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電撃引退発表からほぼ2カ月。町田樹のアイスショー参加が発表された… http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150219-00000061-dal-spo フィギュアスケート男子で、昨年末の全日本選手権終了後に電撃引退を発表した町田樹氏(24)がプリンスアイスワールド2015横浜公演の全日程(4月25、26、29日、5月2、3日)に出演することが19日、発表された。町田氏にとっては、引退後初となるアイスショーの出演決定となる。 …とたんにチケットが売り切れたという。 町田樹の「スケーターとしての商品価値」を如実に示す現象だが、それとともに、これはやはり全日本での予期せぬ引退の衝撃の大きさを物語っているように思う。 もう最後かもしれない。もう逢えないかもしれない。そうした、マスメディアでは流れることのない、町田樹ファンの悲鳴のような声がMizumizuには聞こえる。 2014年12月の全日本の町田樹の『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』は、Mizumizuにとって今季ショートのBest of best。芸術性、個性、成熟度、表現力、気迫――すべてにおいて、他の選手より一段上に町田樹はいた。 『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』といえば浅田真央。薄いラベンダー色の衣装をまとった浅田選手の舞うこの作品は、スピンのたびにツイズルのたびに、氷上に花が開いていくようで、花びらをそこここにふりまいていくようで、彼女のための音楽といった仕上がりになっていた。 あれ以上のものはないと思わせる『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』だったが、町田樹は同じ曲を使って新たな解釈・新たな世界観を氷上に構築して見せた。浅田真央の演技では軽やかでファンタジックに聞こえた曲が、まるで違うもののようにさえ聞こえる。ヴァイオリンの弦はより深い人間としての苦悩を叫び、旋律それ自体が重くなったようにすら。 「優れたスケーターはポーズ1つで観客を魅了する」というのは、ニコライ・モロゾフの弁だが、町田樹も間違いなくその域に達したと思う。 かつて、表現力で世界的に高い評価を受ける高橋大輔風に踊っていた少年が、他の誰でもない自分自身の世界を築き上げた。昨季の『エデンの東』が、哲学に彩られた青年の人生というストーリーを描いたものだとすれば、今季の『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』は、むしろ哲学そのもの、人生の苦悩や希望といった純化された概念そのものを身体全部をつかって提示したものだと言える。その意味で、この作品は、『エデンの東』の先にあり、『エデンの東』とつながりながら、『エデンの東』を概念的な世界に昇華したものになっていた。 町田樹が肘をあげ、手のひらで顔を覆う仕草をするところがある。そこにMizumizuはゲーテに由来する「若きウェルテル」を見る。差し込んでくる強烈な光を鎖(とざ)そうとする青年の苦悩を見る。光を最も反射する白の衣装が、ピュアな青年の精神そのものを暗示する小道具の役割を果たす。 緩急の効いた力強い滑り、高度なジャンプといった競技としてのフィギュアスケートに必要なものに加えて、哲学的な表情をつけて演技をする難しさについては今さら説明する必要はないだろう。いつもピシッと伸びた背筋の美しさや、鍛え上げられた美麗なヒップラインなどは、町田樹が「見られる存在」としても一級であることの証しでもある。 華やかな演出で彩られるようになった全日本という場で、電撃的な引退発表をあくまでセルフプロデュースの美学にのっとってやってみせた町田樹。舞台裏で無良選手に、「いつもコイツを負かしたいと思ってやっていた」「託したから」と話して去っていく町田樹はきっぱりとして実にカッコよかった。 その意味では最高の引退劇だったのかもしれない。「ウェルテル効果」ならぬ「町田樹効果」でアイスショーのチケットも完売したのだから。 だが、やはり多くのファンや関係者がそうであろうように、Mizumizuも残念でならない。今季のフリーは空前絶後の高難度プログラムで、コーチや振付師が本気で「打倒・羽生結弦」に向けて作ったことは明らかだった。 4回転+3回転の連続ジャンプを安定して決められる選手は少ない。町田樹の4回転の成功率は、依然として世界屈指だ。しかも昨季のワールド銀メダリスト。これほどの選手がワールドを辞退? 信じられない話だ。 研究者の道を歩むにせよ、本来なら、院試に合格し、卒論を提出し終わったあとが、一番時間的に余裕が出るハズではないか? 最も忙しい卒論の時期にグランプリシリーズで町田選手を疲弊させ、本人からのファイナル辞退の希望も「病気・怪我以外はNG」と門前払い。選手は須く連盟の派遣指令には従うもので、自由になるのは辞めることだけだとでも? 日本スケート連盟の内弁慶ぶりと時代錯誤ぶりには、何度も驚かされてきたが、いつになったらこの組織は「近代化」するのだろう? 本来なら、進路が決まった時点で、卒論を最優先させ、それが終わって全日本、それからもっとも大切なワールドへと調整させるべきなのだ。選手個人の都合と希望に合わせて、一番いい結果を出すようなマネージメントがなぜできないのか。 もっとも今季の町田選手のフリップに対するイチャモン採点やら、国内大会で本人も「最高の演技」と言ってるのに、国外の国際大会より低い演技構成点(アメリカ大会43.74、フランス大会42.86点、全日本42.00点)なんてのを見てるとね…どういう「流れ」になっているのかが見えてる場所に選手を送り出し、それでも「ガンバレ」と言わなければならない辛さは、もう何度となく味わっているので、きっぱりと辞めた町田選手の判断を責める気にもならない。 ここにも、実際には非常に価値の低い(それこそ、プルシェンコじゃないが「ただの」)グランプリシリーズを商業的に支えてる日本のお家事情が顔を出している気がする。そして、町田樹引退のあと、「しばらく無敵」のはずの羽生結弦が病気&怪我と、案の定、一番大事な時期にこうなった。 一方で知将フランク・キャロルの指導するデニス・テン選手は、グランプリでは平凡な出来だったが、四大陸で瞠目の高得点を叩きだし、勢いにのっている。フリーの点が144.5点から191.85点へ。なんと50点近いジャンプアップだ。高難度ジャンプを組まなければ勝てない今の男子フィギュアでは、ジャンプを回り切れるか切れないかで、こういうことになる。 だから言ったのだ。羽生結弦に必要なのは、グランプリのタイトルではなく休息なのだと。今になって怪我で休息を余儀なくされてどうしますか。 金メダリストの不調やアクシデント…こういうこともあるからこそ、ワールドに銀メダリストは必要だった。羽生選手のファイナルでの渾身の演技を見て、「しばらく無敵と思う」なんて余裕をこいて言ってる時点で、日本スケート連盟は組織としてのリスクマネージメントができていない。 だが、もう若きウェルテルは去った。研究者になるのなら、すでにワールド初出場で銀メダルという偉業を成し遂げたあとでは、これ以上とどまってもあまり意味のない世界から。 研究者の道も長く、保証のあるものではない。フィギュアスケートの選手生命は短いが、逆に研究者は10年・20年という長いスパンで取り組んでいかなけばならない。世界選手権出場という、多くのスポーツ選手にとっては垂涎の道を自ら捨てて選んだ新たな世界で、町田樹が充実した幸せな人生を送れることを、今は願うばかりだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.02.23 03:16:27
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