し信頼できれば、高橋選手への高評価は素直に嬉しいと思っただろう。実際に、高橋選手ほどスケーターに求められるすべての能力を高いレベルで兼ね備えた選手は稀有だからだ。 「表現力」は曖昧で、嗜好にも左右されるが、スケート技術に関しては、ある程度客観的に説明できると思う。 高橋選手が素晴らしいのは、まずはスケートの伸び。単に滑っているとき、特にバッククロスで滑り始めたときの、スピードと姿勢(頭の先までピシッとモノサシでも入れたように伸びている)は卓越したものがある。 それにエッジ遣い。ステップ時のメリハリのきいたシャープかつ素早いエッジ捌きはすでに定評があるが、深いエッジにのって大きくゆったりとしたモーションを見せるときの身体の使い方も文句のつけようがない。 身体を回転させる動作1つとっても、しっかりエッジにのったゆっくりした回転でも、ゆっくり回転に入ってそのあとスピードを突如上げたりでも、最初から超速のモーションでクルッと回ったりでも、とにかくバリエーションが豊富で、自在なパターンを見せてくれる。その間に首のモーションを入れることもある。頭を動かすと方向感覚を一瞬失うので、バランスを保つのが難しいのに、身体の軸がまったくブレない。回転動作が全部ワンパタなチャン選手とは雲泥の差だ。 表現力に定評がある他の選手でも、スケート技術に関しては、少し物申したい部分がある。たとえば日本女性に大人気のランビエール選手は、よく見ればストロークがさほど伸びない。だから素早いターン&ステップで、別の技術を見せてその欠点を補うようにしている。エッジ遣いも高橋選手ほど深くない。 ウィアー選手もライザチェック選手も、スケートがあまり伸びず、氷をエッジでつかむ能力が低いのか、ステップが速くなるとブレードが安定しない。アボット選手のように深いエッジと上半身の動きがピッタリ一致したモーションができず、足が動かずに上体だけが動いている。ウィアー選手とライザチェック選手はスケートの技術に関して同様の欠点をもっているが、ウィアー選手は華麗な身体のラインと腕の動作で、ライザチェック選手は長い腕を大きく使うダイナミックな動きで、その欠点を観客に気付かせないようにしている。 高橋選手の滑りに関しては、欠点を見つけるほうが難しい。これほど全方位で欠点のないスケート技術をもつ選手は、長くフィギュアを見てるMizumizuもちょっと記憶にないくらいだ。 そして、ジャンプ力。特にもっとも大事なトリプルアクセルの地力、これが何度も高橋選手を救っている(だが、相変わらず3回転+3回転のセカンドがまずい・・・)。 4回転フリップ挑戦に関しては、本人も言っているように、「無謀」。ダウングレードされてGOEでも減点(マイナス1が3人、マイナス2が4人、マイナス3が2人)でなので、点は3.9点。点から考えれば、単純なトリプルトゥループ(3回転の中でももっとも基礎点の低いもの)をやっておいたほうがマシというような点だが、ただ転倒しなかったのがよかった。 こうしたあからさまな仕分け採点がいつまで続くのかはわからないが、選手にできることは自爆しないこと。自分の世界を精一杯表現することだ。 今回まさかの自爆になってしまった織田選手も、気持ちを切り替えて来季に向かってほしい。長い競技生活の中で、そういうこともありますよ。多くの場合、こういう大自爆の原因は1つではありえない。コップに少しずつ水がたまり、最後の一滴でとうとう水が溢れてしまうようなものだ。 今回ワールドに背を向けたジョニー・ウィアー選手が、インタビューで冷静かつ率直に、今の「政治的採点」について語っている動画がある。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm9857947 Mizumizuがこれまで書いたこととまったく同じことを言っている。要するに、現場の選手はこうしたことはすべてわかっているということだ。 ウィアー選手が偉大なのは、金を獲ったライザチェック選手を称えつつ、自分のアピールも嫌味にならない程度にしっかりと怠らず、プルシェンコ選手のジャッジング批判も、「あれは(ライザチェック批判ではなく)ルール批判。意見は聞くべき」と理解を示し、自分にメダルが来ないことはわかっていたとしながらも、「観客を旅に連れて行きたかった」と表現者としての本質を見失なわない発言をしていること。そしてなにより、彼のできる最大限のレベルでオリンピックの舞台でそれをやりきったことだ。 高橋選手もトリノでそれをやりきった。しかも、イタリア人ニーノ・ロータの曲、イタリア人監督フェリーニの映画、イタリア人カメレンゴの振付。 今季なかなかまとまらなかった「道」だが、最後の大舞台で感動のフィナーレを迎えることができた。すべてはフィギュアの神様の粋な計らいということにしておこう。
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最終更新日
2010.03.26 19:47:37
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