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カテゴリ:Essay
<昨日からのエントリーに続く> 千葉の福祉施設で58人の集団感染発生。嫌なシナリオが現実になってきている。 さて。 昨夜はNHKに山中伸弥氏が出演し、新型コロナもワクチンや治療薬が開発され、数年以内に「季節性インフルエンザと同様に、お年寄りが掛かったら危ない病気がひとつ増えた」程度までもっていけるのではないかと、割に明るい表情で述べていた。 ところが、同じような未来予想でも、岩田健太郎氏は悲観的な表現をしている。 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202003/0013222026.shtml 一番悲観的な見方としては、終息しないで、ウイルスとともに生きていくしかないという最悪のシナリオも準備しておかないと。 ワクチンや治療薬が開発されても、流行そのものを遮断する保証はない。新型インフルも一緒に生きていく覚悟を決めた。同じようになる可能性がある。 このウィルスが、おそらくは撲滅できないというのは、素人でも感じていることだと思う。突然高熱が出て他人に移す前に本人がぶっ倒れるような感染症とは違って、自覚のないまま感染してウィルスを運ぶ人も多い。ほとんどの人は軽症で済むが、突然重篤化するというやっかいな特徴もある。 だが、考えてみれば、インフルエンザだって突然重症化することはあるだろう。そもそも季節性インフルエンザだって、年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されている(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html)。 これだけの人が1年に亡くなっているのに、季節性インフルエンザで医療崩壊したというニュースは聞かないし、ロックダウンなんてありえないし、国同士で入国禁止措置なんて取らない。新型コロナは、「まだ」全世界で亡くなった人は3万人に届かない。それでこの騒ぎだ。欧米の主要都市がカラになり、入国拒否が世界的に広がり、イベントは次々中止となり、巷の飲食店は壊滅状態だ。 日本も1万人亡くなるインフルエンザはニュースにもならないのに、新型コロナは連日何人感染した、何人亡くなったとテレビが伝える。「まだ」49人しか亡くなっていないのに、オーバーシュートが迫っていると日本中に緊張感が走っている。こうした、数字で考える世界と実際に目で見る現実の世界とのあまりの落差に、時々「これはおかしいんじゃないか。ここまで経済を犠牲にするほどの病気なのか。世界中が狂ってしまったのではないか」と思うこともある。 だが、イタリアや、イタリアを後追いしているスペインの惨状を見れば、ロックダウンも渡航制限も入国拒否も当然の措置に思える。それでもおそらく、完全な意味での「封じ込め」はできず(せいぜいできたとして、クラスターの封じ込め)、だから撲滅は不可能で、終息に向かったとしても、いずれどこかでまた発生するだろう、それは「当然のシナリオ」に思える。 岩田健太郎氏がなぜそれを「最悪のシナリオ」と言ったのか、その真意まではこのインタビューからは分からないが、このウィルスが今後も多くの死者を出し続ける(例えワクチンや治療薬ができたとしても)ということを想定しているからかもしれない。 これもみんな薄々気づいていることではないかと思う。新型コロナはまるで長生きに対する罰のように高齢者を狙い撃ちしてくる。10代の少女が亡くなったとニュースになったが、それはただの風邪でだって、季節性インフルエンザだって起こりうること。基本、このウィルスが黄泉の国へ連れていくのは、何か病気を抱えた、免疫力の弱った人間だ。 今、政府が国民に外出を控えるように言い、人と接触しないことで感染を防ごうとしているのは、近い将来に治療薬が見つかり、数年経てばワクチンもできるだろうという希望があるからだ。そこまでの時間稼ぎをしている。 だが、ワクチンも薬もあるインフルエンザで毎年大量の人が亡くなることを思えば、新型コロナも毎年少しずつ変異して流行し、季節性インフルエンザと同等以上の死者を出すのが常態化するかもしれない。 ピークの山をずらしたところで、多くの人が亡くなるだろうという未来は見えてしまっている。どのくらいの数になるのかは、今は誰も「当てる」ことはできないように思う。誰が2020年3月にイタリアで連日500人以上の人が同じ感染症で亡くなっていくと想像できただろう? 新型コロナで起こる一番の問題は、大量の重症患者が一度に多く発生することによる医療崩壊だ。だから、重症化をある程度防げる薬(あるいは薬の組み合わせ)が見つかれば、それでこのやっかいなウィルスは季節性インフルエンザの扱いに近づけることになる。季節性インフルエンザ扱いに近づければ、経済を犠牲にしなくても済むようになるはずだ。 経済を回し始めれば感染者はまた増加してしまうだろうけれども、世界中の人々が次々破産するよりはましだから、どの国も、感染者が出て、重症者もある程度出る、すなわち死者も出ることを承知しながら経済を止めることは極力避けるようになるだろう。ものすごくシンプルな言い方になったが、結局のところ世界はそういう道筋を目指すしかない。 山中伸弥氏の言い方は今の状況よりはるかに、段違いにいい状況になるという意味で希望を語る言い方になったのかもしれない。岩田健太郎氏は、撲滅もできず終息もしない、常にどこかでコロナ死が、それも毎年大量にある世界になるという面をとらえて「最悪」と言ったのかもしれない。 だが、本当はもっと最悪の未来予想があると思う。新型コロナよりずっと毒性が強く、感染力も強いまったく未知の新型インフルエンザの登場だ。そうなればカミュではなく小松左京の『復活の日』の世界。だが、カタストロフィはそれこそ、来年起こるかもしれないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.29 12:02:05
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