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カテゴリ:手塚治虫
橋本一郎『鉄腕アトムの歌が聞こえる』という書籍があるが、著者はYou TUBE動画も開設して、手塚治虫とその時代について様々な証言を行っている。 https://www.youtube.com/watch?v=dwvTatm6Qk8 8分17秒ぐらいから。 (旧)虫プロのアニメーターは凄い勢いだった。東映動画から金に糸目をつけずに雇ってきたうえに、時間外が青天井だったため、とてつもない収入があった。自宅を(都内に)次々新築していき<Mizumizu注:虫プロで3年働くと都内に家が買えたという話もある>、虫プロの駐車場には高級車がずらりと並んでいた。<以上、発言をまとめたもの> これはなんといっても、『鉄腕アトム』の大ヒットとそれに伴うマーチャンダイジングの急拡大がもたらしたもの。 手塚治虫自身『ぼくはマンガ家』(1969年)というエッセイで、次のように書いている。 <引用>「アトム」がそれほど話題にならなければ、類似作品も作られなかったろう。「アトム」が儲かるとわかるとスポンサーはどんなに大金を積んでも、どこかにテレビ漫画を作らせようと躍起になった。アニメーターたちの引き抜き合戦が始まり、アニメーターの報酬は、うなぎ登りに上がった。高校を出たか出ないかの若い者が 月々何十万もサラリーを稼ぎ<Mizumizu注:上掲の橋本氏の朝日ソノラマでの月給は、虫プロ全盛の時代に2万弱だったという>、マイカーを乗り回すといった狂った状態になった。<引用終わり> つまり、手塚治虫の『鉄腕アトム』がもたらしたのは、アニメーターバブルだったのだ。安い給料で奴隷労働させたなんて、デマもいいところ。手塚治虫が生きていれば、こんなデマはまかり通るはずがない。 丹念な取材に定評があり、『手塚治虫とトキワ荘』の著者でもある中川右介は、以下のように総括している。 https://gendai.media/articles/-/75170?page=4 <引用>アトムを真似できなかった制作会社 『鉄腕アトム』の放映開始は1963年だが、早くもこの年の秋に、3本の子供向けTVアニメが、制作・放映される。 虫プロは『鉄腕アトム』を週に1本製作するため、技術面でさまざまな技法を編み出した。それは極力、絵を「動かさない」という本末転倒したもの、ようするに、「手抜き」なのだが、そのおかげで、日本のアニメは「ストーリー重視」になった。 この手法はすぐに真似され、1963年秋からTCJ(現・エイケン)の『鉄人28号』『エイトマン』、東映動画の『狼少年ケン』が放映された。 「アニメが儲からない」のは、虫プロではなく、この2社のせいである。 TCJはテレビコマーシャルの制作会社で、当時のテレビCFにはアニメを使うものが多かったので、アニメ部門があった。 『鉄腕アトム』の成功を見て、電通がTCJに発注したのが『鉄人28号』で、TBSが発注したのが『エイトマン』だった。 TCJは虫プロと異なり、電通やTBSの下請けとして、安い価格で受注したのだ。このとき、利益の出る価格で受注していればいいのに、コマーシャルで儲けていたので、赤字覚悟で受注した。 『鉄人28号』はTCJもアニメの著作権が持てたので、マーチャンダイジング収入があったが、『エイトマン』のアニメの権利はTBSと原作者の平井和正と桑田次郎にしかないので、キャラクター商品が売れてもTCJの収入にならない。 『狼少年ケン』はNET(現・テレビ朝日)が放映した。NETは当時は東映の子会社で、東映社長の大川博がNETの社長だ。東映動画も、もちろん東映の子会社である。 東映はNETに対し、「東映動画に適切な製作費を払うこと」と指示できる立場にあったが、そうしなかった。 それでも東映動画は『狼少年ケン』の著作権は保持していたので、キャラクターのマーチャンダイジング収入は得た。 テレビ局と広告代理店は、アニメの利益がキャラクター商品にあると分かると、その権利を得て、一度得ると手放さない。 その結果、制作会社は低予算を押し付けられたあげく、著作権も持てず、経営は厳しくなり、社員の給料が安くなる構造が生まれる。 これは、別に手塚治虫のせいではないのだ。 さらに、東映動画はTVアニメに乗り出すと人員を増やしたが、今度は人件費が経営を圧迫して人員整理をし、労働争議になり、ますます正社員は採用しなくなり、下請け、孫請、フリーランスを使うようになっていく。 その過程では、腕のいいアニメーターは正社員だった頃よりも収入は上がった。<引用終わり> 東映動画のやり方は、実にエグい。だが、人員整理(つまりクビ切り)をして、正社員ではなく下請けにやらせるという構図は、なにもアニメ業界に限ったことではないし、そうやって東映動画は生き残ったのだ。 一方の虫プロは、テレビ局からの受注減、劇場公開長編アニメ映画の赤字、それに労働争議も重なって倒産した。 アニメーターバブルが弾けた時、多くのアニメーターは収入を減らしただろうが、才能のある一握りだけは、大きな組織を離れることで、逆に収入が上がる。これもよくある話だ。 そして、手塚治虫が労働者であるアニメーターに、いかに「甘かった」か。それは、うしおそうじの『手塚治虫とボク』(草思社)に端的な例が書かれている。<以下、次のエントリーで> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.12 16:28:36
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