北海道にマンガミュージアムを!大和和紀&山岸凉子展 (hokkaido-life.net)
に展示された(らしい)山岸凉子の「手塚先生との思い出」。
山岸凉子が紡ぐ、この日のお話は、雪の札幌という背景もあいまって、一種幻想的なシンデレラストーリーのようにも思える。
デパートの催事場で漫画の神様の神技に驚き、喜ぶ大衆。必死に声をかける漫画家志望の高校生。多忙にもかかわらず、常識的なハードルを設けたのちに、熱意ある漫画家のタマゴの作品を見てくれる手塚治虫。山岸凉子の兄の態度も素晴らしい。当時は大学生だったということだが、今の大学生よりずっと大人だ。
手塚治虫の「予言」どおり、すぐにデビューした大和和紀。デビューまで数年を要したのち、誰もが知る少女漫画の大家となった山岸凉子。
その彼女が、「私はあの時の手塚先生のように読者や漫画家を目指す人たちにやさしくできただろうか」と自問するラスト。
手塚治虫が「神様」なのは、その作品が漫画のお手本であるということも、もちろんあるが、それだけではない。非常に頭がよく、絵に情熱をもち、かつ優れたストーリーテラーの素質をもつ稀有な若い才能を日本全土から「漫画家」という職業に引き込んだからなのだ。今の漫画を見ても、漫画家には優れた作画の技量だけでなく、幅広い教養が必要だということが分かる。
漫画家を目指す若者に、手塚治虫がどれほど親切だったかは、
こちらのエントリーでも紹介した。
自らの作品と人柄で、漫画家の種を蒔き続けたという業績は、まさに神の名にふさわしい。
なお、山岸凉子『手塚先生との思い出』は、
【手塚治虫文化賞20周年記念MOOK】マンガのDNA ―マンガの神様の意思を継ぐ者たち
で全編が読める。