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カテゴリ:手塚治虫
後に「神業」と言われる手塚治虫の仕事ぶり。うしおそうじは1950年代初頭にその凄さを目撃している。現役の売れっ子漫画家から見ても、そのテクニックは想像をはるかに超えたものだった。 まずはペンの使い方。うしおは3本のペン先を使い分けていた。きっちり下描きを入れてその上にペン入れをするのだが、太い線と細い線でペン先を替えていく。ペンを替えるから、当然時間はかかる。 ところが手塚は、特に大切なメカニックな背景だけは一応ちゃんと下描きを入れるが、顔は丸、手足は2本線というようにラフな下描きを入れるだけ。ペンも1本で細い線を描く時はひっくり返し、あとは力加減で太い線・細い線を描き分けていた。鼻歌まじりに。しかも、どこでも描くことができる。机がなくても。 特に記号のような下描きから、驚くべき速さで一気呵成に仕上げる手塚テクニックには「正直言って仰天した」という。 もっと驚いたのはペン入れの順番。普通の漫画家はノンブルどおり1コマ目、2コマ目と順番にペン入れをするのだが、手塚は5ページ目の右から2コマ目を仕上げたかと思ったら、今度は3ページ目の下から2段目の左隅、次は6ページ目の一段目の右から3コマ目…というように縦横無尽にペン入れをしていくのだ。 まるで牛若丸のごとく跳び跳びに埋めてゆきながら8ページ分描き終わる。 仕上がりを見せてもらうと、驚くべきことに整然と、毛ほどの隙もなく完璧に仕上がって文句のつけようもなかった。(『手塚治虫とボク』より) 手塚治虫とボク [ うしおそうじ ] ちなみに1955年。まだ週刊誌時代は始まっておらず、この頃は月刊誌時代だが、その当時も手塚治虫は月に10本以上の連載を抱え、なおかつ仲間と付き合い、飲んだり騒いだりしていたという。 うしおは手塚の驚異的な量産の秘密は彼の描く速さにあり、なぜそこまで速いのかといえば、それは4ページだろうが、十数ページだろうが、紙に向かった時にはすでにコマ割りは手塚の頭の中で出来上がっていたことだと書いている。通しの吹き出し(セリフ)を全部入れてしまうと、ポイントごとに下描きのラフな記号風のものを描き入れて、その上に超絶テクを駆使してペン入れをする。 この「手塚の神業」は業界では有名だったが、あまり一般の読者には知られることがなかったと思う。 Mizumizuは小学校ぐらいのときに、漫画家の鈴木光明がアマチュア時代、手塚の仕事ぶりを初めて見たときの驚きを書いた文章を読んでいて、「こんなことができる漫画家がいるのか。本当に手塚治虫というのは別格の天才なんだな」と思ったのを今でも覚えている。手塚作品は読んでいなかったのだが。 鈴木光明がその時目撃した手塚の仕事ぶりは、すでにアシスタントを使っていたのだが、自分は原稿を描きながら、口頭でアシスタントにコマ割りを指示する…という信じがたいもの。 「こんなことができないとプロの漫画家になれないのかと思ったが、そんなことができるのは手塚先生だけだった」という鈴木フレーズが(多少言い回しは違うと思うが)、強烈に記憶に刻まれている。 頭の中でコマ割りが全部出来上がっていて…というだけでも人間離れしていると思うのだが、それを作業しながら口頭でアシスタントに伝えるって…やはり、天才・石ノ森章太郎が言うように、手塚治虫は天才を超えた宇宙人だったのかもしれない。 この神業を一般人にも広く知らしめたのが、『ブラック・ジャック創作秘話』というワケだ。 [新品]ブラック・ジャック創作秘話 手塚治虫の仕事場から (1-5巻 全巻) 全巻セット お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.04 23:16:07
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