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<続き> 演技構成点での「上げ」「下げ」は、ルールで規制するのは難しい。だが、1ついえることは、9点が妥当か8点が妥当かという話ではなく、「選手間にあまり差をつけるのは、妥当ではない」ということだ。 つまり、世界トップの選手に対して、9.5点をつけようと9点をつけようと、そのこと自体に問題はない。問題は2位以下の選手に対して、どのくらいの差をつけるか。 一番よい選手に9.5点出したジャッジが、次に9.25点、次に9点と出すのなら、さほど問題はないのだ。むしろ、一番に9点をつけ、次に8.5点、次に7.75点とつけるジャッジのほうが問題がある。 基本的にジャッジができるのは、選手間の優劣をつけることだけなのだ。それを点数化することにそもそも矛盾があるが、そこで「理由のない差」を広げていくことで、採点は恣意性が高まってしまう。 現在0.25点刻みの演技構成点を0.1点刻みにして、かつ上位10人程度(人数はもう少し増やしてもかまわない。フリーの2つのグループに相当する数でもいい)の選手間にジャッジがつけられる「点差」を、もう少し狭く規定するという手もあるかもしれない。 そうすれば、ジャッジは0.1点刻みで、「差」はつけられるが、「大差」をつけられない。 もう1つ、諸悪の根源、ダングレード判定。 これについては、撤廃の方向で動く必要がある。 ダウングレード判定の問題は2つ。 点数が下がりすぎること。それと、判定に甘い辛いがあり、見逃しも起こりがちだということ。 人間が判定する以上、間違いは起こるが、女子の場合、ダウングレード判定があるなしで勝負が決まってしまうこともある。それだけ責任の重い判定であるにもかかわらず、試合によって、ジャッジによって、判定があまりに違いすぎる。 しょせん、4分の1以上の回転不足かどうかを、人間が判定するのは無理だったのだ。 回転不足は多いに考慮すべきだ。だが、それはGOEでやればいい。そもそも回転不足は、「質のわるいジャンプ」なのだから。 中間点などという新しい概念を持ち込むのは、まったく不合理だ。3回転ジャンプの回転不足が2回転と3回転の中間のジャンプだというのなら、その質は一体どう判断するのか。GOEの意味がなくなってしまう。 回転不足は質の悪いジャンプ、だからGOEで減点する。このシンプルかつ当然な原則に立ち返るよう、時間をかけてもISUを説得すべき。 説得するためには、現状のスペシャリストの回転不足の判断が、いかにばらばらか、きっちり試合後に検討する時間を設けるべきだ。トップ選手のフリーだけでもいい。今回のワールドだったら、浅田・キム・レピスト・安藤・コストナー・長洲選手あたりだけでもいい。回転不足が見逃されていないか。逆に足りていると認定していいジャンプが落とされていないか。 それは、公平性を担保し、向上させることにもなる。もし、すぐに撤廃できないのなら、「4分の1」という現在の規定を、途中で回転が終わってしまったような、誰にでもわかる回転不足、すなわち「2分の1」にまずは改定するという手もある。この「2分の1以上」規定はすでにコーチからも一案として出されている。中間点など筋のとおらない新しい概念を導入しては、ダメだ。 ダングレード判定の問題については、とっくにこちらのエントリーで指摘したが、広く認知されたのは昨シーズンのNHK杯で、浅田選手のほぼ問題なく見えるトリプルアクセルがダウングレードされたときかもしれない。これも昨日や今日起こった問題ではない。時間をかけて徐々に暴走し、今や歯止めがかからなくなっている状態なのだ。一番まずいのは、女子の3回転というのがそもそもギリギリにやりやすく、それゆえ、微妙なものを取ったり取らなかったりすることで、落としたい選手の点を落とし、落としたくない選手の点を落とさないようにしているように見えることだ。 そもそもジャッジとは裁判官だ。一定の基準を遵守すべきジャッジの判定が、こうも試合によって違い、同じ試合でもジャンプによって違うのに、「今回は厳しいジャッジでしたね」で済ませられるセンスがわからない。女子の場合は特に、ダウングレード判定は、勝敗にも大きくかかわってくるのに、こんないい加減なことで、なぜ内部の人間は気分が悪くないのか。 誰かをつるし上げるためではなく、より公平なジャッジングがなされるよう促すという意味でも、ダウングレード判定に対する検証は、必ず行うべきだと思う。 恣意的操作があるかどうかは問題ではない。あるにせよ、ないにせよ、できにくくするルールにする必要がある。 浅田真央を勝たせるためのルールなんか、提案しなくて結構だ。マトモに試合をすれば、浅田選手に勝てる女子などいないのだ。浅田選手は最初に世界女王になったときは、3Aで転倒している。今回は3Aは1度だけの認定。あとの2つはダブルアクセル扱いだ。それでも世界一の点を取った。 加点で基礎点がないがしろにされるような主観的な点付けではなく、あくまで難度に応じた客観点を柱にし、そこに質の評価を「加味」する。これこそ日本が提案すべき、ルールの基本方針だと思う。 基本的に日本人は、「自国の選手が勝てば満足する」国民ではない。あるボクシングの試合で、自国で自国の選手が判定勝ちしたときに、多くのファンは公平さに欠けていると憤ったではないか。 今、フィギュアファンが採点に対して怒っているのは、自国の選手が負けているからといより、採点があまりに不公平で、特定の選手を勝たせるために、無理矢理操作しているように見えるからだ。 さまざまな「採点テクニック」で長洲選手が落とされているのを見るのは、実に気分が悪い。同時に、なにかしらの思惑で、高橋選手が上がってきているように思えるプロトコルを見せられるのも、不快そのものだ。別にバンクーバーオリンピックの金メダリストを上回る今季最高点をいただかなくたって、今回のワールドで高橋選手ほど王者にふわさしい演技をした選手は他にいないのだから、それだけでもう十分だ。 長洲選手は、浅田選手に匹敵する能力をもった選手だ。ローリー・ニコルの振付に、あれほどの若々しいダイナミズムを持ち込むのは、浅田選手にだってできなかった。もちろん、浅田選手には浅田選手にしか表現できないものがある。この2人は、もっと競い合ってしかるべき選手だ。 誰もが公平に感じる試合というのは難しいかもしれないが、ある程度、客観性が担保された基準のもとで、たとえ浅田選手が長洲選手に負けたって、誰も今ほどのストレスは感じないはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.04.04 23:51:45
[Figure Skating(2009-2010)] カテゴリの最新記事
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