宝塚に行ってきた。お目当てはもちろん手塚治虫記念館。
特別展として火の鳥の原画が展示されているし、絵本作家の鈴木まもる先生の『火の鳥』も発売になって、同氏のトークイベントとサイン会がある。これは行かないと!
ということで、プランニング。宝塚なので日帰りもできるのだが、体力面を考えて前泊することにした。宝塚は週末はホテルが高いので、新幹線の着く新大阪に泊まり体力温存したうえで、翌朝、満を持して出かけることに(←おおげさ)。
事前に新大阪から宝塚の行き方を調べたのだが、複数あって便利のようで、案外面倒だった。というのは、直通だと時間がかかり、乗換ルートのほうが速いのだが、その乗換も複数ある。ネットで検索して調べた結果、一番簡単なのが尼崎で乗り換える方法だという結論に達する。
このところ、スマホが外で具合が悪くなることが増えてきた。現地でそんなことになると慌てるので、一番効率よく、時間帯もよく宝塚に行けるルートを紙に手書きするMizumizu。
で、当日予定どおりの時間に新大阪駅のホームで網干行き快速を待っていると、真後ろで駅員に宝塚に行く方法を聞いてる女性がいた。駅員が「宝塚行きはこっちのホームだけど、こっちで乗換るほうが…」というような説明をしている。そうそう、直通はそっちなんだけど、こっちの快速のが速いし、乗換も多分向かいのホームなので楽なのだ。
駅員の説明に、ちょっと戸惑ったような表情を浮かべる女性。この時間に新大阪駅から宝塚と言ってるということは、宝塚劇場か手塚治虫記念館目的なのは明らか。なので、メモを指し示しながら、女性に、「私も宝塚に行くのでご一緒しましょう」と話しかけた。女性は、いきなり話しかけられて、一瞬びっくりしたよう。でも、メモ書きを見ると納得したようだった。駅員も「ありがとうございます」と行ってしまった。
二人で快速に乗り込んで座る。彼女もやはり乗換が面倒だと困ると思っていたらしい。尼崎なら乗換も簡単みたいですと説明する。宝塚に行く目的を聞くと、劇場のほうだという。こちらは手塚治虫記念館だと言うと、「手塚治虫、好きです」と! 『リボンの騎士』『アトム』、それになんと『W3』まで名前が出てくる。
え~、『W3』まで見てた? それ、ガチ手塚(筋金入り手塚ファン)じゃないですか。宝塚劇場に行くということは…と思い、『ベルばら』の話をすると、なんと初演に行ったというではありませんか。マジですか? 榛名由梨の時代?
Mizumizu「『ベルばら』見にいきたいんですよね~」
彼女「やってますよ!」
Mizumizu「『フェルゼン編』でしょ~(←なぜかちゃんと調べてる)」
彼女「『オスカル編』がイイですか~?」
など、初対面なのに話が盛り上がる。彼女は少女漫画にも詳しく、里中満智子、萩尾望都…全部知ってる。少女漫画にとどまらず、手塚直系、石森章太郎『サイボーグ009』まで知っていた。
で――
「高校ぐらいのときに、いったん離れなきゃと思って」
そうそう、当時の少女たちはたいていそうだった。大人になる準備をする時期に、アニメや漫画からは離れなくてはと思うものなのだ。
今、『ポーの一族』で国際的な名声を得た萩尾望都も、当時は、「あれ(『ポーの一族』)を描いたのは24歳(←この年齢は記憶ベース)の時だから、そのくらいまでなら読めるのかな」と言っていた。つまり、20歳半ばには読者も卒業するのだろうと。
だが、『ポーの一族』は平成に入って少女漫画歴代ナンバーワンの名作に選ばれた。最近になってフランスで出版され、衝撃を持って受け入れられた。そうした流れの中で、日本でいったん卒業した読者も戻ってきて、豪華版など買っている(←Mizumizuね)。
あのころが少女漫画ルネサンスの時代だったのだろう。そして、ルネサンス期の少女漫画家を創生したのも、手塚治虫なのだ。池田理代子も里中満智子の対談で、「私たちのころは、みんな手塚先生よね」と話していた。Mizumizuは『リボンの騎士』がなければオスカル様もない…ような気がしているのだが、それについて池田理代子自身が話しているのは聞いたことがない。ただ、オスカルのビジュアル面でのモデルがヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』のアンドレセンだという話は知っている。
さて、話が盛り上がって、宝塚に着くと、今後は彼女が道案内をしてくれた。その時に、クラシカルな外観のティールームのそばを通ったのだが、「ここは紅茶がおいしい」「シナモントーストがおすすめ。お好きなら」と教えてくれる。
実はホテルでトースト食べてしまったのだ。それも、売れ残りのパンの半切れみたいな情けないトースト。しかも冷めかけ。パンはほかにもあったが、全部「コストコ」の安い冷凍パンを大量に仕入れました…みたいなクオリティで、がっかりだった。
で――
手塚治虫記念館は予想以上に見ごたえがあり、なかなか上階に行けない。生前の手塚治虫を知る有名人たちの話をビデオで流しているのも、それぞれの「手塚先生」像が面白くて、全部見終わるまで立てない。
手塚治虫の実験アニメーションは定評があるが、一番好きな『Jumping』を大きな画面で見ることができて、満足満足。『おんぼろフィルム』は、「ここ笑うところですよ〜」と思ってるところで笑っている人がかなりいて、「うんうん、ここツボだよねー」と、自分の演出でもないのに、勝手にニンマリ(Mizumizuは何度も見てるので笑いませんでした)。
肝心の企画展を見る前に、鈴木まもるx手塚るみ子トークイベントが始まってしまうという始末だった。ランチを食べる間もなく参加するMizumizu。トークイベントに続いてサイン会もあり、ひとりひとりに丁寧にサインする鈴木先生。トークイベントも面白かったが、サイン会でも、みな先生と一緒に写真を撮ったりしながら盛り上がっていた。
やっと企画展の『火の鳥』原画を見る。六本木であった『ブラック・ジャック』原画展ほど数は出ていなかったが、えりすぐりが出展されていて、「見たかったページ」はほぼ見せてもらった感じ。かの有名な「乱世編 村祭り」(←もうこれ、国宝級ね)の見開きもありました。
カラーもあって、『火の鳥』の時代の彩色はアシスタントによるものがほとんどだと思うのだが、夕焼けの空の描写など、なかなかの力量ぶりだった。こんだけの素晴らしい作品群を「マンガは残らない。作者と一緒に時代とともに、風のように吹きすぎていく。それでいいんです」と(石ノ森章太郎に)言った手塚先生…数々の未来を「予言」した大天才だが、ここだけは大ハズシした。ただ…その言葉が「本当の本音」だったかというと…違うかもしれない。
図書コーナーで未読の手塚作品を読みたかったが、さすがに夕方になって帰る時間が近づく。入場者はかなり年配の方々(おそらく『鉄腕アトム』直球世代)から親と一緒の小さな子供まで年齢層は幅広い。シニア層の男性は漫画を読み、男の子たちは熱心にアニメの画面に向かっている。
大阪の夜、御堂筋線に乗ったのだが、なんと文庫本の『ブラック・ジャック』を読んでいる青年を見た。そーそー、ブラック・ジャックは面白いよね。山口の図書館でも、貸し出しが多くて、なかなか連続で借りられないのですよ。
しかし…ストーリーを追うだけなら文庫本でも構わないが、やはり漫画のタッチを味わうには文庫本は小さすぎる。漫画を文庫本にするのは、Mizumizuは基本的に反対。個人的には『MW』を文庫本で買って後悔した。とりあえず、安く読みたかったから買ったのだが、一度文庫本で読むと、もっと大判の同じ作品を買う気になれない。それ以来、漫画の文庫本は買わないことに決めている。
帰りの時間が近づいて、ランチ抜きだったので、目の前に「美味しい」シナモントーストのイメージが浮かぶ。もう朝トースト食べたからとか、どうでもいい。もう少し原画を見たり(何度見るのよ)、図書コーナーで本を読みたかったが、空腹に勝てず、ついに記念館をあとにした。
こんだけ長く粘る入館者も多分、珍しいだろうな。グッズも買いましたよ、ほぼ1万円。
紹介してもらった駅前のティーハウスサラは、満席に近くてびっくりした。オススメされたシナモントーストとアイスティーを頼む。
一口食べて…うわっ、美味しいわ、これ。
厚切りのパンは外はカリッと、中はもちっと。じゃりついたシュガーの歯ざわりにシナモンの香りがしっかり。朝の切れっぱしトーストとの違いは、なんなんだ。まったく。
紅茶は、のどが渇いていたのでアイスにしたけれど、次はやはりポットでいただきたい。
もう次に来る気になってるMizumizu。平日の宝塚ホテルが安い時にしよう。で、また次回も1日中手塚治虫記念館で粘りそう。シナモントーストも外せないから、いったん出て再入場パターンかな、いや早めの夕食か。