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カテゴリ:手塚治虫
うしおそうじ(鷺巣富雄)は、1950年代には手塚治虫と並ぶ人気漫画家だった。もう彼の漫画を覚えている人は少ないだろうが、漫画家をやめたのちに彼が手掛けた『マグマ大使』『怪傑ライオン丸』は、日本の特撮黎明期の優れた作品として記憶している人も多いだろう。 そのうしおそうじの著作『手塚治虫とボク』は、実に面白い。 手塚治虫とボク [ うしおそうじ ] うしおが手塚治虫と一緒に映画を見に行ったり、旅行したりして親しくつきあったのは1950年代前半。手塚が漫画の神様と呼ばれる前だ。そのころの手塚治虫の図抜けた才能を目の当たりにして、うしおそうじは「驚倒した」と言っているが、今日取り上げるエピソードは、うしおが漫画家をやめて制作会社ピープロの社長となり、手塚治虫は(旧)虫プロの社長となって『鉄腕アトム』で一大ブームを巻き起こし、同作が『アストロボーイ』として、アメリカで放映されると決まったころの話。 うしおは『鉄腕アトム』が、1話1万ドル(当時のレートで360万)でアメリカに売れたという噂を聞き、手塚治虫に直接電話してお祝いの言葉を述べた。本人はそれだけで電話を切るつもりだったが、手塚治虫が折り入ってお願いしたいことがあり、今からそっちへ行きたいと言う。 手塚のお願いというのは、うしおのピープロで『鉄腕アトム』を作ってほしいというものだった。驚いたうしおは「いいですけど、一体どうしたんですか」と聞く。すると手塚はすぐにうしおのもとに駆けつけてきて、こんなことを言ったという。 「目下、うちの連中はアトムを作るのは嫌だと言い出したんです。飽きて、もううんざりだと言い、『ジャングル大帝』をカラーで製作したいと言う。体のいいサボタージュ気分が職場に蔓延してボクは困っているんです。そりゃあ、彼らの気持ちは分かるし・・・」 「彼らの気持ちも分かるし・・・って、それはちょっとおかしくないですか。ボクはよそながら聞いてますが、虫プロの社員は会社に対して10時と3時にコーヒーブレイクをもうけ、就業中は有線でムーディなBGMを流せと要求して、会社はその要求をのんだともっぱらの噂ですよ」 「ええ、その噂は一部本当です」 うしおの詰問調の質問に、手塚は不快感をあらわにしたという。 「だってうしおさん、ボクは仕事をしているとき、ムーディーなBGMが流れているほうが効率が上がるんですよ」 「手塚さんが漫画家として仕事をしているときに名曲がバックに聞こえてくるほうが快適に仕事がはかどるということは分かります。だからといって、虫プロの職場で従業員たちの要求をなんでも受け入れてやる、その考え方は行き過ぎではないですか。」 うしおは、虫プロはいまや業界だけでなく、あらゆる産業界でも注目する企業になってしまったのだと 話すが、手塚は不機嫌になる一方。 手塚治虫には話さなかったが、もっと呆れた虫プロのアニメーターの実態をうしおそうじは聞き及んでいた。 本来なら『鉄腕アトム』の絵を描くべきところを、こっそり東映動画のアルバイト仕事をしているという話を何度も聞いていた。彼らはトレース台の下に東映動画の仕事を隠しておき、管理職の姿が見えなくなると、机の上の『鉄腕アトム』をどけて、それを取り出し、アルバイトに精を出しているというのだ。<以上、前掲書からそのまま引用> うしおは手塚治虫の顔色を見て、経営について口出しするのをやめ、アトムの仕事を引き受けている。最初は13本の約束だったが、結局、2年にまたがって39話分も応援をした。 うしおそうじの証言は具体的で信憑性が高い。虫プロのアニメーターがあれがしたい、これは嫌だとワガママを言い、しかもこっそり他社のアルバイトまでしていたという話は今ではほとんど聞かないが、当時はどうやら業界内部では有名な話だったということだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.14 22:39:56
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