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カテゴリ:手塚治虫
好評のうちに幕を閉じた(らしい)『あさきゆめみし』x『日出処の天子』展 ― 大和和紀・山岸凉子 札幌同期二人展 この展覧会のもう1つの目的は、「北海道マンガミュージアム」構想を前進させること。 北海道にマンガミュージアムを!大和和紀&山岸凉子展 (hokkaido-life.net) かねてから歴史的名作と呼ばれる漫画の元原稿の保存を美術館として行うべきと訴えているMizumizuとしてはもろ手をあげて賛成…と言いたいところだが、地方につくる漫画美術館には課題も多く、一も二もなく賛成とは言い難い。 漫画美術館の役割は大きく分けて3つあると思う。 1)原画を含めた展覧会の開催 2)漫画本の収集 3)原画の保存 このうち、Mizumizuがもっとも大事だと思うのが(3)だ。数年前、川崎市市民ミュージアムが浸水被害にあって、せっかくの収蔵品が大きな被害を受けたことがあるが、あのミュージアムの場所を見ると、さもありなんだ。自然災害の多い日本で、良好な状態で原画を保存していくための方策にはかなりの予算を必要とする。そこをどうするか。 北海道マンガミュージアムは市立ということになりそうだが、有名漫画家頼みの、地方行政による漫画美術館の管理運営は、何十年かのちには行き詰まることがほぼ見えている。手塚治虫記念館であっても、来場者は減少傾向だし、三鷹の森ジブリ美術館でさえ、コロナ禍で二度もクラウドファンディングを行うありさまだ。 できたばかりのころは集客も見込めるだろうが、長期的にはそうはいかなくなる。それを見こしたとき、あちこちに小規模なマンガミュージアムというハコモノを作ることが公共の福祉に利するのかは疑問だ。 逆に、だからこそ、漫画美術館というのものは、傷みやすい漫画原画の保存をどうしていくかをまず第一に考えるべきなのだ。それは国としてやるべきだとMizumizuが主張するのはそこで、原画さえ確実に保存できれば、漫画本の収集は二の次、三の次でよい。マンガミュージアムに行って漫画本を読まなくても、今は電子書籍もあるし、図書館に収蔵されているものもあるし、以前よりはるかに気軽に漫画を読めるようになっているのだから。 展覧会についても、わざわざ新しい「マンガミュージアム」を作らなくても、既存の美術館やイベント会場を利用すればできるはずだ。このごろは頻繁に行われるようになってきているので、そのノウハウは蓄積されてきている。それだって、1990年に東京国立近代美術館で手塚治虫回顧展が開かれ、成功をおさめたことが、この流れの発端であることは間違いない。 やはり、道を切り拓いたのは手塚治虫なのだ。 1990年当時は漫画はアートとは見なされなかった。手塚治虫自身、「(漫画家は)アーティストになるな」と言っている。石ノ森章太郎が手塚治虫回顧展に向けて奔走したときも、三越デパートでは「大々的なイベントに」と言われ、美術館からは「あまりイベント臭が強いと困る」などと言われている。それも今は昔だ。 「漫画なんて読んでいたらバカになる」と言っていた大昔の人々は、手塚治虫の登場によって消し去られた。 今は70代ぐらいのシニアもマンガで育っている。漫画を「サブカルチャー」と位置付ける人も、まだ多いが、「サブ」はいずれ取られることになるだろう。浮世絵の評価の変遷をみても、一般庶民の嗅覚のほうが、「これがメインストリームのカルチャー、こっちはサブカルチャー」と区分けして歩く権威ある人々のそれよりも鋭いのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.28 17:01:26
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