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圧巻、神の領域、史上最高…あらゆる賛辞のはるか上をいくパフォーマンスだった。 羽生結弦選手の2021全日本、ショートプログラム。 度重なるケガ、コロナ禍という特殊な状況、台頭する若手、スターゆえのアンチによる誹謗中傷…なにより、すでに五輪二連覇という、栄光をきわめた選手がどうやってモチベーションを維持するのかという問題。 羽生選手がここまで現役を続けてきた、それだけで「圧巻」なのに。それは誰も行ったことのない砂漠に一人で足を踏み出したようなもの。どこにオアシスがあるか分からない、どこに誰がいて、どんな危険が潜んでいるかも分からない。そんなところへ「行く」など、常識的な大人なら止めるはずだし、「蛮勇」ではないかとネガティブに捉える向きも多いだろう。 それでも彼は行き、そして、結果を出した。それが今回のショートプログラムだったと思う。 Mizumizuはかつて羽生選手を「凄いジャンパー」だと評した。むろん、今もそうだ、だが、ジャンプだけだったらすでに羽生選手以上の難度のジャンプを跳ぶ選手がいる。しかし、このショートプログラムは… 誰も到達できない域、もはやこの世のものではない出来だった。とりわけ凄味を帯び、壮絶な美を見せつけたのは、後半のステップ。ステップだから足さばきで魅せるのが王道…そんな常識をぶち壊す、羽生結弦にしかできないムーブメントの連鎖。目が釘付けになる、鳥肌が立つ…あらゆる形容がいっそ陳腐になる世界観だった。 選曲はロンド・カプリチオーソ。曲自体はフィギュアスケートではありふれている。名選手なら一度は演じたことがあるのでは、というくらいよく使われる曲だ。 ところが羽生選手の場合は、バイオリンではなくピアノ。「あれ? あれ?」と思っているうちに、演技が進む。耳慣れた曲のはずなのに、どこか違う。しかも、羽生選手の動きにぴったり。音がついてくるかのように一体となっている。それがオリジナル編曲(清塚信也氏による)の羽生バージョンだと知ったのは演技後だったのだが。 この作品の「初演」が五輪を控えた全日本だったというのも運命的だ。初披露のインパクトが、ミスのないパフォーマンスとあいまって、感動の嵐をさらにすさまじいものにした。 Mizumizuの好きなオペラ作品にモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」があるが、これの初演はプラハのエステート劇場だ。今後フィギュアスケートのプログラムが1つの芸術作品として認知されるようになってくれば――そして、それを町田樹氏のような逸材が実現しようとしている――原曲・編曲・振付・演技者の名とともに、初演の場の名称も歴史に刻まれるかもしれない。それほどに、語り継ぎたい「初演」だった。 これほどのものを見せてしまって、羽生結弦にこの先があるのだろうか? 凄すぎてそんな懸念が生まれるほど。 そもそも27歳という、シングルのフィギュアスケーターとしてはもう若いとは言えない年齢で、どうしてあれほどしなやかで細い、アンドロギュノス的なプロポーションを維持しているられるのか。男性の場合は筋肉が「つきすぎても」跳べなくなるという。本人が並外れた節制をしているのかもしれないが、それにしたってプロポーションというのは天賦のもの。それだけで神に選ばれた存在としか言いようがない。 すべてが奇跡――あのパフォーマンスをあの場で生で観た方々は、一生の誇りにしていい。 地域猫にご飯を贈る 地域猫にたっぷりご飯を贈る ネットショッピングをして地域猫活動(TNR活動)を応援する お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.12.25 14:22:53
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