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カテゴリ:Essay
去年、満開の桜を見たのは千鳥ヶ淵だった。そのときのエントリーはこちら。 同エントリーでは、たまたま思い出した「摩利と新吾」の桜のシーンについても触れたのだが、1年経ち、東日本大震災から1ヶ月たった今日、あらためてこの漫画の桜のシーンを読んでみたら、奇妙な符合に気づいた。 「音もなく桜が散る ため息のように散る 見たくないか? 摩利・・・・・・」 物語の中で、そう新吾が心の中で友にささやきかけてから、季節がめぐり、次のシーンは1923年の夏に飛ぶ。そして、その年の9月、関東大震災が起こるのだ。 これはヨーロッパにいた摩利が、大震災のニュースを見て茫然自失するシーン。 「日本国大崩壊」 「熱海 伊東の町は消え 富士山頂が飛び」 「帝都 灰燼に帰す」 「東京 横浜の住民は10万人死亡」 「三日三晩猛火につつまれ」 と、真実と誇張がないまぜになった報道がヨーロッパを駆け巡る。 昔このシーンを読んだときは、「大正時代だから、さぞや情報が届きにくかったんだろうなあ」などと思ったものだが、88年たった今でも、案外似たようなものだ。 単なる誤報や無知からくる偏見も多いが、明らかに意図的な煽りもある。花粉症でマスクをし、目をしょぼしょぼさせている人を写して、「放射能に苦しむ東京都民」などと海外で報道するのは、知っていてワザとやっているとしか思えない。 1923年9月1日 午前11時58分・・・ M7.9の大地震が日本を襲った。 のちに言う関東大震災である。 ちょうど昼食時だったため、市内いたるところの台所から出火した地獄の猛火は3日間燃え続けた。 特に地盤の弱い東京下町では、ほとんどの家屋が倒壊し、火に追われ、水に飛び込んで溺れ、死者は累々。東京だけで6万人に及んだという。 私たちが1ヶ月前に見た光景には、これに大津波が加わった。死者の数は関東大震災のほうが多いが、東日本大震災のほうが、被災地は広範囲にわたる。 関東大震災から1ヵ月後の東京の風景。 崩壊から復興へ 混乱から秩序へ 88年後の今日は、2011.3.11からちょうど1ヶ月。もし地震と津波だけだったら、同じように言えただろう。 だが、今回はおさまる気配を見せない余震とともに、いまだに収束の見通しがたたない福島第一原発の事故という重いくびきが、元通りの生活に戻ろうとする私たちの行く手を阻んでいる。 折りしも東京都知事選挙が行われ、脱・原発一辺倒では立ち行かない現状を訴えた石原慎太郎が4選を果たした。 これほどまでに恐ろしい原発。手を引くことができれば理想的だ。だが、それは一筋縄ではいかない。代替方法で効率的かつ安定的な電力供給が可能であるというのなら、希望論や机上の空論ではなく、実際に見せて欲しい。 今後原発に頼らない方向に進まなければいけない。それは今回の事故でハッキリした。だが、今すぐに「脱・原発」したらどうなるだろう。私たちの生活は、経済は? 節電すればいいじゃないか、ちょっとぐらい停電になったって、我慢すればどうってことない、昔はそうだったんだから・・・・・・そう言える人は、ある意味強い人たちなのだ。だが、たとえば人工呼吸器などの高度な医療機器に頼らなければならない、弱い弱い立場の人たちは? 停電のたびに、命の危機に見舞われるのではないか。 「昔」なら命をつなぐことのできなかった人たちも、生きていけるようになった。それは医療の発達と経済的に豊かになった社会の賜物なのだ。その豊かさには、もちろん安定して供給されてきた電力の恩恵も含まれる。 また経済は? このまま節電、節電で企業活動が滞れば、個人の消費活動も鈍り、経済は失速する。それでどうやって、この未曾有の大災害から復興するのか? もちろん、無駄な電力消費はやめるべきだ。特に東京は無駄に明るすぎたし、無駄に便利すぎた。だが、それだけで脱・原発を図れるのだろうか、本当に? 現在進行中の福島第一原発の事故は、この国の経済が、絶望と紙一重で回っていたという、危うすぎる事実を見せ付けた。 原発が本当に安全などと、心から信じていた人がいるだろうか? チェルノブイリやスリーマイル島の事故を見ているのに? 皆心の中で、本当に大丈夫なのか、もし日本の原発に最悪の事態が起こったらどうなるのかと恐れていたはずだ。 だが、原発から遠い場所に住む、特に都会の人間は、便利で快適な暮らしの中で、「最悪の事態」を想像することをやめ、信じたい言葉を信じてきた・・・あるいは少なくとも、信じるふりをしてきたのだ。 最悪の事態が起こった今になって突然「覚醒」し、理想論を振りかざすのは、社会的に無責任なポジションにいる人間にはたやすい。聞こえもいい。だが、この国の経済活動の一端を担っているという自覚のある人間になればなるほど、物事は机上の理論どおりにはいかないということを知っている。 経済を発展させることと環境を守ること。この2つは簡単には両立できないのだ。あちらを立てればこちらが立たずの状況を、なんとかあちらを立てつつ、こちらも立てて、四苦八苦してやっていかなければならない。 すぐにすべての原発を止めることは不可能だ。だが、危険な原発施設をどうするのか、これから作る予定の原発は本当に必要なのか。そして、原発に頼らないとするなら、それに替わる技術をどうやって開発していくのか。一朝一夕には結論の出ない重い課題を、2011年の私たちは背負っている。
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最終更新日
2011.04.12 10:09:08
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