これまでフィギュアスケートでアイドル的な人気を誇り、集客・集金力を発揮するのは、ほぼ女子選手に限られてきたが、例えば羽生選手の人気を見るとき、男子シングルも変わったと思う。ジャンプだとか、スピンだとか、滑りだとか、スケートの技術だけでは説明できない魅力が――オーサーの言葉を借りれば人々を魅力する「スピリット」が――羽生選手にはある。
こうしたカリスマ性が際立ってくるのはやはり、20歳というラインの前後まで来てこそであって、そこでもう選手としてのピークを過ぎてしまったら、人々が高いお金を払ってまで見たいと思わせるようなカリスマ的な選手は、女子シングルの世界では期待できなくなってしまう。
となると、女子シングルは限りなくアマチュアスポーツに戻っていくだろう。お金にならなければ、採点というのは逆に公平になるかもしれない。
実際のところ18歳の新女王トゥクタミシェワは、女王としては申し分ない。Mizumizuも好きなタイプの選手だ。すべてのジャンプを正確に跳べて、その質も素晴らしく、滑りにもスピードがあり、独特の表現力もある。気持ちも強く、度胸が据わっている。判定が甘くて救われたり、ルールの偏りで順位が変わってくるタイプではない。表現力には好みもあるが、どんなジャッジでも彼女のエレメンツには高い評価を与えるだろう。
だが、彼女には何かが欠けているのだ。安藤美姫や、キム・ヨナや、浅田真央にあった何かが。それはフィギュアスケートという競技に必ずしも興味がない層にも訴えかけ、盲目的とも言える熱狂と、恋愛にも似た思慕を呼び起こす何かだ。そうしたスター性は、また同時に「アンチ」も生む。安藤美姫、キム・ヨナ、浅田真央ほど人々に愛され、一方で叩かれた選手はいない。それこそすなわち、彼女たちがもっていたカリスマ性の証でもある。
トゥクタミシェワ選手にそうした大衆からの激しい反応があるとは想像できない。嫌われることはないだろうが、といって熱狂する人も少ないと思う。彼女はとてもビジネスライクに試合に臨む。競技者としては完璧だが、人々が氷上のパフォーマーに期待する「何か」が欠けている。だが、フィギュアがただのアマチュア競技だというなら、そんなことは何の問題でもないはずだ。
少女潮流が加速し、フィギュア女子の常識になるのか、それともどこかで歯止めをかけるのか。来年のルール改正、そして現場での運用がそのカギを握っている。