尖石縄文考古館のあとは、館のすぐ北側にある
与助尾根遺跡(よすけおねいせき)へ。
それから道路を挟んで南にある尖石遺跡へ。「ここには何があるんですか?」と博物館の職員に聞いたら、「今は特に何も…」と言われた(苦笑)。行ってみると、確かにただの緑の平地で、発掘されたという石囲炉跡も、ヤケに形が整っていて、ただのキャンプファイヤー場のようだった。
与助尾根遺跡の復元住居は、遺跡を見ているというより縄文時代にちなんだテーマパークに来た気分だったし、尖石遺跡はただの原っぱで「遺跡」の雰囲気はない。
それでは…と尖石という地名の由来にもなったという「尖った石」を見に行った。
石囲炉跡のある平らな原っぱから急な坂を下る。
木々の向こうに見え隠れするのは、ごくごく普通の田畑。のどかな田舎の風景だ。
そして、長く信仰の対象だったという尖石へ。
えっ、これ…?
思ったほどありがたくない(笑)。一部人工的に削られたらしい、先の尖った、タダの石だ。「巨石」と説明しているガイドブックや解説書もあるが、それほど大きくもない。
尖石の案内板には、以下のような説明がある。
この石は、高さ1.1メートル、根本の幅1メートルで、先端のとがっているとこころから、「とがりいしさま」と呼ばれています。古くから村人の信仰の対象とされたものらしく、いつの頃からか傍らに石のほこらが祀られました。遺跡の名前もこの石の形からつけられたものです。
この一帯は、明治25年頃桑畑にするために開墾され、その時、見馴れない土器や石器が多量に出土しましたが、祟りを恐れて捨ててしまったといわれています。また、この土器や石器は、大昔ここに住んでいた長者の残したものであろうと、長者屋敷と呼びならわしていました。
そしてこの「とがり石」の下には宝物がかくされているとの言い伝えから、ある時こっそり村人が掘ったところ、その夜たちどころにおこり(熱病)にかかって死んでしまったとのことです。この石を神聖視する信仰から生じた言い伝えでしょう。
石質は八ヶ岳の噴出岩の安山岩で、地中に埋まっている深さは不明です。右肩の樋状の凹みは磨り痕から人工のものと思われます。縄文時代に磨製石斧を制作した際に、共同砥石に使用されたものとも、また縄文時代は石を貴重な利器としたところから、地中から突き出したこの石を祭祀の対象としたものであろうともいわれています。
「亀石」とか「酒船石」のような神秘性やロマンを期待して来たのだが、よく考えれば年代がまったく違う。
ここからさほど遠くない和田峠は良質な黒曜石の産地として知られる。石器の材料として古代には貴重だった黒曜石を、この石で研磨したのだろうか?
そう考えれば、悠久のロマンに浸れる…人もいるのかもしれないが、残念ながら、あまりピンと来なかった。