|
カテゴリ:手塚治虫
2021年に「岩下くま」氏がポストした手塚治虫先生との思い出。 岩下くまさん(@IwashitaKuma)が7:38 午後 on 月, 2月 08, 2021にポストしました: 【手塚治虫先生の思い出】 https://t.co/t6ahX1g3Qz (https://x.com/IwashitaKuma/status/1358726920305692677?t=gtHEiYEO6PQ3OL49O_fF4Q&s=03 これは、いくつかの面で傑作漫画だとMizumizuは思っている。 まずは、昭和という時代の雰囲気がよく出ている点。「デパート」は令和の今の時代では、縮んでいくパイに四苦八苦している斜陽の産物扱いだが、昭和時代は、消費の花形であり、ステータスだった。 そこで催されるイベント、登場する「漫画の神様」。たまたまその日にデパートに行って参加する(参加できる)少女。昭和という時代のおおらかさ、平和なムード、その中での熱気が伝わってくる。 それから、手塚治虫の華やかな多才ぶりを実際のイベントを通して巧みに描けている点。 目から描き始めて、その場でキャラクターを造形する――これ、案外難しいと思うのだが、そこは多才な「漫画の神様」。トークで盛り上げ、造作もなくキャラクターを描いて見せる。 参加者の熱に押されるように、手を挙げまくる少女。だが、突然の指名にかたまってしまう。 このときのパニックぶりの絵が秀逸。「岩下くま」氏が漫画のエリートに属する少女だったことは、この表現の巧さで分かる。「うう…」と泣きそうになっている姿など、スクリーントーンをうまく使って、熱にうかされた気分から一挙に暗いパニック状態に落ちてしまった自分をシンプルなタッチで端的に描いている。 そして「目の前に漫画の神様がいた、後ろにもやさしい神様がいた」――これは名台詞ではないですか。 パニック状態から一転して頬を染めながら、憧れの神様からのプレゼントを受け取る少女の嬉しそうな表情。この話の持っていきかたの巧さも指摘しておきたいポイントだ。 そして、手塚治虫先生の人となりを端的に伝えるラスト。それを、たった一コマで見事に描いている。 司会「手塚先生、終了時間です」 手塚(ノリノリで)「大丈夫です。まだまだ描きますよ」 この「まだまだ描きますよ」は、とんでもない多作の天才漫画家が人生の最期まで言い続けた言葉だ。 それを思うと、ふと涙が出る。 戦争直後に彗星のごとく現れた天才漫画家は、高度成長期の熱気とともに漫画というメディアを一大産業にまで押し上げ、そして昭和が終わるとともに逝ってしまった。 手塚治虫がたった60歳で逝き、バブルの狂乱の絶頂を見ず、その終焉とそのあとの長い経済的停滞も見なかったのは、偶然なのだろうか、それとも必然だったのだろうか。 手塚治虫が亡くなったのは1989年の2月だが、日経平均株価が最高値をつけたのは1989年12月29日(3万8957円44銭)。2024年2月になってようやくこの最高値を超えたが、それまでに実に34年かかったことになる。銀座の地価が過去最高を記録するのは、バブル末期の1992年(1平米辺り3650円)。これが更新されたのは2017年だ。もっとも、都心の一等地は例外で、Mizumizuの住む荻窪に関していえば、土地の値段はバブル期の最高値にはまだまだほど遠く、今年やっとバブル前まで戻したというところ。 だが、土地や株の価格だけが更新されても、昭和バブルの熱狂は今の日本には皆無だ。 それ以前の高度成長期といい、あの戦後昭和という時代が放ち続けた熱気は何だったのだろう。まだ日本人はまだそれほど豊かではなかったが、未来に対しては楽観的だった。 中村草田男の言う「明治」をMizumizuは知らない。同様に昭和を知らない世代は、「昭和は遠くなりにけり」と、感慨にふける年寄りを、昔のMizumizuのように見ているのか。 昭和――あの頃に自分も経験できたかもしれない体験を逃してしまった者としては、こういう実話を読むとたまらなくうらやましくなる。だが、あの頃に思いを馳せることのできる漫画、それもこうした時代の雰囲気や場の熱量、登場人物のパーソナリティまでを十二分に盛り込んだ優れた作品に触れることができるのは、たまらなく嬉しくもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.01 02:02:37
[手塚治虫] カテゴリの最新記事
|