前回のエントリーに登場した河井竜氏。(旧)虫プロ社員で制作進行担当だった。入社は(旧)虫プロ全盛期の1963年。
彼には新劇の脚本と演出をしたいという夢があり、とうとう2年後のある日、社長の手塚治虫に退社を申し出た。
演劇では食えないと、一度は思いとどまるよう説得した手塚社長だが、河井氏の決意は固い。最後は「わかりました! 立派な演出家になってください」と送り出した。
劇団を作ったものの、すぐに食えるわけもなく、廃品回収業のアルバイトをする河井氏。すると(旧)虫プロの仲間が200キロもの動画用紙を提供してくれた。
さらに河井を驚かせたのは、手塚社長から毎月現金書留が届くことだった。劇団の公演パンフレットには広告も出してくれた。
だが、3年後、河井氏は病に倒れてしまう。結核だった。劇団はうまくいかず、お金も底をついていた。
結核は法定伝染病。治療費は国から出るが、夢は諦めようと決意を固める河井氏。諦めた自分が、手塚社長から支援を受けることはできないと、「芝居で食っていけるようになったから、もう仕送りは結構です」と手塚社長に電話をした。
「あ、そうですか、よかったよかった。河井さん、よかったですね。いっそうがんばってください」
「長い間ありがとうございました。本当にありがとうございました」
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時は流れ流れて2009年。まさみじゅん氏のブログで、河井氏とともに手塚邸の植栽の剪定に行った話を見つけた。ちょうど『誰も知らない手塚治虫―虫プロてんやわんや』が出版されたころだ。
http://mcsammy.fc2web.com/MushuProOB/MushiProOB1.html
高齢になった手塚夫人が植栽の管理が大変と聞いて、出向いたのだという。
http://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/mcsammy/?Y=2009&M=9&D=13