|
カテゴリ:Essay
ふ
アルベール・カミュ ペスト 生存をおびやかす不条理 (NHKテキスト 100分de名著 2018年6月) [ 中条省平 ] 2020年3月4日。山口県で初の感染者を確認。 新型コロナが不気味な広がりを見せるにつれ、どうしても読みたくなった小説がある。カミュの「ペスト」。同じように思った人が多いらしく、増版が決まったという。 https://www.asahi.com/articles/ASN32643TN32UCVL014.html フランスの作家、アルベール・カミュ(1913~60年)が1947年に発表した小説「ペスト」の売れ行きが好調だ。文庫を発行する新潮社は2日、1万部の増刷を決めた。伝染病で封鎖された街を舞台にした物語が、新型コロナウイルスの感染拡大と重ね合わせられているようだ。 ノーベル賞作家の代表作の一つである「ペスト」は、アルジェリアの都市で高い致死率のペストがはやり、死者が急増。感染拡大を防ぐために街は封鎖され、孤立状態になる。主人公の医師らが、ペストの猛威や人間性を脅かす不条理と闘う姿を描く。 同社によると、新潮文庫版は69年に刊行。ロングセラーとして、毎月平均300冊ほど出荷されていた。ところが、中国の武漢市が封鎖された1月下旬ごろから注文が急増。ツイッターで「武漢はまるで『ペスト』のようだ」などの反応があった。2月中旬に4千部を増刷し、さらに1万部の増刷を決めた。 同社の広報担当者は「タイミングからみて、新型コロナウイルスの影響としか思えない。全く予想しておらず、ただ驚いている」という。「ペストの脅威と闘う登場人物の姿と、今のコロナウイルスの感染が広がる状況を重ねているのではないか」と話した。(宮田裕介) これはまさに今、日本人が読むべき本だ。 キリスト教文化圏では、中世に襲ったペストの惨禍が様々な芸術作品に影響を与えている。ペストをモチーフにした小説が何世紀にもわたって読み継がれているし、「死の舞踏」「死の勝利」といった絵画や彫刻、それに音楽にインスピレーションを与えたのもペスト禍だというのが定説。 シチリアのパレルモまで「死の勝利」を見に行ったMizumizuには、ペストという死に至る感染症がヨーロッパ世界に与えた衝撃の強さは、常に意識の中にあった。 これは日本の文化にはあまり見られない傾向だ。8世紀に天然痘が流行し、藤原四兄弟が全員死んでしまい、それが長屋王の祟りだとか、そういう解釈で語られたという話はあるが、善人も悪人も、正統なる者もそうでない者も、根こそぎに滅ぼしてしまう感染症の「不条理」そのものに視線を向けた作品はちょっと思い当たらない。 あるいはそれは、ある1つの病気によって国そのものが滅んでしまうような、そこまでの災禍に見舞われたことがないからかもしれないが。 日本人にとっては、病気に罹るというのは、何かしらの祟り、報いだという感覚が常にどこかにある。その感覚はそもそも不条理だが、今に至ってもその感覚はぬぐえていないように思う。 凄惨な病に襲われるのは、人間の罪に対する神の罰だという考えを代表する登場人物もカミュの「ペスト」には出てくる。そして、その彼の辿る運命は… どこまでも「神の僕(しもべ)」として生きようとした人間の姿に、あなたは何を見るのか。 罪を犯すほど長く生きてもいない息子を失った父親の言葉や、その後の行動は… ほんの一言に、比べようのないほど深い哀しみが宿っている。それは時代がいつであれ、変わらない親心というものだ。 登場人物たちのほんのちょっとした言葉や振る舞いが、普遍的な人間の本質を鋭く突いてくる。ナレーターの役割を果たしている人物の考察も読む者の心をえぐってくる。読むのに忍耐力を必要とするが、それを我慢して読み続ければ、読者ひとりひとりの脳裏に「オラン」という街が鮮やかに構築され、その街の情景は、おそらく生涯消えることはない。 カミュの「ペスト」は、これから何十年、何百年たっても(その時サルトルを読む人はほとんどいないだろうが)、例えばギリシア悲劇のように読み継がれるべき不朽の名作。 今回のこの騒動が落ち着き、いったんは図書館の倉庫に押し込められても、また同じことが起こるたび、再びその時代の老若男女が手に取るだろう。 読者の中に日本人も入っている――それはこの小説を日本に紹介し、時代の流れの中でも完全に忘れ去られ、消し去られることのない一里塚としてきた先人たちがいたからだ。彼らの慧眼にも、Mizumizuは感謝したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.07 00:47:28
[Essay] カテゴリの最新記事
|