日本のみならず海外にも大きなショックが広がった、漫画家鳥山明の突然の死去。
鳥山明を育てたとして知られる鳥嶋和彦氏は、かつてインタビューでこのように語っていた。
https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/4
鳥嶋氏:
ええ、漫画の歴史において手塚治虫さんとちばてつやさんは「別格」。それは僕の中ではかなり確信を持って言えることですね。鳥山明さんだって、あくまでもそうした作家たちの積み重ねの上に成立した、“偉大なるアレンジャー”でしかない。実際、『Dr.スランプ』は『ドラえもん』と『鉄腕アトム』、『ドラゴンボール』は『里見八犬伝』と『未来少年コナン』の変形でしょ。(引用終わり)
鳥嶋氏は、鉄腕アトムの影響下にある作品として『Dr.スランプ』を挙げているが、鳥山氏自身は、ドラゴンボールの悟空の髪型にはアトムの影響があるのかもしれないと述べている。鳥山氏は幼い頃、『鉄腕アトム』が好きで、登場するロボットの模写に熱中していたという。こういう体験が無意識の影響になることは多い。
個人的には、鳥山氏自身が言うほどには似ていない気がする。アトムの髪型よりずっとオーバーな「角」になっているし、形も「オリジナリティ」がある。その意味で、まさに鳥山氏は偉大な「アレンジャー」だ。
元祖アトムだって、5本のまつ毛の、あのかわいいぱっちりお目目は、キューピーちゃんからだと手塚治虫自身が言っているが、「そういわれればそうかな?」ぐらいだ。
革新的な功績を成し遂げた天才は、「オリジナリティ」にあふれた人だと思われがちだが、実はそれは正しくない。天才と呼ばれる人間は、その多くが模倣から出発しているし、どのくらい先達の作品を自分の血や肉として採り入れたかが後々、その人の「オリジナリティ」としてモノを言ってくるのだ。
これはピカソが若い頃「古典派の巨匠のような絵を描く」と感嘆されたことからも分かる。若くしてそれほどのテクニックを身につけていたからこそ、ピカソは古典的なスタイルを破壊し、新しい様式を創造し、されにそれを破壊しつづけてピカソ・オリジナルの世界を確立できたのだ。
鳥嶋氏は言及していないが、鳥山明の『ドラゴンボール』にも、『鉄腕アトム』の影響があることに気づいた人がいる。
いまさら鉄腕アトムを読破して驚くドラゴンボールに与えた影響:ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊!!):SSブログ (ss-blog.jp)
実際にアトムを読んでみたら、これはスゲエ漫画だと思い知らされたのである。
驚いたのは、
今ある少年漫画のヒット作のあれこれを、すでに鉄腕アトムでやっているということだ。
浦沢直樹「PLUTO」の元ネタ、「地上最大のロボット」を読みながら思った。
空を縦横無尽に飛び回って戦う、
これってドラゴンボールじゃん!
主題歌の歌詞にも出てくる10万馬力。
アトムの前に立ち塞がる敵ロボットは、30万馬力、50万馬力、100万馬力とインフレしていく。
戦闘力じゃん!
100万馬力の強敵、プルートウのデザインはフリーザの第二形態に似てる!
ちなみにドラゴンボールは戦闘力5から始まってジワジワ上がっていき、
戦闘力100万越えするのはフリーザ第二形態!
これは狙ってやってたのだろうか。(引用終わり)
それはともかく――
Mizumizuが個人的に面白いと思ったのは、シッポをめぐる手塚治虫と鳥山明の態度の違いだ。
鳥山明の場合は、上の画像にあるように、「シッポがないと特徴がない」と編集に言われて、シッポを足したものの、描くときに邪魔でしょうがなく、すぐに尻尾を切るエピソードを考えたのだという。
手塚治虫は?
Mizumizuが偏愛する『0マン』の主人公リッキーは、シッポのあるリス族の進化した生物なのだが、
「この主人公にシッポをつけたのは、かいているうちに急にインスピレーションがわいたのです。漫画評論家のある人によれば、手塚はよくシッポのある人間の物語をかくということですが、たしかにそういえば、なぜかそういうキャラクターにへんな性的魅力を感じて、つい登場させてしまうのです。なにか、性的な異常心理と関係でもあるのでしょうか?」(『0マン』 あとがきより)
せ、せいてきないじょうしんりって・・・、テヅカセンセ、ご自分で・・・
『0マン』のリッキーも一度、このように↓シッポを失ってしまうのだが、
すぐ人工物のシッポを作ってもらって、元の姿になっている。シッポを失ったときのリッキーの嘆き方も、尋常ではなく、愛おしそうに切れてしまったシッポを抱きしめ、「やわらかいフワフワしたぼくのシッポ。さようなら。もう会えないね」と涙をひとつぶながし、「シッポのおはか」まで作っている。
シッポが切れてしまって熱にうなされるリッキーの描写は、とても愛おしい。高熱で衰弱している少年の姿が、うるんだような瞳が、漫画的な表現なのにリアルにこちらに伝わってくる。そして、そのあとにくるエピソード――リッキーを助けて自らは重傷を負ったまま立ち去るギャング(じつは元医者)の姿、快復したあとに亡くなった見知らぬ人やシッポのお墓をつくって弔うリッキー、たったひとりで荒野を歩みだすリッキー…この一連の場面、『0マン』の中でも、とりわけ好きだ。
鳥山明作品については、読んでないので個人的な感想はなし。
手塚治虫の後継者の呼び声が高いのは知っている。明治節にちなんでつけられた「治」。これに「明」を合わせると明治となる。なるほど、これは明治大帝の思し召しでしたか(サヨクはっきょう)。
<次のエントリーに続く>
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